北海道過疎化と演歌そば

私が子供の頃には、身の回りに演歌が溢れていた。

北海道の外れの小さな小さな町内会でも、お祭りには出店が並び、人が溢れ、20時ころから始まる老人会主催のカラオケ大会で、神社の横にある地域一番のステージで、幼い私は祖母に促されるまま細川たかしの北酒場を唄わされた。

ゆるゆるのジャージのズボンの腰回りに、見慣れたおじいさんにおひねりをねじ込まれ、ステージの最前列で泣きそうな目でこちらを凝視している祖母にだけ焦点を合わせて、ひたすらに今自分ができる(北酒場を唄い切る)ことを全うした。

あれから40年経ち、札幌以外の北海道の「都市」だった街は廃れ、人口減少の一途を辿っている。

かたや音楽界に於いては、ポップス、ロック、デジタルミュージックが一般化し、演歌は(批判の意図はありません)イロモノ扱いに近い存在になっている。

現代の演歌といえば、氷川きよしか三山ひろし。年に一度NHKで紅白歌合戦で見る程度だ。

平成の末期にテレビで盛んに流れていたい「令和に残したい歌」系の番組を、喜んで観て一緒に唄っていたのが既に懐かしささえある。

話は替わるが、演歌とほぼ同時期に好きだったのは、大相撲である。

当時は、千代の富士、北勝海、大乃国など、北海道出身の力士が、番付の上位をひしめき合っていた。

テレビしか娯楽が無い北海道のド田舎で、同郷の大人達が力自慢で日本一を争っているのを見て、誇らしい気持ちで応援していた。

演歌もそれに似ているように思う。

「北」「雪」「漁場」など、北海道を連想させる歌詞が演歌には多かった。今でもそうなのだろうか。

大相撲と演歌がテレビの花形で、その背景には北海道が必ずと言っていいほど関わっている。子供心にそれは明確に感じて、自分の意図とはかけ離れた理由でも、北海道に生まれ育っていることに何か特別な扱いを受けている錯覚が、あった。

あった。

今は、無い。

ど田舎出身の、他人とはちょっと生活環境が違うところで生まれ育った、というエピソードを持つただの大人だ。

祖母が亡くなって、特に大きな成功体験の土産話も無いまま、第二の故郷釧路の人がまばらな歓楽街のバーで飲んできた。

昔は栄えていた氷の街を歩きながら、何故こんなに変わってしまうのかを考えていた。

釧路の場合は、①炭鉱の閉鎖、②国鉄の民営化、③大型ショッピングモールブーム?と利便性の高さ、が挙げられると思う。

とはいえ、①と②は私の子供の頃の話であるし、その後も栄えていた印象はある。

③の要因がかなり大きいと思う。1990年代後半からMYCAL、JUSCO、コーチャンフォーが郊外にそびえ立ち、釧路初出店の有名店が名を連ね、車社会の地方ならではの利便性の良さも好走し、人がどんどん郊外に流れて行ったことで、繁華街のシャッターが降りていった。

実際に元MYCAL、元JUSCOだった現イオンモールに行ってみると、人は多い。し、大体の用は事足りる。

ただ、繁華街に繰り出すときのワクワクが、少ない。

何も起こらないけど何かが起こる予感、同じ景色なのに新しいものに出会える期待、というと大袈裟に聞こえるかもしれないが、何かそんなものが繁華街にはあった気がする。



と、ここまでは釧路で思っていたこと。

ひょっとして、

もしかしたら、

北海道の過疎化が進む要因の一つとして、演歌の非大衆化があるのではないか。

そんなことを高田馬場の富士そばにて初めて聴く演歌を背に、紅生姜天そばをすすりながら思いに更ける。

酔ってるな。日本酒飲み過ぎた。

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