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心の拠り所があっさりと失われる感覚

4月1日から街の景色が変わってしまった。
ほとんどの喫煙スペースが無くなったからだ。あんまり詳しくはないのだけれど、健康に配慮した法律のようなものだ。

薄々とその気配は感じていた。カフェとか飲食店に行くとどこもかしこも、「〜日より全席禁煙化」という張り紙がされていた。
いち早く改装を済ませて準備完了になっている店舗もあった。

こうやって街の景色が、ある日を境に一変してしまうことが現実世界の恐ろしいところだ。
毎朝、喫茶店の喫煙スペースで過ごしていた人はどうなってしまうのだろうか。
煙草やそういう空間に思い出のある人は少なからずいるだろう。それは、吸う吸わないに限らず。
そういう毎日の平和な日常や、過去の美しい(その人にとって)思い出もあっさりと失われてしまう。

人間って意外と繊細な生き物だから、そういう小さな出来事に自分自身の大きな部分を乗せて、辛うじて生きている人もいるのではないだろうか?

心の拠り所が、あっさりと失われてしまう感覚が僕にはある。
だから、現実世界は酷く厳しいところだなと思ってしまう。

ちっちゃいことだと、レジ袋なんかもそうだ。
いつからかレジ袋は有料になったり、ビニール袋から紙袋に変わってしまった。
ストローが紙製に変わったのもそうだ。
小学校一年生のときは土曜日に授業があったけど、それも無くなってしまった。
製品のパッケージは目まぐるしく変わるし、ビルはリニューアルするし。
あげだしたらきりがない。

諸行無常といえばそうなのかもしれない。
納得も理解もできる。
僕もPHSは知らないし、ガラケーはもう使ってないし、今はiPhoneでnoteを書いている。
そういうことは理解できる。

だけど、そうやって心の拠り所みたいなものが奪われる瞬間が本当に辛い。
辛くても、じきにそんなことも忘れてしまうのだけれど。
何事もなかったように、ある瞬間、突然全てが奪われる。
システムに従うとはそういうことだ。
現実世界の何かを拠り所にした、自分のミスと言えるかもしれない。

とても辛いけど、その感覚だけは失いたくないと思う。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。