人は長所で尊敬され短所で愛される面白い生き物です。
こんにちは、おかもとたかしです。
どんな人にも、長所と短所があるものですよね。
長所がない人は存在しませんし、短所がいない人もまた存在しません。
光の部分が際立つ人もいれば、影の部分が目立つ人もいるので、長所が感じられない人や短所が全然見えない人もいたりしますが、実際には長所も短所も両方秘めています。
また、上昇志向の強い人は人は長所を伸ばそうとします。同時に短所を払拭するか、隠そうとします。
長所とは、自分の評価に直結します。長所が目立っていて広く認識されている人は、尊敬の眼差しで見られます。
この尊敬の眼差しは実に心地よく、承認欲求が満たされます。だから人々は、SNS等を通して、自分のいいところを強調した投稿をしたがるのです。
逆に、短所をわざわざオープンにしてSNSにアップするということはしませんよね。
ところが、短所には不思議な魅力を醸し出すことがあります。短所、すなわちその人の不完全さが、その人の個性となり魅力にもなり得るのです。
今回は、人は長所で尊敬されて、短所で愛される、というお話をしていきます。
人は長所で尊敬される
長所には、能力的な長所と、性格的な長所があるわけですが、能力的な長所は、後天的に磨いて伸ばすことが可能ですね。
もちろん先天的な素質に自分自身で気づいていれば、それが早ければ早いほど、「天職」として一生を貫くライフワークになることもあります。
もちろん、努力を重ねて技術を身につける後天的な能力については、その能力を得る(何らかの成果を挙げる)プロセスが、人々の感動を呼び尊敬を集めることも可能です。
また、性格的な長所については、あざといとの批判を恐れなければ、それを見せぶらかすことで、リスペクトを得られますね。
ところが、尊敬には副産物があります。それが「嫉妬」です。
出来すぎた人、天は二物を与えたかのように思える人は、とにかく嫉妬の対象にされやすく、出る杭は打たれるという、仕掛けられた罠にハマりやすくなります。
せっかくの才能が嫉妬による理不尽な攻撃によって潰された例は枚挙にいとまがありません。
そこで、そういった感情的な「負の抵抗」に対抗しうるのが、意外にも短所なのです。
人は短所で愛される
自分の短所について嘆いている人は少なくありません。
泣き虫だったり、怒りっぽかったり、忘れっぽかったり、人見知りだったり。
私たちは短所を忌み嫌い、それを表に出さないように、バレないように仕向けがちになりますが、身近に接している人たちには隠し通すことはできません。
ところが、他人は自分が思っている以上に、あなたの短所を否定的に受け取っていないことがあります。
特にあなたの配偶者やパートナーなど、極々身近な他人は、あなたの短所がむしろ愛おしいと思っていることが多いのです。
これは、人の短所を見つけることでホッとする、という一つの自己肯定感を高める手段でもあります。
「下には下がいる」とわかれば、相対的に自分の価値が上がると感じることができるためです。
もちろん、自分自身の価値とは無関係に、短所が出てしまっている人の不完全さが可愛いと感じる人もいます。
このように、長所によって尊敬を集める人が、短所の部分が知れ渡ることによって相殺されて潰されることがなくなる、ということも起き得るのです。
人はどこまでも一長一短でできている
このように、長所=素晴らしい、短所=よろしくない、と一律に語ることはできません。
長所を活かすことは素晴らしいことで、生きていくのに大切なことであるのですが、全員がそれを好意的に受け取ってくれるとは限らないんですよね。
一方で、短所がまた新たな魅力となり、その人の新たな可能性を引き出すことにもつながります。
短所で愛されると書きましたが、愛の本質とは、ネガティブなことでも肯定的に受け入れるということです。
「ドジだけど好き」「怒りっぽいけどそんなとこが可愛くて好き」といったことは、まさに短所を肯定的に受け入れている証ですね。
つまり短所のポジティブな一面にも目が向いていることであり、物事の両面が見えている状態が「愛」なのです。
愛とはフェアネス(公平中立)ということです。
人に長所と短所の両方があるのは、一方に偏ることなく実にバランスが取れている状態です。
長所で尊敬され、短所で愛されるとは、その人のことを人間として尊厳を持って認めていることに他なりません。
短所を嘆きたくなることは世の常ではありますが、そこにあなたの愛されポイントが潜んでいることもまた、忘れないでいてください。
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