2021年10月9日 小さな変化に耐えられない

いい天気だから外に出てみようと思ったけど、特に行きたいところは思い浮かばない。とりあえず、カバンに使いそうなものを入れてみる。ノート、ペン、まだ読んでいない薄めの本1冊、勉強したいもののテキスト1冊、iPadPro、キーボード、充電器。これだけあればどこに行ってもとりあえず気分の赴くままにやりたいことができる。そう考えてみると、今は自分は「外で新鮮な体験」がしたいわけじゃなく、「外でいつものこと」をやりたいんだなと思う。いつものことがいつものようにできていないことが今気になっていることなのだろう。
やる気はやり始めないと出てこないし、やる気を必要とするようなものをやってもしょうがない。

新しく買ったノートは書き心地が良かった。前にも使っていたノートだけど、1冊1000円近くもするから日常的に買っているとノート代だけでも大変なことになってしまう。だけどやっぱりいいものはいい。「良い」と素直に、純粋に感じられるものを大切にしていきたいと思う。

コインロッカーと書いているけれど、もはやコインは使わない電子マネーロッカーになっている。初めて見た時は驚いたけど、今は何も感じなくなってしまった。コインロッカーでコインを使うと逆に新鮮な気持ちになってくる。
イヤホンで喋っている人、つまり耳に機器を当ててしゃべっていない人に対してものすごい気持ち悪さがあったけど、それも最近は感じなくなってしまった。少し違和感はあるけれど、それについて何かいう人も少なくなっている。前はこの手の話題はよく耳にした気がするのだけれど。
街から喫煙所が消えていってしまった。純喫茶に入ると壁はヤニで変色しているのにその上からピカピカの禁煙マークのシールが貼られている。

大きな視点で見ると景色は変わっていないのだけれど、細かいものを見ていくとおおきくかわっているような気がしてくる。いつもの感覚で、問題なく生きられているような気がするけれど、そういう細かい変化に対応できていないままで、自分に対して負荷がかかっているのではないだろうか。左利きの人の寿命が短いなんて話があるけれど、それと同じように。

結局いつものように、時間と共に変わってしまった、いつもの喫茶店にきている。緩やかな事象行為みたいなものなのかもしれない。それはそれで落ち着くような感じもして、そうでいて寂しくて辛いような冷たさが同居している感じだ。変化に適応するには時間がかかる。みんなはどう感じているのだろうか。それがわからないから一人で噛み締めるしかない。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。