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ぼくらがSORAを創る理由 ~不登校の子ども達の「居場所づくり」(下)~

 前号ではフリースペースSORAの活動を紹介しましたが、今回は、そもそもなぜこの活動に自分が参画するようになったのかについてお話したいと思います。
 大学院を卒業後、私は県立高校に常勤講師として勤務しました。はじめから教師を目指していたわけではありません。教員を志望したのは、自分が身につけた専門知識を役立てたいというそれだけの理由でした。
 もともと私は学校が好きではありません。というよりは、好き嫌いを語るほどの執着すらもっていません。現に自分の学校時代のことなどほとんど覚えていないのです。
 高校までの私はいわゆる「優等生」。言われたことに何の疑問ももたず言われた通りにやってくるので、とりあえず教師には気に入られるタイプの生徒でした。でもそれは単なる思考停止。自分では何も考えることなく、ただ他者の指示に従っていただけ。「生きてる」とはいえない状態でした。当時の記憶がほとんど残っていないのはそのためかもしれません。
 しかし、そんな生徒が学校では評価が高かったようです。つまり、自分自身で思考する力だとか生きようとする動機付けだとか、そういうものよりもむしろ、他者の敷いたレールに忠実であるかどうかということの方に価値が置かれていたのです。
 とはいえ卒業して10年。学校も変わっているだろうと考えて不安を押し殺し高校に勤務したのですが、実際に見た学校の在り方は当時のままでした。
 従って、私にとっては毎日が地獄のよう。生徒指導部だった私は、頭髪指導や服装指導や遅刻指導など、とにかく学校側が一方的に決定した型に生徒達を無理やり押し込め、逃げたら捕まえてきてまた押し込める、みたいなことを繰り返していました。生徒達の意見など聴こうものなら自分が他の教師から「指導」を受けてしまうので、必死になって自分を殺しました。
 最初の頃には、生徒達の生の声を先生方に届けようと努力したこともありました。「ダメなものはダメ」で済ますのではなく、「何故それがダメなのか」あるいは「そもそも本当にダメなのか」をきちんと思考し、自分達で主体的に選択する機会や場を生徒達に与えなくてはならない。それも教師側が解答を準備せずに。むしろその試行錯誤の中で彼らはちゃんと「社会」や「公共性」を学んでいくことができる。彼らを信用せよ、そう思ったのでした。
 しかし、学校が拠り所としている生徒観、子ども観とそれはあまりにも乖離(かいり)していたようです。先生方は生徒を自分達と同じ「一人の人間」として対等に見てはくれませんでした。あくまで「子供=不完全で未成熟=指導の対象」ということなのでしょう。生徒を「子供」と見なし上下関係の中で付き合うのが学校空間の作法だとするなら、私には自分を殺さずして教員を続けることは不可能でした。
 とはいえ、それは自分の中で「逃げ」のような気がしていました。自分が現場で感じた違和を何処かで誰かに繋げていかなければ。そんな思いが頭から離れず、私は学校外の教育の場、それも子ども達と対等に付き合えるような場を探すことにしました。
 いろいろ調べていく中、90年代アメリカで始まったチャータースクール制度の存在を知りました。チャータースクールとは有志市民が公費を財源として学校を設立・運営するという新しいタイプの公教育制度で、日本でもその実現を目的とした取り組みが各地で始まっています。こうした仕組みがあれば、同じような子ども観や理念をもつ者同士が集まって、子ども達の成育の場を主体的に構築していくことができるのです。
 そうは言っても、日本版チャータースクール実現はまだまだ先の話でしょう。しかしそのときのためにも準備をしておくに越したことはありません。そもそも学校を創るには、理念や価値を共有できる仲間が集まらなければスタートできません。そんなことを漠然と考えていたとき偶然目にしたのが、「県内初の民間フリースクール開設」という新聞記事だったのです。きっと現在の学校の在り方に違和を感じている自分のような人達に違いない。そう考え、私はフリースペースSORAの活動に関わろうと決めたのでした。
 予想通りというか、SORAの企画運営には自分と似たような考え方のたくさんの人達が関わっていました。その年代や職業もさまざま。学校で仮面を外せず自分を押し殺し続けてきた私にとっては、それは本当に心の底からホッとできる場所でもありました。
 こうして出会えた仲間達と居場所づくりの活動を始めて半年。学校が合わないという多くの子ども達と出会い、様々な相談を受けました。そこで思うのは、学校以外に子ども達が安心して成長していける社会的な場が少なすぎるということです。学校がその内部に多様性を抱え込めない以上、学校外にそうした場を創っていくしかありません。当然ながら、学校が合わない子どもといっても、SORAのような通所型フリースクールが合う子もいれば、宿泊型フリースクール、ホームスクールが合う子などその中身はさまざま。要は、いろんな育ちの場が存在している中から、人々が自分の育ち方や生き方を試行錯誤しながら自分自身で選択していける、そういう社会創りが必要なのだと思います。SORAの活動は不登校の子ども達の支援という形で始まりましたが、同時にまた、そうした新しい社会を創り上げていくための第一歩でもあると考えています。
 とはいえまだまだSORAはスタートしたばかり。毎日が予想外の出来事の連続ですが、山形という地域に合った不登校支援の在り方を今後も模索し続けていきたいと思います。(了)

※『月刊ほいづん』通巻17号(2001年10月号)、8-9頁

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