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今更のリベラルアーツ

リベラルアーツがアツい?

 パンデミッックで多少下火になった感もありますが、秋田の公立大学法人である国際教養大学の成功で、近年もてはやされているのが国際教養学部などの国際的リベラルアーツ学部です。

 留学の必須化やアメリカ式のリベラルアーツ教育が「いいね!」された影響の様ですが、今に始まった話ではありません。

 私立では、国際基督教大学がアメリカ式のリベラルアーツの教育を、戦後の開学から伝統的に続けています。

 国立では、東京工業大学が戦後の和田小六学長時代から、リベラルアーツ教育を伝統的に行っています。因みに、テレビでお馴染みの池上彰さんが教授をしています。

 戦後の教育改革の時代には、全国的にリベラルアーツの議論がありましたが、一部の大学を除き、戦前から続く学問の専門性を強調する方向にベクトルが向かい、専門の学部を基礎とする研究教育の場が大学の本質だという考えが永く一般化していました。

そもそもリベラルアーツとは?

 東洋経済オンラインに掲載された、リベラルアーツ教育研究者の中村 聡一さんの記事にその真髄が書かれていました。

特にそのポイントとなる部分は以下の点です。

 人間も無数の生存競争と自然選択の末に今日に至っているにすぎません。ポイントは「自ら正しい選択をしてきた」ということではなく、「多様な選択をする種の中から、たまたま時々の環境に適合する種が残り、人間に進化した」ということです。
 これを有史以降の人類の歴史になぞらえるなら、まさに戦争や階級闘争という生存競争の繰り返しでした。おそらく無数の人々がそれを教訓として、適合するための道を模索し、よりよく生きるための知恵を記録してきました。それが「哲学」「宗教」「芸術」「サイエンス」などでしょう。
 これらも多くは淘汰されましたが、中には時々の社会に適合し、どうやら真理を突いているらしいとして後世に残されたものがある。それが、ここまで述べてきたリベラルアーツです。だからこそ「人類の叡智の結晶」と呼ばれるわけです。

 結局崇高な理念で説明されるリベラルアーツは、進化論的に選択され、生き残った西洋文化の諸学の集合体である事をが分かります。必要性があるから今まで生き残ったんですね。

 西洋式のリベラルアーツについて詳しくは、中村さんの最新の著書に詳しく述べられていますので紹介します。

(amazonはアカウント乗っ取り事件で、アカウントがなくなったので、あえてhontoでリンクしました。)

日本式リベラルアーツについて

 本来人類のサバイバル術ともいえる、アメリカのリベラルアーツを援用した現在の日本でのリベラルアーツですが、それまで常に自分の属する専門分野を拡大する方向にベクトルが動いていた大学が、今頃になって海外のリベラルアーツを外から援用して、重要性を唱えられても、にわかには信じがたいものがあります。

 リベラルアーツを援用して、それぞれの専門分野の維持や拡張を狙っているのではないかとの邪推さえしてしまいます。

 遡ると、戦前の旧制大学への進学希望者が先ず入学した旧制高校や大学予科に、日本におけるリベラルアーツの原点があるのではないでしょうか。そこには西洋文明を前提とした旧制大学への準備教育として、道具として外国語や哲学や数学の能力を鍛える場がありました。

 当時の18才人口のほんの数パーセントの人だけの限定でしたが、その後の国を動かしていく人材を鍛える、アメリカのリベラルアーツとは違った日本独特の教養教育が行われていた事実を、我々日本人はもう一度再認識する必要があると思います。

 歴史は繰り返すとはよく云われる言葉ですが、海外の大学の前例を踏襲するばかりではなく、日本的な教養教育を再検討して、そこから日本的なリベラルアーツの議論を始めてもいいのではないかと、問題提起をしたところで今回の記事を締めたいと思います。

 旧制高等学校などについては、改めて詳しく記事にしたいと思っています。


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