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始まりと終わりを意識しよう

この世の中は、すべて「期間限定」と言えます。

私たち人間は、「生」という誕生を受けてこの世に出現しましたが、「死」をもってこの世から退場します。全ての生き物もまた同様ですね。

絢爛豪華な建造物や最新鋭のIT機器なども、いずれ朽ち果てて不用品となりその役割を終える時が来ます。

この世の中にずっとずっと続くものなどなく、「はじまり」と「おわり」が延々と繰り返されるのです。

今回は、このことを踏まえたお話になります。

私たちが生きずらさを感じる時とはずばり、何かに「執着」しているときです。

自分の生き方、体験、思想、人間関係…といったものに対し、「こだわり」を強く持ちすぎるとそれに縛られ、異なった視点や考え方、人を受け入れにくなります。

でえは、執着とは具体的にはどういうことなんでしょうか?

いつまでも続いていてほしいという思いです。

例えば、恋人から暴力を受けていても別れられないでいる人がいるとします。現実にすごく多いのですが…

誰がどう考えても「即刻別れるべきだ」とわかっていても、実際本人にもそのような思いがちらついていても、なかなか別れることができずにズルズルと関係を続けている人がいます。

たとえ暴力をふるう人でも、そんな彼と「付き合っている」という状態に執着していることになります。「彼氏がいる私」という状態を手放したくないのです。

暴力をふるうという欠点はあっても、彼のもついい部分、すなわちやさしさや男らしさに強いこだわりがあるので、きっぱりと捨て去ることができません。

こういった強い「執着」にとらわれるときというのは、あることを忘れがちになっています。それが、「おわり」の存在です。

執着というのは、「おわり」が来てほしくない、ずっとこの状態でいたいと願うときに。最高潮に達します。

しかし、ご存知のように、全ての物事に「おわり」は避けては通れません

いつかおわりがやってくることを気にとめていると、執着はすうっと離れていきます。

おわり=手放すとき

この感覚が腑に落ちると、一生かけて執着するようなものは存在しない、いずれ自分の手から離れていなくなるもの、ということが実感できます。

いつの間にか「おわり」が来ることを忘れ、ずっと自分の元に「あるもの」として抱き続けていると、本当におわる=手放すべきタイミングを逃し、深い執着の闇に囚われ続けます。

しかしそれは誰にでも起こりうること。大切なものは手放したくないのは誰もが同じですから。

しかし私たちはこの世を去るときは何一つ持っていけないのですから、永遠に所有し続けるものなど存在しません。

始まりがあれば終わりもある。

こんな誰でもわかるような当たり前のことを心の隅に置いておけば、今あなたを縛り続けているかもしれない何らかの執着から離れることができるでしょう。


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