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優れた教員

 今回は、教育免許法のあるべき姿について意見したいと思います。

 小学校・中学校・高校については、教員免許が必須ですが、そこで求められる能力は教育免許法で規定されています。その法律は本来ミニマムな規定であるべきですが、改正される度に肥大化してきています。そこには、行政・立法者が優れた教員を目指す視点から、行為を行っているからではないでしょうか。

 法改正の度に、教員養成大学・学部はカリキュラムの改正に追われ、一般の大学では、教職に専門化するか、過重な負担に耐え切れずに教職課程の縮小や廃止をする2極化が起こっています。実際、教員志望者の質の低下が起こっている事は、先日投稿させていただいた件で明らかになっています。

 実際、法律をいじったところで、優れた教員はどこにも生まれないと思います。優れた教員ではなく、より良き教員を目指すべき研鑽の継続性ができる方向に、ブラック職場の撲滅、教員の研修の保証などの待遇改善を行う事こそが必要なのではないでしょうか。   

 行政・立法において優れた教員という視点を見直し、教員とは免許状を授与した段階で完成するのではなく、より良き教員を目指すスタートでしかない事、そして、教員以上に社会人としての素養こそスタートの時点で必要な事を重視すれば、今の過重な法律の制約は解消されるでしょう。

 ある意味コペルニクス的転回で、教育免許法は大学生の社会人としての準備を妨げない程度のレベルで関与する方向に制定すべき事に早く行政・立法者が気が付いてくれればと思っています。

 今後少子化で、教員の志望者が先細りしていく中で、いかになり手を確保するかを考える時に、この視点を導入していく事こそが、この問題を解決する為に必要な事であると思っています。行政・立法者の覚醒を願っています。



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