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好きすぎるのも問題がある

ラーメンが好きだ。

それくらい好きかというと、「今日は、甘めのつけ汁」「今日は、鳥白湯と野菜のブレンドかな」とか、その日の気分で店を選ぶくらいには好き。

二郎系ラーメンの気分の日に、絶対に濃厚魚介とんこつのつけ麺は食べたくない。いや、食べられない。口が、舌がもう、二郎を待っているから。二郎系ラーメンの日には、自分が行ける範囲の最高の二郎系ラーメンを食すため、メトロで東京中を駆けめぐる。

だから、ぼくにとって、コンビニとかサービスエリアのラーメンは、できれば食べたくない。申し訳ないのだけど、あれはラーメンとは、別の種類の食べ物だ。もっとひどい言い方をすると、「無駄なカロリーを摂取したくない」とさえ、思っている。

決して、コンビニのラーメンがまずいと言っているわけではない。
ぼくはコンビニのよりももっと、美味しいラーメンを知っている。どうせなら、より美味しいものを食べたいという人間の根源的な欲求に従っているだけである。

あるものを好きになると、その対象への解像度がものすごく高くなる。
小難しいことをいっているけど、要は、こだわりについて、である。

ぼくにとっての、ラーメンがそれである。

好きすぎるあまり、こだわりすぎるあまり、ラーメンの味や種類、麺の太さなどのひとつひとつのディテールが気になりはじめてしまったのだ。

ぼくにとって、味噌ラーメンはラーメンではなく、「味噌ラーメン」なのだ。

好きになりすぎて、こだわりと化してしまった。こうなると、かなり不便を強いられる。

例えば、会社帰り。
先輩に飲みに誘われ、ひとしきり飲んだ後、「〆行かない?」と言われた暁には、もう、最悪な気分になる。
ぼくは引きつる顔を隠すように、元気に答えるしかない。
「そ、そうっすね!俺もラーメン食いたいと思ってたっす!」

先輩の顔がぱっと明るくなる。
「いいねえ!じゃあ、どうしようか、無難に一蘭でいいか?美味いし」

「そ、そうすね!一蘭、〆にぴったりですしね!」

ぼくは泣く泣く一蘭の細い麺をすすり、(ちゃんと美味しい)スープを飲む。(決して飲み干さないようにしている)

断っておきたいが、一蘭は決してまずくない。しっかりと美味しい豚骨ラーメンをいただけるお店だ。
今では全国的なチェーン店となり、いつでもどこでも気軽に食べられる。

麺は細めですすりやすく、特に〆の一杯にはもってこいだ。コクがあるのにくどくないし、アルコールまみれの胃袋をイイ感じで満たしてくれる。

文句ばっかり言ってないで、文明の進化に感謝しなくてはいけない。

でも、違うんだ…美味しいとか、美味しくないとか、そういう話じゃないんだ…

ラーメンは、言わずと知れた超高カロリーフードである。おまけに脂質も糖質も高い。肥えるための条件を満たしたデブ飯の中のデブ飯。

好きだからと言って、毎日食べられる代物ではないのだ。アラサーに片足を突っ込みはじめ、油断すると、すぐにお腹まわりが主張してくるようになった昨今。頑張って、ラーメンを食べる頻度を抑えているのだ。

たまにしか、月に2度しか、ラーメンを食べないようにしているのだ。だから、その「たまに」に精いっぱい向き合いたい。自分が心から納得する一杯を求めたい、すすりたい。

ずっと我慢してきた…土曜日は久しぶりにあそこの店に行こうか…そう思ってた。でも、先輩から誘われて、ラーメンをもう、食べてしまった。ちぎってしまった、たった2枚しかない回数券はもう、戻ってこない…

読んでいて、「面倒くさいな、こいつ」と思ったかもしれない。
いや、もう読んですらいないのかもしれない。正直、ぼくも自分が面倒くさいし、日常生活に支障をきたしているとさえ感じる。

このままでは、人間関係でのトラブルも起こりうるかもしれない。いつものように笑顔で〆のラーメンを誘ってきた先輩を羽交い絞めにしてしまう日が来るかもしれない。

「俺は来週煮干しラーメン食うんだよ!今一蘭を食ったら食えないんだよ!責任取ってくれるのかよ!食った分のカロリーをなかったことにできるのかよ!」

狂っている。

でも、少なからず共感してもらえると思う…
そんなことを今さっき思いついた。こんな感覚に近いだろう。

好きな歌手のことをイメージしてほしい。

あなたはその歌手が好きで、ライブに何度も足を運び、通勤や通学で欠かさず、毎日曲を聞いている。インタビュー記事には必ず目を通していて、そのアーティスの行きつけの店や、よく頼むメニューまで知っている。
好きすぎてもう、「ライブ音源じゃないと、なんかもう物足りないよねえ」とか言っちゃったりする。でも久しぶりにインディーズ時代の原曲を聴いて「やっぱり、CD音源…神…」とか一周まわったようなことも言っちゃう。

ある日。テレビでものまねのバラエティー番組を見た。

そこでは、とあるものまね芸人が、あなたの好きな歌手のヒット曲を歌っていた。

スタジオからは、ひゅーひゅーと歓声が上がり、若手女優の「似てる~!」という声とともに、驚く表情がワイプに抜かれる。

曲が終わると、拍手ともにMCとアナウンサーが、その芸人をほめたたえ、ゲストに感想を促す。絶賛のコメントを貰ったものまね芸人は舞台袖に消える。

誰もが一流のものまね芸の余韻に浸る中、ただひとり、納得していない人がいる。

「なんだよこれ、ちっとも似てねえじゃねえか。こんなにブレス伸ばさないし、ファルセット使わない。息継ぎのタイミングもおかしい。それにマイク。そんな握り方しないし」

そう、あなたである。

あなたは大ファンであるがゆえ、その歌手の仕草の細部にまで目をこらし、歌声に耳を傾けてきた。だから、他の人では気づけないことに、当たり前に気づいてしまう。

もし仮に、あなたが友人と、そのものまね番組を見ていたとしたら最悪である。

みんなが「似てる~」と盛り上がっているさなか、一人だけ、「は?どこが?」とムスッとしている。

みんなの楽しい時間に、水を差しかねないのだ。あなたは。みんなは気軽なノリでいるのに、あなただけマジになっていて、なんかめちゃくちゃ怒っている。
「ものまね番組見てただけなのに、なんでそんなに言われないといけないの?」と友達にたしなめられる。

好きすぎて、大事な友人を失うのかもしれません。あなたは歌手で、ぼくはラーメンで。

あなたもぼくも、同じ種類の人間です。

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