経済学の偉人の思想を踏まえて
🎈まえがき
アダム・スミス、マルクスの思想を学んでいく中で、今思ってることをポツポツと、色々書きました。なるべく多くの人と、こういったテーマについて話したいと思い、少し砕けた文調で書いてみました。(色々寄せ集めなので、ですます調が揃ってません。)
2020年早々、在宅勤務になり、社会や経済について考えるようになりました。それまでは、何かに追われて生きていましたが、大切なものを見つけるための「余白」が生まれたように思います。
「余白」によって、現代社会での「僕の交換価値」が少し高まってる気がするのも、少し皮肉なことですが、引き続き、より良い社会、わたしたちのウェルビーイングについて、考えたり、作っていきたいと思っています。
🎈自己紹介と問題意識
最近の仕事
最近は、ユーザーインターフェイスの「わかりやすさ」「使いやすさ」をつくる仕事をしています。
SNSに対する問題意識としてもっているのは、「サービスに滞在してもらうために、あらゆる心理学的な手法を駆使して、人間を没頭させる方法を考えるところ」です。無限スクロールだったり、パーソナライズされたフィードだったり。Human Centered Designなんぞ言いますが、本当に人間のことを考えているのか。このままユーザー数、広告を信じて進んでいくことに怖さも感じています。ただ、僕は、サービスの成功のために、あらゆる手法を学び、駆使します。(矛盾する自己)
「わかりやすく使いやすい道具」ができることは嬉しいですが、(行政のUXは、本当に改善して欲しいと思います)、SNSは度が過ぎていて「万人の覚醒剤」のように人間を犯しているように思います。辛い。SNSは、社会的な関係を維持するためには欠かせない道具なので、広告収入で滞在を伸ばして儲ける方法ではない、新しいコミュケーション方法が生まれたら良いなと思います。それは、ブロックチェーンやプラットフォームコーポラティズムを学び、進めることによって、実現できるのではないか?という期待を抱いているところです。
我々は、サービスにこれ以上何を求めるのか?これ以上何を便利にするのか?止まんないぜー!
その他の関心
大学時代は物理で、「万物の根源は何か?」「宇宙は加速膨張しているのか?」というところから入り、いつの間にか「最強の計算装置を作る材料は?」という極めて実用的な問いに移行していました。科学育ちなので、何かをわかろうとする癖がありますが、最近はそうじゃない気もしています。わからなくてもいいんじゃないか?そんなふうに思います。
あとは、ヒップホップなどのストリートカルチャー、カウンターカルチャーだったり、音楽をやること、お笑いをやることに関心があります。
笑いによって、心理的安全性が生まれたり、チームでの発散の際のアウトプットの量が増えることに魅力を感じています。欧米のスタンドアップコメディのように、社会問題への言及も、笑いを通してつくれるのではないか?と思っています。
🎈考えたこと -アダム・スミス-
ハッシュタグ・キャンペーンは真の「共感」なのか?
アダムスミスを読む中で、人間の中に「利己心」と「共感」がある事を知る中で、特に、以下の「利己だから公益になる」という視点が気になりました。
現代において、ハッシュタグ・キャンペーンや市民運動、気候正義の運動が盛んになってきていますが、これらは、利己心、見栄、アピールといった側面も持っているように思います。若い世代の献血率は下がっているという調査を読みました。献血は、SNSでアピールできないし、誰に届くかわからないからだという意見もあります。
実際、ミレニアルズ、GenZの中で、SDGsや正義感がトレンドだったり、それをInstagramに上げることがクールであるという文脈もあります。ハッシュタグ・キャンペーンや市民運動やクラウドファンディングは、カッコつけの面もありつつ、良くも悪くも、利己心の追求によって、社会のためになっているような感じがするところに、良さを感じています。トレンドに乗っかって個人が騒ぐ社会って意外と良いのでは?と思う節もあります。
🎈考えたこと -マルクス-
僕の欲望は、ある程度、既に教育されてる
ディズニーランドに行きたい。ベルリンに行きたい。タバコ吸いたい。マリファナを合法化してほしい。好きなブランドの服を着たい。可愛い女の子と遊びたい。病気になったら、綺麗な病院で診断されたい。フジロックに行きたい。
「脱成長」で、綺麗な病院は維持できるか?
健康診断で病院に行った。綺麗な病院。日本っていい国だなって思った。商品の交換が存在し、共同体ではないからこその責任があるように思えた。貨幣の獲得が自己目的化した社会だからこそ、存在しうる"ユートピア"。交換経済によって、マーケット競争があるおかげで品質が担保されている。貨幣以外に、綺麗な病院を作る方法があるなら考えたい。貨幣以外に、人々のモチベーションを維持する方法を考えたい。医療は、エッセンシャルワークだ。競争、成長がないような共同体社会において、果たして成り立つのか?
企業の共産主義的側面
山口周さんのツイートにあったが、企業では、みんながそこそこの給料をもらえ、そこそこの福利厚生を受けられる。これって、「可能なコミュニズム」なんじゃないか?僕こそ、辞めたりして、逆にリバタリアニズムなんじゃないか?なんて思う。
話は変わるが、シェアハウスのキッチンで、「脱成長コミュニズム」の話をした。ある友人いわく「結局、ジェフベゾスも、外部性とかありつつ、労働作ってるじゃん、資本主義って、結構いいじゃん。テクノロジーで、AmazonでPayPayでUberEatsで幸せになったじゃん」となった。それは確かにそう。
価値の尺度への疑問
既存の幸福度調査の問題点は、さまざま言われている。ウェルビーイングの研究でも、人間の幸福度の尺度を作ろうとしている。何が大事なのかの尺度(KPI)を決めていくことは大事なのか?
遠くの人にも「いいよ」と言いたい
本当に大切なことを教えてくれるそれぞれの信仰(音楽などの芸術も含め)と、「大丈夫?」「いいよ」と言ってくれる人が、3人でも近くいれば、幸せなんじゃないかと思う。それなりの承認欲求を満たせる共同体を作ること。忌野清志郎が言うように「愛しあってるかい?」って事なのかもしれない。
まあ、それは大事だとして、負の外部性とどう向き合ってくか?と言うことを考えたい。時間と空間に制約があるので、みんなを愛するのは無理だ。インターネットでどうにかなるかもしれない。でも、アルゴリズムによって、僕たちはバグってる。
どうにかしないと。
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