港の人

ーあるいは旅の備忘録、3月の真鶴にて

汽車に乗って、とおくの町に赴くのはよいことだと、朔太郎さんはお書きになられた。彼は、たぶん、あの青白いお顔で、寂れた農家の裏山の墓の中の蛙の事なんかを考えながら、流れ行く景色を眺めていたんじゃないかしら。

ー東海道線を乗り継ぎ揺られながら、わたしは「猫町」の頁をめくってみる。

ボドワール夫人を死に追いやった猫の影ーガラスの町の住人に化けてた猫たちー 夫人のこめかみから流れ落ちる血ー たぶん、猫は心の奥に眠る本性だろう。あの人にとって鉄筋コンクリートという言葉が虫と一対であったように、猫は何かと一対なのだ。一体、それは何かしら?お向かいに座るおばあさんの影が、猫のそれのように見えてしまう。

にゃーお。 艶かしくて丸い生き物

真鶴は少し寂れた町だった。人気のない港を抜け、海沿いの道を歩く。前の夏の台風でさらわれた歩道がそのままに、崩れた建物もむき出しに、海風に吹かれて潮の香を吸っている。急に現れた菜の花も、風に揺られて、舞っている。

貴船神社にたどり着いた。石段が枯れた苔で黒ずんでいる。長い階段の先に、山桜が咲いていた。満開の花の薄紅色が、吉原の遊女の袖からのぞく、薄衣のようで、なんだか芳しくて抗いきれず、吸い寄せられるように石段を登る。花は風に舞って、枝をしならせ梢から離れ、花の形を残したままに、ぽとりと落ちて、石段を飾り、時折私の肩にも落ちてきた。 赤いべべに身を包んだ女の子がでんでん太鼓を鳴らしながら、楽しそうに遊んでいる。見晴らしの良い境内から、真鶴の海が見える。海を背にして供養塔が建てられている。桜の木の麓には、苔むした立派な狛犬がいた。この犬の、桜を背にしょった真っ黒な影が、猫の姿に見えてしまった。

にゃーお。

あぁ、なんだか憂鬱で仕方ない。



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