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自惚れ娘の作り方「痴人の愛」

何もないところに自信を与えられて、それが身になる経験を得て、そして最後に飼い主を出し抜いた瞬間にこそわがままな人間は生まれるのかもしれません。
愛情の与え方は分散させたほうがいいのだと思います。それがこの主人公の最大の失敗ですね。

「痴人の愛」無料で読めるのでおすすめです。

登場人物と要点まとめ

河合譲治…主人公、会社でのあだ名が「君子」、変態
ナオミ…ヒロイン、譲治に拾われる、自惚れ娘

この話は、ナオミが生娘からド腐れ娘に至るまでのその経過を、譲治視点によって描いています。

考察

まず前提として、これだけのわがまま娘に仕立て上げるためには、ナオミの素直さと譲治の変態性と社会との隔たりが必要になると思います。

人から得るものになんの混じり気もないと思えるだけの素直さ。
自分で好みの女を育てて自分の女にして見所を日記に記そうとする変態。
そして関係性を限定すること。

ジムローンの有名な言葉で
「あなたは最も多くの時間をともに過ごしている5人の平均である」
というものがあります。

ナオミが置かれている環境は、まさにこの効力を最大化させるだけの閉塞感があると思います。

結果として、譲治から変態を学び、数少ない友人から痴態の需要を感じ取り、それらを踏み台にして憧れの西洋人と対等に渡り合うようになります。

ここで、数少ない友人の一人である浜田君の言葉が生きてきます。
「ナオミさんはそんなに悪い人じゃありません。みんな彼奴等が悪くさせてしまったんです。」
この浜田君という人は、この物語の中で唯一、重要人物でありながら常識を持った人間です。
その人が情を差し置いて言ったこの客観的な言葉には価値があります。
それが分かるナオミなら良かったのですが、この話ではそうはいきません。

それと出会いの順番という問題もあると思います。

純情な人が純情な人と出会って結婚まで至る場合、そこにねじれた感情は介入しません。
しかし、巡り合わせで狂った人間と出会ってしまった場合、その狂いどころが価値基準のベースになるので、変態を邪険にすることが出来なくなります。

インターネット世代の人が、若いのに捻じ曲がった性癖を抱えている、という話はよく聞きます。僕もその一人です。
だからこそ言えることですが、当たり前に生きていたら知ることもなかったであろう非日常の光景が、クリック一つで簡単に手に入る今の状況ははっきり言って異常です。

同じような話で、ナオミがもし最初に浜田君と出会っていたなら、あるいは出来上がりに多少の品格も備わっていたのではないかと思います。

しかしこの物語では、十三歳上の男からねちっこい視線を浴びて育ち、身体を使えば思いのままになることを知る。
そしてチャラい大学生と出会い、同年代との距離の詰め方を理解したところで浜田君と出会っています。

全部が逆なんですよね。
もしこれが浜田君からだったら、同年代なので贅沢をさせてあげられないし、ナオミもそれを理解しているので必要以上にそれを求めない。

ただしこれは机上の空論でしかないです。
実際ナオミには家族から放置されていた子供時代があるので、自由な身になると同時に欲望が反発することもあるでしょうから、結果的な仕上がりは変わらなかったかもしれないですね。

まとめると
「素直なナオミが、譲治からの変態性と付随する贅沢に溺れて、どこまで行っても歯止めがきかなくなる話」
というところでしょうか。

感想

多分作者が変態なんでしょう。
女体を彩る語彙の数々がずば抜けています。
しかもこれが百年前の作品だというのも面白いです。
やっぱり女体の魅力は時代を越えますね。
また、男が女に振り回される話を百年前に書いているというのも興味深いです。
わがままな女キャラに振り回される主人公、というのは数年前くらいのメガトレンドでしたが、「痴人の愛」はその源流の最初の一滴のように思えました。
しかも構図として「飼い犬に手を噛まれる」ということわざを体現したような話なので、読んでいて本当に飽きないです。
あれやこれやが発覚したあとの主人公の慌てぶりも良く分かりますし、しかしその根本的な原因は主人公にあるのでなんとも言えない感情になるのもまた面白いです。

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