『釣り箪笥』
竹書房怪談文庫マンスリー怪談コンテスト
5月投稿(5/31〆切)一次選考通過の作品です。『鳥葬』と同時に投稿した1200字以内規定のお話でした。投稿時には書けなかった結末までを加筆修正致しました。名称等は全て仮名です。(9/15)
*******************
『釣り箪笥』
昭和四十年代の話。当時、小学五年生だったKさんの家の近くには『のんきや』という小さな雑貨屋があった。
まだコンビニなど無かった時代で、菓子パンや新聞雑誌、文房具などを並べてお婆さんが一人で店番をしていた。
以前はケーキなども扱っていた様で、使われなくなったガラスケースで狭苦しい店の奥には、お婆さんが住む一間だけの住居があった。
Kさんはよく、のんきやへ漫画雑誌を買いに行った。駅前の本屋は発売日にしか売ってくれないが、のんきやは前日の夕方には雑誌を並べて、そっと早売りをしていたからだ。
夜六時頃には店を閉め、お婆さんは奥に引っ込んでしまうが、店と隣家の塀との狭い隙間を進み、台所の窓から「すいません、漫画下さい」と呼べば、お婆さんは閉店後でも窓から手渡しで売ってくれた。
ある夏の夜の、九時近くの事。
早く寝なさい、と寝室に追いやられたKさんは、どうしても明日発売の漫画雑誌が読みたくなった。
(のんきやならもう早売りをしてる)
居間でテレビに夢中になっている両親に気づかれないように、そっとパジャマのまま外に出た。
走ればのんきやまで五分もかからない。 いつもの隙間に辿り着くと、台所の灯りが漏れていた。
お婆さんはまだ起きているようだ。
台所の窓を横に滑らせ、声を掛けようとした途端、Kさんは息を飲んだ。
お婆さんは畳に寝転がって眠っている。
しかし、すぐ横の箪笥の引出しを一つだけ前に出して、腰掛けている男の子がいた。
Kさんと同い年くらいの子で帽子に半ズボン、手には細い竹の棒を持っている。
竹の先からは赤い糸が垂れていて、寝ているお婆さんの口元へ魚釣りでもするかの様にじっと、垂らされていた。
時折、お婆さんは苦しげに口をパクパク開閉し、突然、糸の先端をパクリとくわえた。
男の子は、くいっくいっと糸を引くが、ダメだ、という様に首を振った。
そして台所の窓から覗くKさんの方を見ると、フッと消えてしまった。
「うわぁぁぁああっ!」
Kさんは逃げ出そうと慌てるが、板塀から飛び出た釘が、パジャマの襟に引っかかって動けない。
Kさんの叫び声を聞いたお婆さんが目を覚まし、肘をついて起き上がった。
「坊や、どうしたの?」
お婆さんの声を聞いて、やっと落ち着くと——たった今の、見たままを話した。
お婆さんは、箪笥の引き出しを見てハッとした顔をした。
そして、店の方に回るように言い、Kさんはジュースを貰いながらお婆さんの話を聞いた。
——あの男の子は、何十年も前に亡くなったお婆さんの子供らしい。
釣りが大好きな子で何処に行くにも棒切れがあれば釣りの真似をしていた。
お婆さんがクリスマスケーキの販売で店が忙しく、目を離した隙に、一人で隣町の鉄道の駅まで行ってしまった。
ホームに座って釣りの真似をしていたら駅員に怒鳴られ、驚いた拍子に線路に落ち、貨物列車に轢かれてしまったそうだ。
「たまに箪笥の引き出しが飛び出している事があって……ようやく訳がわかった。ありがとうね」
お婆さんはKさんに優しい笑顔で礼を言った。
この後、暫くしてのんきやは閉店してしまった。
どうも、お婆さんが亡くなったらしい。
Kさんは、のんきやのお婆さんは老衰からの病死だと思っていた。
しかし、中学に入ってから、隣町から通う新しい友人に本当の事を聞いた。
お婆さんは、鉄道の駅に飛び込んで亡くなったのだ、と言う。
友人のお父さんが消防隊員で、駅の線路で轢死したお婆さんの遺体を担架で運んだ一人だが、他の自殺者と違い、不思議なほど安らかな顔だったと話していたのだそうだ。
ある年配の駅員さんが、息子さんの命日になると毎年、ホームの端で手を合わせていたお婆さんの事を知っていて、
『まさか、あの年になってまで我が子の後を追うとはね……』
と、まるで自分の母親を亡くしたかのように、顔をくしゃくしゃにして、声を詰まらせていた——と。
Kさんは、長い間、あの夜の出来事は誰にも決して、話せなかった。
Kさんも、その後、成人し、結婚し——奇しくも息子さんを事故で亡くし、逆縁の悲しみを身を持って味わってしまった。
そして、息子さんのために、何十年経とうと好物だった菓子を買い求め、仏壇に優しく供えるKさんの奥さんの表情が、あの夜のお婆さんの穏やかな笑顔に重なるのだそうだ。
どれほど年月が過ぎようと我が子を思い、激しく渦巻く母心の——
深淵の縁に立ち尽くしているような、そんな堪らない気持ちになるのだ、とKさんは話してくれた。
*******************
怪異に纏わるお話ではありますが、母と子の深い結びつきに胸を抉られるお話でした。結末を書く事に迷いましたが、心から魂の平安をお祈りし、静かに拙筆を置きます。お読み下さりありがとうございました。
©︎多故くらら 2023