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『ドライブ・マイ・カー』

 車の運転ほど、腰が上がらないものはなかった。記憶が正しければ2017年の半ばに教習所を卒業したが、実際に免許を取りに行ったのはその年の暮れだった。同志社大学に在学していたので、あまり勉強しなくても最後の筆記試験に合格するだろうと思っていたら普通に落ちた。
 そもそも教習所だって9か月くらい通った。人生で数名程度存在する、「こいつとは何話してもダメだ」と思う人物の一人が、教習所の担当教官だったからかもしれない。私はいつも担当教官以外を指名し予約していたが、時に教習所の都合で担当教官が指導に当たらざるを得ないことがあった。私も、彼も、得をしない。いや、彼は気に食わない私を教えることで給与を得ているし、私も本当に嫌な思いをしつつハンドルを握ることで、普通運転免許証という国家資格を得るのである。きっとWin-Winだ。私の運転に嫌味を飛ばす教官と、あなたの教え方が終わっていると応酬する私。とても自動車教習所とは思えない言葉と言葉の殴り合いを経て私はいま首都高速道路でハンドルを握っているのだと、時々思い出すことがある。
 首都高速道路から東北道へ出る時。一気に車線が増えて視界が広がった時。あれほど億劫だった運転だけれども、いざやってみるととても楽しい。ウサイン・ボルトが逆立ちしても敵わないスピードで車を走らせる。彼の運転免許の有無については存じ上げないが、おそらくウサイン・ボルトも車に乗るから、ウサイン・ボルトと競争にはならないのだが。長い時間、長い距離を運転していると本当に自分の力で進んでいるような錯覚に陥る。何故なら人生も同じようにハンドルを握り、右へ左へコントロールし、明らかに外的要因で止まったり進んだりしているからだ。家福さんやみさきが車を走らせるさまを見て想起させられるのは人生そのものだった。そんな『ドライブ・マイ・カー』。

 大学生まで、私の人生の指針は、「絶対に死なないようにする」ことだった。宗教を持たない私は死後のよりどころが一つもない。なのである時から、死後に訪れるのは「無」であることから逃れられなくなった。カニエ・ウエストの『Donda』のジャケットのような真っ黒なイメージが10年20年100年、いずれは宇宙の歴史とともに続くのだと考える夜もあった。だからとにかくできるだけ寿命が延びるように努めた。野菜を摂りできるだけ規則正しく過ごした。危ないことはしない。酒も飲みすぎない。KOHHが「死んだら意味ない」とヴァースを吐いていたりすると嬉しかった。この価値観は、もちろんこれからもある程度は残るものだと思う。

 けれどコロナ禍へ突入した後は、だんだんとこの考え方が揺らいできた。死ななければ安泰ということは決して無いということがまざまざと見せつけられたからだ。そしてどれほど死なないように努めていても、人は外的要因で死んでしまう。その時に対する向き合い方を、私は見つめなおさないといけない。それでもその時のことばかり考えていては、ひたすらに恐怖が募るばかりだ。人生の果てが何もないってなんだ?胸が締め付けられていく。

 結局見つめなければならないのは、そこに至るまでの人生の過程なのだ。私は身近な人を失った経験がまだほとんどなくて、それでもこの先で失うことは必至である。その時いったい何を思うのか。生きる者は死者のことをずっと考える。悲しみは常に付きまとう。人のことだけでなく、自分自身のことでも。

 「正しく傷つくべきだった」という家福さんの言葉が反響した。思えば私はいつも、悲しみや辛さ、悔しさを笑ってごまかそうとしてきたように思える。それは「辛いことを笑って乗り越えられる力」だと思っていたけれど違うな、と家福さんの涙を見て思った。高校野球でエースになれなかったこと、就職活動が思うように運ばなかったこと、そういうとき私はいつも何かしら「ちょっと笑える」弁解を自分自身に課してきた。「文化系野球部」だとかそういう便利な言説で。

 けれど遅すぎるタイミングでできた初めての彼女に「もうキスもセックスもしたいと思わない」と吐かれた後、初めて笑ってごまかすことができなくなっていた。それを期待していた友人はそのベクトルで励ましてくれたが、それらは傷を増やしただけだった。傷つき方がわからなかった私はそこからどんどん暗くなっていった。今よくやる一人遊びもひょっとすると傷つきをどうやっても避けたいと思っているからなのかもしれない。そして現れたひょっとするとすべてを預けていいのではないかという一人の女性に自分の全てを差し出そうとしてしまった。半袖を着ている間しか会ったことない人なのに。

 自分の悲しみや悔しさ、怒りに真っ向から向き合わなければならないと思った。思えば村上春樹はいつだってこのメッセージを投げかけている気がする。『ノルウェイの森』も先日読んだ『羊をめぐる冒険』もそうだった。主人公の行きつく先は喪失であり、いつもそれに対し徹底的に向き合わされている。生きるってそういうことなのだと示唆するかのように。

 死んだときのことを考えるのは楽だ。もうそこに何もないことは確定しているのだから。長かろうが明日だろうが、ようやくたどり着く人生の果てなのだ。ではそれに至るまでの道中。どう暮らしていけばいいのか。ごまかすのではなく向き合えよ。涙を流せばいい、手に入らなさを嘆けばいい。人生に向き合うことはあまりに残酷だが、それでもそれが呼応しあうことが、人に寄り添うことなのかもしれない。

「本当に他人を見たいと思うなら、自分自身を真っ直ぐ、深く見つめるしかないんです」

本編より

 この言葉を胸に刻んで、明日へ立ち向かうしかあるまい。


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