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9月22日(ぎっくり腰と坂口恭平さんと稲葉俊郎さん)

朝起きて冷蔵庫に手をかけた瞬間、お尻の上の背骨から、背中の中ほどまでドミノ倒しのように、ゆっくり、はっきりと激痛が走った。
何が起きたのか分からなかったけれど、とにかくそのドミノ倒しの生々しさというか、ねっとりした感じというか、抗えないまま痛みに従う感じだけがはっきり残っている。


それから、床に倒れ込んで、痛みに動けなくなってしまった。
病院に行くかどうか、というよりも救急車を呼んだほうがいいのか迷った。そして今日は4連休最終日の祝日でどこも病院はやっていない。
Googleで検索したら、1、2週間でよくなるとのことを見つけて、対処療法な気がしてきた。
でも、とりあえず整骨院とか形成外科的なところに行って判断を仰いだほうがいいと感じて、探してみる。

一軒だけ開いていた整骨院に飛び込んでみたら、「今日は予約でいっぱいです。でも診察したいので明日以降来れますか?」と言われる。
明日以降じゃ意味がないのだ。
院内のシャンプー臭、施術しているあまりにも若すぎる男性(そして黒髪の短髪で爽やか)、施術を受けているこれまた小綺麗な女性たち、来院名簿の女性率の高さ。
整骨院に行ったのは初めてだったけれど、多分僕はターゲット層ではないのだろう。

我々に残された選択肢はみんなの味方、マツモトキヨシだ。
だけど今日は祝日だからか、薬剤師が不在でロキソニンも買うことができない。
なんて複雑な社会システムなんだ。自助は急にできない。こういう未知のトラブルに備えておかなくては自助はできないのか、あるいは、諦めるというのも、ひとつの自助なのだろうか。

結局いたんだ腰を抱えて無駄に競歩をしてしまうだけの結果に。こんな日もある。

14時から坂口恭平さんと稲葉俊郎さんのトークイベントが行われていたのをたまたま見かける。
温泉が次の病院になる、と本で言っていたのを思い出して、稲葉さんと坂口さんも近しいだろうなあと思った。
「ググる」をやめて「魂る」っていうのがパンチライン。
僕がずっと苦しんでいたことは、「魂れなくなる」ということ。自分のことを自分に問うということの精度がどんどん落ちてしまう。
意識して自分に向かい続けないと、社会はとても忙しいし、主体性を奪い続けるし、システムの方に寄せにかかってくる。
僕の取り組みは、魂に触れ続けられるようにするためにどうすればいいかということなのかもしれない。

稲葉俊郎さんの新刊、読んでみようかな。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。