弦楽四重奏曲第1番ト長調 K.80(モーツァルト)
ようこそ、CLASSIC BAR VERSTECKへ。
さて、"本日のオススメ"は、モーツァルト作曲の『弦楽四重奏曲第1番ト長調 K.80』です。(数字は11-312・名曲解説全集第3巻-P311)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト先生。1756年-1791年(35歳)の、オーストリアの作曲家でしたね。
弦楽四重奏曲第3番ト長調の回、交響曲第33番変ロ長調の回、弦楽四重奏曲第19番ハ長調の回、レクイエムニ短調の回に続いて、5回目の登場です。
本日の曲は、『弦楽四重奏曲第1番ト長調 K.80』。
弦楽四重奏曲率高いですねww
23番まで続く弦楽四重奏曲の、記念すべき第1作目。
先生、14歳ころの作品です。
このころまでに、交響曲、ピアノ協奏曲、セレナード、ヴァイオリン・ソナタ、歌劇、ピアノ小品、モテット・合唱曲、などが作られています。ピアノ・ソナタは、まだですね。
通称「ローディ(ロディ)」。
1年4ヶ月にわたる、第1回目のイタリア旅行の、宿泊地であるローディで書かれたもの。
最初に赴いたミラノには、2ヶ月ほど滞在したようですが、ミラノを出立したその日に書かれたものだそうです。
先生にとって弦楽四重奏曲は、どうやらこのミラノで初めての体験だったようで、その音楽体験を定着させるために書いたようです。
交響曲は第9番まで進み、ピアノ協奏曲は第4番まで進み、オペラも3曲まで進んでいる、そんな時期の曲です。
第1番といえども、先生の場合、幼稚園の頃から作曲していますから、中学生の作品ともなると、かなりの大人になっているわけですね。
当初は、イタリア風の3楽章形式で作られたようですが、2~4年後に、第4楽章が追加され、ウィーン風の4楽章に落ち着いたという経緯があるそうです。
先生的には、どうやらこの曲は大変愛着があった作品となったようで、7年後のマンハイム・パリの旅行の際は、この曲を携えていきました。
この曲ができた時代としては、弦楽四重奏曲の父=ハイドン先生も、弦楽四重奏曲全体の1/4くらいを作曲したくらいの時期です。
父が父となったであろう「ロシア四重奏曲」、モーツァルト先生の作品的にはハイドンセット(第14番から第19番)が書かれたのは、第1番の8年ほど先のお話。
本日の音源は、JG Arrangementsさんのチャンネルを視聴しながら書き進めてきました。ありがとうございます。
本日もご来店いただきまして誠にありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?