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〈東北〉のいちばん長い日――河北新報社『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(文春文庫、2014年)

 「○○のいちばん長い日」というタイトル、元ネタはもちろん半藤一利のノンフィクション『日本のいちばん長い日』(文春文庫、2006年)であろう。現代日本の決定的な分岐点となった1945年8月15日、戦争の終結か継続かをめぐって国家中枢のエリートたちが何を考え、どんな決断をし、そしてそんな彼らの間でどんな抗争が繰り広げられ、あの結果に至ったのか、「どうする日本」の細やかなプロセスを追いかけ、再現した名作だ。それは、そのあと続いていくことになる戦後日本の縮図をそのはじまりの一日に見出していく、私たちの現在地をさぐるひとつの方法と言える。

さて、本書もまたそうした方法の系譜に連なる作品である。その「いちばん長い日」とは2011年3月11日、同日14時46分の東北地方太平洋沖地震により東日本の広範にわたる人びとが被災した東日本大震災が起こった日である。「あの日」を経験した東北の人びとにとっては自明の事実とも思われるが、その経験は彼(女)がそのときどこにいたかによってさまざまであるとともに、その記憶もすでに10年以上が経ったことでおぼろげとなり、さらには「あの日」を知らない若い世代が育ってきていることもあり、いまや必ずしも自明とは言いがたい。

本書は、その「3月11日」とそこから始まっていく被災の日々を、宮城県仙台市に拠点をおく地元新聞社「河北新報社」――それを構成する多岐にわたる人びと――がどのようにくぐりぬけ、震災下のさまざまな困難と向き合ってきたのかを詳細に描き出し、再現しつつ、そのことの意味を検証したものである。仙台を中心に、東北全域にはりめぐらされた支局や販売店のネットワークがその身体であるため、当然彼(女)ら自身も被災し傷ついている。だが、それは彼(女)らが襲い来る猛威に肉薄する〈眼〉をもちえたということでもある。この当事者性を武器に、震災下で情報から途絶されて苦しむ人びとにさまざまな情報を届ける――しかも途切れなく――というミッションにとりくんだのが河北新報社なのであった。

これまで「3.11」をめぐるさまざまな作品に触れてきたつもりでいた評者だったが、本書を読んで改めて気づかされた自身の偏りがある。それは、「あの日」を東京電力福島第一原発事故で表象してしまうという偏りである。それは確かに「3.11」を構成する重要な要素ではあったが、当然「3.11」のすべてではない。しかし、深刻化していく原発事故が「東京」にも危機をもたらしうるものであったがために、震災報道ならびに震災表象はあっというまに「津波」から「原発」へとシフトしていった。こうした「東京」発の中央メディアの動向も作用して、太平洋沿岸の各地では、世間のアテンションを喪失し、忘却の穴に落ちたまま無視され放置される津波の被災地が生まれていく。当時それらの場所で、被災した人びとがどんな過酷な現実を生きたのか、本書はその克明な記録でもある。

「東京」のメディアの死角をまなざし、そこに身をおく人びとに寄り添いながら、被災の現実を描き出し、彼(女)らに対し発信し続けること。そこには当然ながらさまざまなジレンマが生じる。津波による同胞の夥しい死をむきだしの情報としてそのまま発信してよいのだろうか、やはり同じ「東北」を当事者とする原発事故を優先的に報じなくてよいのか等々、どれも答えのない問いで、本書が編まれた震災3年後も、彼(女)らに確たる答えがうまれたわけではない。だが、そうしたジレンマのなかに身をおき、さまざまな社会の要請に引き裂かれながらも、東北の人びとのために情報を届けるというミッションにとりくみ続けたという経験は、彼(女)らにさまざまな力をもたらすものだったろう。本書はそうした学習プロセスの記録でもあり、それはこれから大きく被災することが予想されている東京や西日本の人びとにとっても大きな意味をもちうるものである。

半藤一利『日本のいちばん長い日』が描く「8.15」は、その後に続く戦後日本の出発点でもあった。では、本書が描く「3.11」は、東北にとっていったいどんな時代のはじまりであったのだろうか。本書を紐解くことは、その答え――災後東北のありよう――を考えることでもある。(了:2023/07/26)

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