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3-1 専科大学について

 今回は「専科大学」という未完に終わった学校種別について述べます。

戦前の教育制度について

 戦前は、本流の小学校から旧制中学校、旧制高校、旧制大学という学校種別とは別に、傍流として商業に関しては小学校の後に旧制商業学校、工業に関しては旧制工業学校、女性については高等女学校と云った個別の学校種別があり、かなり早い段階で複線化されていました。

 本流の学校種別である旧制中学校の卒業生は、本流の旧制高校への進学者はもちろんの事、傍流の学校種別の上級学校である高等商業学校や高等工業学校への進学者でも大半を占めていました 

 そもそも義務教育である小学校で終える人も多かった時代ですが、卒業後に進学が叶っても、小学校段階での就学人口の1割のみが進学した旧制中学校に行かない段階で、ほぼ将来の進路が決まってしまうという、閉鎖的な教育制度でした。

 戦後になって、GHQによりこの閉鎖的な教育制度が問題とされ、今の小学校から中学校、高校、大学へと繋がる単線型の教育制度に改められました。 

「専科大学」の歴史的背景

 教育制度は単線型に改まりましたが、今までの旧制の高等教育機関が一斉に大学に変わった事で、分野によっては、大学だけでは十分な人材の養成が追い付かないという問題が起きてきました。

 例えば、戦後のベビーブームによって教員の不足が問題となり、この対策として、2年制の短期大学を教員養成に活用したり、当時の大学の学芸学部・教育学部などの教員を養成していた学部に2年制の課程を設けました。

 理想としては4年制の大学において養成されるべき人材養成が、現実としては2年制の短期大学などで行わなければならない状況が起きていたのです。

「専科大学」の挫折

 このような状況の中で、経済成長が進むにつれて不足して来た、高度な工業技術者を早急に養成する事や、高校段階から教員養成の教育を行って、当時の2年制の課程より専門性が高い教員を養成する事などを企図して、中学校卒業生を入学要件として、5年程度の修学で高度な工業技術者や教員を養成する、新たな学校種別である「専科大学」の法案が提出されます。

 これに対する反発は予想外に大きく、法案が提出されると、まず競合する短期大学の関係者などからの反発が起きます。次いで、大学関係者などからは大学教育を軽視する法案であるとか、せっかく単線化した教育制度を、戦前の複線化に戻す反動だとの意見が噴出して、文部省の努力も虚しく、廃案となってしまいます。

国立工業短期大学の成立

 「専科大学」の法案は廃案となりましたが、当時は経済成長の真っ只中で、高度な工業技術者の不足は特に深刻でした。とりあえず今の法律で設置が出来る国立工業短期大学を全国に5校(久留米・北見・宇都宮・長岡・宇部)設置しました。この設置には、その後「高等専門学校」という新たな学校種別を生み出す萌芽が含まれていたのです。

次回は




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