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”物事を理解する”ということ -リチャード・ ファインマンの言葉から考える

後輩に仕事の指導をする際、以前は「分かってるけど説明は出来ないんですよね〜」と言われることが多く、「物事を二通りの方法で説明できないと理解したとは言えない」という話をよくしていました。

この言葉は、リチャード・ファインマンという物理学者の言葉で、正確には「“本当にわかった”と思うのは、物事に二通り以上の説明ができた時だ」です。

仕事の指導をしてると「学校みたいだな」と良くも悪くも感じます

ファインマンは量子電磁力学の研究でノーベル物理学賞を受賞した人物なのですが、具体的に何をしたのかは僕に物理学の素養がないため説明できません、すいません…。
詳しくはwikipediaを参照して下さい。

ファインマンの功績はわかりかねますが、ファインマン自身は非常にユニークな人柄であったことで知られています。
「物事をふた通りの方法で説明できないと〜」という冒頭の言葉ですが、ファインマンは大学で授業をするとき学生から質問をさせ、その物事について2つのアプローチで説明をするというチャレンジを自ら行っていたそうです。

また、研究に関しても”とにかく楽しんで研究する”というモットーを持っていました。
その一端として、食堂で皿回しをしている様子を見て、試しに皿回しを数学的に分析して数式を作ったことがあったそうです。
同僚の研究者に見せ「その数式になんの意味がある?」と言われましたが「でもおもしろいだろ!」と笑っていた、というエピソードなのですが、後にファインマンはその数式がキッカケとなってノーベル賞につながる研究や発見をしています。

最近はパフォーマンスとして皿回しをあまり見かけなくなりましたね

話が変わりますが、某接客業の研修では成績の低いスタッフに小学生〜中学生の国語ドリルを解かせていました。
単に小中学生レベルの学力を身につけることが目的ではなく、お客様とコミュニケーションを取る上で国語力は重要であるという考えを基に行っているそうです。

実際研修を受ける段階では回答がおぼつかなかったスタッフも、研修を重ねるにつれ営業成績が向上していました。
(もちろん研修は国語ドリルだけではないので、それ以外の効果もあるものと思われます)

現国なんかが苦手だった人にとっては意外と嫌な研修かも?

もしかするといざ”国語ドリルをやれ”と言われると、やもすればバカにされていると思うかも知れませんが、改めて仕事でも生活でも”意外と気づかないうちに基本のキを忘れてしまいがち”という点を思い出させてくれるようにも感じます。
そういった意味でもこの国語ドリルの研修は非常に示唆に富んでいるのではないかな〜と思います。

「いやいや!流石に小学校で習うような内容なら分かるよ!」
と思うかも知れませんが、次の質問に上手に答えられる大人は少ないと思います。

  • ”電流”と”電圧”の違いって何?どう違うの?

  • なんで分数の割り算は分母と分子を逆にするの?

  • 「三権分立」ってなに?どういう意味?

どうでしょう?
「いや、説明できますけど?」と思うでしょうか?
「う〜ん、説明できない、けどだから何?」と思うでしょうか?

「分かんないならアレクサに聞くね〜!」とか言われたら威厳が保てなくなるぅ〜

これはもちろん”大人になってまでそこまで覚えていないな〜”ということもありますが、では”国語ドリルだったら出来る”という保証はなぜ言えるのだろうか?という事になります。

ここから考えるに、小学生レベルの問題でも「意外とできているつもりでできていないかも…」ということや「出来るには出来るけど説明はできないかもしれない」ということがわかりますよね。


冒頭のファインマンの話に戻るならば、二通りの説明ができないと物事は理解できていないということになります。
つまりは、フツーの説明ができて、さらに例え話や理解しやすい話ができると良いよね、ということです。

伝えるためのアプローチがたくさんあること自体は、有意義になりやすいです

個人的な経験談ですが、まだビジネスメールの作成やエンドユーザーさんへの対応に慣れていなかった頃、文章のチェックと直しを先輩にお願いしていました。
その際に理由が理解できるように「なぜそういう表現になるんですか?」と質問することがあったのですが、多くは「こういうもんだから」と言われました。

これは僕の聞き方も良くなかったのかも知れませんが、明確な理由の説明が無かったので当時は不満に思いました。
なぜ?という理由が理解できないままだと、同じミスを繰り返す可能性があります。

基本を押さえることと、自分自身が理解をしておくことはとても重要だと思います。
「それはそういうのが通例になってるんだよね」というだけではなく「なぜならこういう背景があるからなんだよ」と二通りの説明ができると、説明される側も納得して作業ができると思います。
もしくは「こういう背景があったけど、今の時代では無駄かもしれないね」と改善に繋がっていくこともあるかも知れません。

論理化・言語化ができない物事ほど、直感的・感覚的に"なんとなく"行っていると言えますね

国語ドリルの話に倣えば、少し極端なくらいには基本に戻るように心がけても良いのかもしれません。
例えば、NHKではNHK for SchoolやNHK高校講座などで、小学生〜高校生向けの番組や教材を公開しています。

ヘタにビジネス本などを齧るよりも、こういった基本に立ち返った内容のほうが、よくよく考えると理解もしやすいし見落としに気づけたりするかもしれません。

もちろん、「”電流”と”電圧”の違い」を二通りの方法で説明できるなら、その必要もないのかもしれません。
そういった方は、ぜひリチャード・ファインマンの功績についても僕にわかりやすく教えてもらえると嬉しいです、なにとぞよろしくおねがいします。

電気って意外と難しい…

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