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『オールドファッション』と喪失

back numberの新曲『オールドファッション』、リリースから1ヶ月以上経つものの、依然配信チャート上位をキープ。ドラマ『大恋愛』の話題性も相まって、『クリスマスソング』以来の一般層からも広く愛される代表曲になるか、とファンの期待も高まっています(『瞬き』はかなり長く聴かれている曲だとは思いますが)。

さて、『オールドファッション』を聴いてどこか懐かしい気持ちになる、昔のback numberな感じがするのは私たちファン及びオタクだけではないのかもしれません。アルバイトの先輩曰く「古き良き」。「有名曲は聴いたことあるよ」、「友達がカラオケで歌ってて良かった」back numberへの関心はこのくらいな方も、この曲に「懐かしい」という感覚を抱くことがあります。その背景にはおそらく、かの名曲『花束』の存在があります。今回は『オールドファッション』と『花束』を比較しつつも、その影に隠れたもう一つの楽曲にも言及していき、改めてback numberというバンドを、一人のファン、いやオタクとして、年の瀬に考え直してみたいと思います。年末の歌番組も、紅白も出ないことですし。個人的見解にどうぞお付き合いください。

『花束』で考える、back numberと歳月

友達は「私の夢は結婚式『花束』を歌ってくれる人と結婚することなんだ」という趣旨のことを言っていました。それほど影響力が大きく、ウェディングソングとしても親しまれている楽曲です。サビがあまりに純でまっすぐで、このまっすぐさがまぶしすぎてback number聴けない、という知り合いも結構見てきました。

僕は何回だって 何十回だって 君と抱き合って手を繋いでキスをして

このワンフレーズだけで、あまりに強すぎる。「結婚」とか「純愛」の理想化を進める、あまりに幸福感溢れる一節です。まして、この曲は発表当時FM802のヘビーローテションにも選抜されていて、当時の中学生〜大学生に多く聴かれていたこと間違いなし。そして国民的バンドに上り詰めたのはベストアルバム『アンコール』ヒット直後の2017年初頭と僕は勝手に定義していて、この間6年。6年経てば、14歳が20歳になります。18歳が24歳になります。22歳は28歳です。『花束』を結婚式で歌ってもらうことに憧れた女子高生が、社会人になり結婚式を挙げていても全く不思議ではない年齢になっている。

なぜ、ベストアルバム『アンコール』があそこまで親しまれたのか。『アンコール』でみんなback numberに親しんだのに、なぜ次のシングル『瞬き』のフィジカルCDのセールスは連動して伸びなかったのか。『花束』にあって『瞬き』にないもの、それは「歳月」なんです。ただそれだけ。back numberというバンドの楽曲は、私たちの半径100mの生活まで踏み込んでくるもの。共に過ごす歳月が長ければ長いほど、その味は確かなものになるんです。『花束』のラストサビ、

君とならどんな朝も夜も 夕方だって笑いあって生きていけるんじゃないかと思うんだよ

かっこつけきれず、「夕方」って言っちゃう庶民性、ここがミソだと思います。この曲、「浮気」だったり「振られる」だったり危ういワードも出てくるんですけど、それでもなお幸福感溢れるのは純の面のあまりの強さからか…改めて名曲ですね。

『オールドファッション』と『花束』

さて、『オールドファッション』の主人公は、『花束』以上に相手を深く想っています。花束では「とりあえず」だった「好き」という気持ち、『クリスマスソング』では長くなるからまとめていたそれ

も、この曲の主人公はとにかく言語化しようとします。最近の清水依与吏言語化現象の一つの完成形がこの曲なのでしょうか。「幸せとは」を定義した『瞬き』以上に、この曲では抽象的な定義な表現が使われます。

花は風を待って 月が夜を照らすのと同じように 僕に君なんだ

この曲から、主人公の「とにかく君という存在を明確に、はっきり写したい」という強い思いを感じ取れます。そして2番からはより意思的なものが強くなり、『僕の名前を』でも見せた、「君が素晴らしすぎて僕は不甲斐ない」という表現が。「僕」は「君」に救われているのでしょう。ここまでは主人公、かなり幸せです。『花束』の世界観からは、まだズレない。

