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思い通りの人生もその程度「タイタンの妖女」

よくある話で「人は自分のために生きなきゃダメ」とか「人生の意味を見つけなきゃいけない」とか言われますけど、多分それも誰かに言わされてることなんですよね。

例えば土星を廻る衛星に家族三人で飛ばされたとして、そこで人生の意味を見つけるためには何をすればいいですか?

僕の場合は多分、少なくとも上昇志向はないでしょうね。
目の前の何かしらから幸せを感じ取れたらそれで本望なんだと思います。それも重力次第ですけど。

「タイタンの妖女」

あらすじ

成金の息子であるマラカイ・コンスタントは、時間を超越したことであらゆる過去と未来を見通すことができるラムファードに「君は火星に行って私の家内と番う。それから水星に行って、もう一回地球に帰ってきた後、タイタンという最終目的地で暮らすことになる」と言われる。
それからマラカイ・コンスタントは必然的な流れとして火星へ行くことになり、その流れの赴くままにラムファードの予言通りの人生を歩むことになる。
繁栄と衰微と、あらゆる星であらゆることを経験させられたマラカイ・コンスタントは、行き着いたタイタンにて人生の本当の意味を見出すことになる。

考察

まず時代背景として、この小説の冒頭では「あらゆる人間の中にひそむ真実に気付かずに、人類は外をさぐった ー中略ー そして、ついに先発隊を宇宙空間へ、無限の外界の、色もなく、味もなく、重さもない海へと投げこんだ」と書かれています。
そしてこの小説が出版されたのは1959年ということで、絶賛アメリカとソ連が宇宙を目指して競っていた時期です。
要するに作者は、外を目指しついには宇宙へ行こうとするほどの探索精神と競争社会に対して風刺をしているんですよね。
外を目指すことが善いとされている風潮の中で、その先の時代をSF小説として書くことで「どうせ外を目指したってこうなるんだから、それだったら内側を磨いた方がいいよ」ということを言いたいんだと思います。
これこそが小説の真骨頂ではないでしょうか。

またこの小説は、冒頭と締めで「天にいるだれかさんが気に入っている」という言葉を用いています。ただし、それを言っているのは別人です。
冒頭では主人公のマラカイ・コンスタント、そして締めはその友人のストーニイ(マラカイ・コンスタントの夢の中)です。
この話の構成はすごくいいなと思いました。
僕は普段から、自分で自分を評価することほど傲慢なことはないし、人から価値を見出されることほど光栄なことはないと思っています。
冒頭の発言に関しては、成金の息子として鼻高々なマラカイ・コンスタントの我が物顔の成金発言が嫌味に聞こえますが、最後の最後で友人がマラカイ・コンスタントに対して価値を見出し評価を下したというのは清々しくもありました。
地球で繁栄を築いて失って、火星で失って失って、水星でも同じようなこと、そして地球から追い出されるようにしてタイタンに到着した彼に最後訪れたものが安息と友人からの評価、というのが地に足ついてる感じがしていいなと思います。

ついでに言えば、考察でもなんでもないですが、ラムファードが説いた新宗教が面白すぎたので一部抜粋します。

地球と火星の戦争後、慙愧の念が広がっていた地球に対して、ラムファードは<徹底的に無関心な神の教会>という新宗教を知らせる
旗文字には「人びとをいつくしめ、そうすれば全能の神はご自分をいつくしまれる」と記す
「マラカイ」と呼ばれる人形の首を絞首人の結び目で絞める
マラカイ・コンスタント、別名「アンク」を宗教におけるシンボルに据える
優れた人間は生まれながらにハンディキャップを背負う必要があり、美人の場合は汚い服と品のない姿勢と気持ち悪い厚化粧をする
鐘が鳴るときの掛け声は「無地獄」

矛盾と滑稽とで爆笑してしまいました。
不安定な時代にあって繁栄を極めるものが宗教であるとして、それを全て計算通りに行えたとしたらこんなこともできるんですかね。

ラムファードは、地球と火星の戦争の仕掛け人です。それから地球が火星をコテンパンにしたことで恥を与えたところで、すかさず新宗教を布教しています。
自分で地球を不安定にさせて、自分で説いた宗教に入信させる。やりたい放題ですね。
そんな描写はなかったですけど、もしその熱心な信者を見守るラムファードについて書かれていたら、ラムファードも爆笑してたんじゃないかな、と思ってしまいます。

感想

この小説の最大の見せ場はやはりオチです。
くだらない、というのがこの本の感想に適しているのかは分かりませんが、少なくとも僕はそう思いました。正直くだらないです。ただ、その「くだらない」という感情の向けられた先は自分自身の遍歴に対してでもあります。
この小説では、風呂敷を広げて広げ切って、最後の最後でちっぽけな視点から地球の歴史を振り返ります。
これを踏まえて自分の人生も振り返ってみると、僕は他者評価以外で何かを始めようと思ったことなんてないということを思い出しました。スポーツできるしやった方が良さそうとか、勉強やった方が良さそうとか、職についた方が良さそうとか。
そういうものを一旦取っ払って、マラカイ・コンスタントと同じように家族三人で衛星へ飛ばされた場合、自分ならどうするだろうと思案しました。
特に何もしないで、何かやらなければならない最小限のことだけやると思います。
掃除、食事くらいで、何かやりたいと思ったときにそれができるだけの環境を整えられたらそれが理想かな、とも思います。
人生も所詮その程度かもしれません。本心から上昇志向がある人はそうすればいいと思いますし、ダラダラしていたい人はそうしたらいいと思います。
今まで生きてきた数十年間で大体の価値観は定まってますし、後付けで身につけた他人の考えにはどうしても異物感が残ります。
僕に上昇志向なんてないですし、なだらかな下降をしたまま人生を終えられたらそれで十分ですね。
とにかく面白かったです。

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