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思想派ミニマリスト「一九八四年」

自由自在の語彙力があるとすれば、それ相応の想像力がついてくる。しかしこれは逆説的に言えば、言葉狩りをすることで相手の思考力を奪うことさえ出来るかもしれない。

というのが、この本を読んだ最初の感想です。

大雑把な世界感

・〈ビッグブラザー〉という崇拝すべき存在が党のトップに君臨している
・〈ブラザー同盟〉という敵組織がある
・同程度に強大な国家が他に二つあり、1984年現在は抗争中、もう一つの国とは同盟関係にある
・テレスクリーンという金属板から絶えず監視されている
・四つの省によって秩序を保たれている
真理省-虚偽
平和省-戦争
愛情省-拷問
潤沢省-飢餓
がそれぞれの担当である
・ニュースピークという新しい言語によって無駄な言葉が省かれ、将来的には単語だけで会話出来るようになる

だいたいこんな感じです。

考察

どれもこれも凄まじい設定なのですが、まず僕が気になったのはニュースピークについてです。

言葉を省くことで思考の範囲を狭める。

言われてみれば、たしかに語彙力と想像力は因果関係にあります。
語彙がなければ想像を形取ることが出来ませんし、想像出来ないならそもそも語彙を用いる必要がありません。

人から想像力を奪うということは、それは自由を奪うということと同義です。
自由に生きるためにはその自由を思い描く必要があるので、想像を欠いた上での自由は、自由ではなく模倣になってしまいます。

人の操り方はいくらかあると思いますが、その全てに精通する想像力を奪って仕舞えば人は簡単に付き従うのでしょう。考えただけでゾッとします。

次にこのタイトルである「思想派ミニマリスト」についてです。

ミニマリストというのは、無駄を省くことで本当に大切なものに気付ける人のことです。
それ自体は立派なことだと思います。

ただこれは僕の経験談ですが、ミニマリストに憧れてあらゆる無駄を削ぎ落としたら、実は自分には大切なものが何もなかったことに気付けた、という悲しい出来事がありました。

これも先ほどの想像力の話に繋がっていて、ミニマリストという何やらな偶像に憧れた結果、空っぽな自分が浮き上がったということです。

同じような話で、想像力を欠きながら思想まで削ぎ落としてしまうと、頭の中が空っぽになってしまいます。そこにつけ込むように思想を流し込んで仕舞えば、それが例え捻じ曲がったものだとしても疑うことができません。

この本でもその流れを忠実に辿っています。
拷問によって正否の判断を鈍らせたところで、党が押し付けたい正しさを一つ一つ教え込むという描写がまさにそれです。

そして現代でも、あんまり言葉にはしたくないですが、知らないうちに似たような目に遭っている人がいると思います。
それが現代においては拷問ではないというだけの問題で。

これこそが、僕が言いたい「思想派ミニマリスト」の末路です。

捨てるものは選んだ方がいいです。残すべきものが何かも分かってた方がいいです。それがわからないなら、誰かの言うことは聞くべきじゃないと思います。
そうでもなければ、折角長い時間をかけて培った自分の思想が上書きされるかもしれないので。

感想

この本は、誰が読んでも面白い、という部類に入ると思います。
分かりやすい例で言えば太宰治の「人間失格」でしょうか。
人間失格は、誰にもあるような思い出を体験として描写することで、あらゆる側面から共感させられるという本だと思います。
「一九八四年」も同じような手法ですが、この本ではそれに経済、仕組み等を絡めて描写しているので、SF小説という近寄り難い世界観であるのに何故か共感してしまう、というかなり高等な技術が織り込まれています。
政府が事実を包み隠す、というのはある程度現在に通じるところがあります。徹底的な監視社会は既にお隣の国で実装されていることです。
あとは強制力があるかどうかですが、今の時代でそれは少し難しい気はします。ただ、もし膨れ上がった民意が強制力を必要とする時代になるなら、そういうルートもあるのかもしれません。

あと、たぶんアニメの「PSYCHO-PASS」はこれをモチーフにしてると思うので、好きな人は一度目を通しておいたほうがいいです。

とにかく他人事とは思えないです。いつかこんな時代になったとしたら、その時に優先すべきは人権か平和か、という問いは重くのしかかるんじゃないでしょうか。

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