しかしながら、Cメロと、タイアップのドラマ「大恋愛」により状況は一変します。

僕と見た街は夜空はどう映っていたんだろう 君は後悔していないかな ねえちょっとそんなのどうだっていいの ドーナツ買ってきてよって 君なら ああ そう言うだろうな

もう…その人はいないのかもしれない、と、あまりにリアルなドーナツのくだりはそう思わせます。しかもタイアップのドラマ『大恋愛』は、ヒロインが若年性アルツハイマーで記憶を失っていく、失恋ドラマ。この曲は、『花束』とは本質的に違う、「もうここにはいない君」を歌った曲なのです。でも、曲調、あまりに暖かい歌詞によって、何も考えていないと悲しい曲だという思考にすら至らないこともある、

僕たちは島田昌典に導かれる  『思い出せなくなるその日まで』と『オールドファッション』

この『オールドファッション』が『花束』とダブる大きな要因の一つに、「プロデューサーが同じである」ことが挙げられます。プロデューサーは島田昌典さん。J-POPの名曲のプロデュース数知れず。

back numberだと、『花束』をはじめとし、初期の名曲『風の強い日』、『』、『fish』など、有名曲を手がけています。ただ近年back numberは小林武史さんや蔦谷好位置さんにプロデュースを依頼することが多かったため、島田昌典さんにプロデュースを依頼するのは久々のことでした。そのため、どこか懐かしい感覚があったのかもしれませんし、列挙した中で最も親しまれている曲はおそらく『花束』でしょうから、イメージが重なるのは自然なことです。

ところで、実はもう一曲、島田昌典さんプロデュースの楽曲があります。それは『思い出せなくなるその日まで』。3rdシングルです。

この曲では、楽曲を通して、明らかに「あなた」がそこにはもういない悲痛な世界観が描かれています。

あなたの好きだった冬の上で いつかしたケンカを思い出してる 春になればまたきっと花は咲くんだけど もう何も何も 出来ないままで 誰も誰も 悲しいままで

アプローチの仕方は違えど、『オールドファッション』で描きたかったのはこの世界観なのかもしれません。『オールドファッション』は『花束』ではなく、『花束』の皮を被った『思い出せなくなるその日まで』こそが『オールドファッション』なのだと、僕は思っています。

私たちは、喪失の一歩先を求められている

それでも、『思い出せなくなるその日まで』と違うのは、不思議と曲の主人公の生き生きとしたその後の姿を思い浮かべられるところ。『大恋愛』のシンジが最後に「これからはナオのことではなく、新しいことを書く」と宣言していたように、喪失のもう一歩先へ進む活力というのを、この曲は提示しています。高齢社会とか、いいようで良くない景気とか、そもそも日常の中でも、小さなことでも私たちは「喪失」と向き合わなければいけません。かの米津玄師さんの『Lemon』も、喪失と真正面から向き合った楽曲です。米津さん自身が『Lemon』の製作中に祖父を亡くしたことが、楽曲制作にも大きな影響を与えたといいます。

こういった潮流を、清水依与吏さんも捉えているのかもしれません。『大不正解』だって、何かに敗れた人への救いの歌になりえます。友情ソングではありますけど。

失恋」という喪失に、デビュー以後10年近く向き合い続けてきたback numberですが、『瞬き』で幸せを定義して以降、明らかに次のフェーズへの移行を感じさせます。その移行が完成されるのは、『花束』のパターンで考えるともしかするとまた6年後とかになるのかもしれません。しかし次のベストアルバムができるころ、back numberはまた全く違う愛され方をするのではないでしょうか。そういう意味で、『オールドファッション』と『花束』は大きく違います。新たなback numberの起点の一つとなるこの曲、ファン、いやオタクの一人として多くの人に愛して欲しいと思いますし、半径100mの小さな問題を救ってくれるback numberのこれからにさらにワクワクさせられます。喪失を乗り越えるのに、音楽は強大な力を持つことをback numberは教えてくれます。J-POPが、歌謡曲がなぜ存在するのか。日常の傍に音楽があることで救われる人が少なからずいることを、back numberは証明してきたし、それはこれからも続くことでしょう。

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