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北の国の商科大学その1

上野発の夜行列車

 九州に生まれた故に、雪国には仄かな憧れの様な感情を抱いています。

 学生時代には、後期の試験が終わる頃になると、青森行きの夜行急行の自由席を確保する為に、上野駅のホームに19時頃から並び、最果ての雪国である北海道を目指しました。

 21時頃に上野を出発した列車が夜明けを迎える頃には、岩手県を通過して外は徐々に雪深くなっていきます。青森駅に着く頃には、正に石川さゆりの歌の世界です。黙々と連絡船の桟橋側の階段を登り、跨線橋を通って連絡船の乗船口に並びます。そして、私も一人で連絡船に乗ります。

 船が桟橋を離れると、4時間余りの海との格闘です。凪の日の少ない冬場の津軽海峡の船旅は、連絡船の乗客にとっても辛い時間です。余り船酔いをしない私でも、何度かは座敷席に横たわったまま起き上がれず、函館の桟橋に早く着く事を願う事がありました。

 そこまでの苦労をして辿り着いた北海道は、正に白一色のピュアな世界でした。函館から札幌に向かう道中は、たたただ雪と海が交互に現れる不思議な世界でした。そして、やっと風景に建物が混じってくると札幌に到着です。

 今のLCCでは最安で5000円ぽっきりで辿り着ける時代とは違い、少しでも格安な当時2万円位だった国鉄(JR)の周遊券を買い、20日の有効期限をフルに使って北海道の隅々まで旅をしました。ヒグマこそ遭遇しませんでしたが、サラブレットなどの競走馬やキタキツネは、車窓から愛でる事が何度かありました。

不思議な街 小樽

 今も当時も北海道の旅の起点は札幌です。宿泊費を浮かすために、札幌発の夜行列車の自由席で稚内、網走、釧路を目指し、最果てを散策して、折り返しの夜行で帰って来るというのがルーティーンで、その合間にホテルに泊まるという日々を2週間あまり繰り返します。

 札幌の駅に近いホテルは高く、定宿は小樽駅に近い当時一泊三千円で泊れたホテルでした。札幌からの移動は周遊券が使えた国鉄(JR)高速バスで、市内の各所で停車してくれたので、途中下車して小樽の街を散策するのが楽しみでした。

 小樽は過去に北のウォール街と呼ばれていて、今でも当時の銀行や証券会社の建物が博物館などの保存建築物として残されています。そんな建築物を眺めたり、昔はさぞ賑やかであったであろう大きなアーケードのある商店街を歩き、「あまとう」という喫茶店でカチカチに凍ったクリームあんみつを買って、温かいホテルに帰ってゆっくり溶かしながら食べるのが楽しみでした。過去の栄光と、運河に代表される新しい観光地としての存在を併せ持つ不思議な街小樽は、私にとっての北海道のふるさとといっても過言ではないほどの存在です。

小樽商科大学との遭遇

 小樽に滞在したある日、市内が一望できる旭展望台の帰り道、近道をしようとけもの道を下った先にあったのが小樽商科大学の構内でした。存在は知っていましたが、こんな山の麓にあるとは想像していませんでした。山の麓にひっそりと建つ建物は、市内を見通せる好立地で、静かに小樽の街の変化を見守っていました。

 この大学とのふとした出会いが、東京に帰って、今まで無学だった単科大学の歴史の一つの例として、小樽商科大学の事を調べ始める事に繋がりました。次回はこの小樽商科大学の歴史と今について述べます。


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