2-4 不思議なクラス制度

東京学芸大学に在学中に感じたことなどを綴っています。

前回は


 教育系の大学以外を経験した人にはわかりにくい、東京学芸大学の教員養成課程を象徴する、科と課程の交差に出来る4年間固定したクラス制度について述べていきます。


1.教科による所属

 まず基本となるのは教科です。例えば国語なら国語科と云った具合に所属が決まります。自分の在籍した時代は以下の様な科がありました。(確か?)

国語科、社会科、数学科、理科、英語科、音楽科、美術科、保健体育科、技術科、家庭科、書道科、特殊教育科、幼稚園科、学校教育科、職業科(職業科は自分の入った年に募集停止になりましたが科としては存在していました)

 一般の大学での学部や学科のイメージに近いです。大きな違いは、一般の大学では大きな比重を占める社会科学系と工学系の占める割合が低いことです。学部で云えば文学部と理学部、芸術学部と体育学部、それに教職課程で大半が構成された大学とイメージしていただければ分かり易いかと思います。


2.課程による所属

 これだけならまだマシですが、更に複雑なのが、それぞれの科に所属する学生が課程の所属でまた別に区別されていた事です。

 例えば、同じ国語科の所属でも、初等教育教員養成課程(小学校教員を主とする課程)所属の学生と、中等教育教員養成課程(中学校・高校教員を主とする課程)所属の学生に分けられていました。加えて、科によっては高校教員専門の養成課程もあったので、その科では3つの所属に分けられるという重層化された制度でした。

 逆に学校教育科などのように、初等教育教員養成課程所属の学生しかいない単純な科もあり、科によって区分が違う変わった制度でした。


3.教科と課程の交差に存在するクラス

 これだけでも複雑なのに、更に複雑化した制度として、科と課程の交差した部分に存在した、卒業まで続く高校までのようなクラスの存在がありました。例えば、社会科所属の学生で中等教育教員養成課程に所属していると10組の所属になるといった感じです。全体で40組以上あったと記憶しています。

 所属する課程でカリキュラムがかなり違っていたので、それを合理的に運用する必要もあって出来た制度だったのでしょうが、4年間クラス替えのないクラスというのは、高校までのクラスでも分かる様に、人によってはいろいろな意味で苦痛だったかと思います。特に恋愛関係がこじれた場合とか(笑)。


4.クラスの功罪

 自分の所属したクラスは全体で23人しかおらず、各科目の講義もクラス単位で行われるものが多かったので、よく言えばどの講義もゼミや演習に近い状態でした。今考えると贅沢な環境でしたが、悪く言えば教員にほぼ顔を覚えられるので、サボるとすぐに分かり、出席にうるさい科目の場合は単位を落とすという憂き目に遭いました。落とすと、次年度に直属の下級生のクラスで講義を受ける事になり、気まずい思いをしたものでした。(汗)

 あ、分かっちゃいました?そういう私も落とした科目があった1人です。その分翌年に恥を忍んで頑張って、結局は3年生が終わるまでに教育実習を含めて、ゼミ以外の卒業単位を取ったので許してください(笑)。
 まあ、クラスのよい面も沢山あります。今で云うボッチになる学生は皆無でしたし、友達も出来やすかったです。また、科の中で細分化した専門があったのですが、その専門ごとに違った学生同士で切磋琢磨するなど、それはそれでよい効果もあったと思います。その後高等教育を研究するようになった段階で、一般の大学と比較して初めて特別な制度だったと気が付いた次第です。

 その後、教員養成のみの課程が教育系と教養系の分離を経て、今の教育系と教育支援系に変わったりなどしているので、グラス制度自体が大分変わっているかも知れません。今でも昔の様なクラス制度が残っているのか、在学中の方がいらしたら教えて下さい。残っていたなら、それはとても貴重な経験だと思いますので。

次回は



 

 

 



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