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震災復興における子ども支援現場のニーズとは?――「東北の春」に向けて(02)

■フクシマへ

現在、震災復興の活動に関わっている。福島県内で活動している子ども支援NPOの仲間たちからの誘いに応じてのことだ。活動の背景は次のようなもの。すなわち、震災後、福島県内では、原発避難者への差別・排除に由来するいじめや不登校などの問題が質量ともに悪化の一途をたどっているという。

新設したチャイルドラインは鳴りやまず、フリースクールなどにも深刻な事例が相次いで集まってくる。それらに対処すべく、国や県はすさまじい額の予算をつけて地元のNPOなどに事業を委託、支援活動にあたらせている。とはいえ、実際に子どもたちの支援にあたるのは「人」だ。その「人」が足りていないという。それも圧倒的に。これはいったいどういうことか。

さまざまな困難や生きづらさを抱える子どもたちに向き合うという活動には、相応の作法や構えが必要であり、それには十分な経験や熟練――要は、専門性――が不可欠だ。つまりは、そうした専門性を宿した「人」が今まで以上にたくさん必要になってきたということである。

ところが、いくら予算を積もうとも、そうした専門性を宿した「人」を急速に、しかも大量に確保するのは容易ではない。そうこうするうちに、現に支援に携わっている人びとが次々に疲弊し、燃え尽きてしまいかねない状況に陥りつつあるという。「人」を育てるしくみづくりが必要だ。それも早急に。

そこで、新人支援者たちのスキルアップのしくみづくりを目的に、会津や福島、郡山で10年以上にわたって子ども支援の活動に取り組んでいる中堅NPOの仲間から、同じく中堅NPOを隣県で運営する自分に誘いが来たわけだ。もちろん私は二つ返事でひきうけた。率直に嬉しかったのである。

私がひきうけたのは、震災後に急増した新人支援者たちにメンター(相談相手)を提供し、彼らが燃え尽きに陥らずその経験をきちんと血肉化していけるような研修のしくみ――全国各地のベテラン活動者から構成されるメンターのネットワークの構築――をつくるお手伝いをする仕事である。

■自分たちだからできる復興支援

ではなぜ、それらに関わることが嬉しかったのか。震災以来、山形という土地は、福島からの「原発難民」の避難先として重要な役割を期待されてきた。その山形で10年来市民活動に関与してきた自分たちには、そうした状況に対して、当然、何かしら果たすべき役割というものがあったであろう。しかし、私(たち)はそれを長らく見つけられずに来た。

果たすべき役割? そんなの簡単。NPOなら苦しんでいる避難者に直接アプローチすればよかったではないか――そんな指摘が飛んできそうだ。もちろんそれはその通りだが、潤沢に資金や人手があるわけではない草の根NPOが考えもなく活動を拡大すれば、その先に何が待っているかは明らかだ。

そもそもNPOの活動はミッションを軸に組織化されていなければならない。いかに目前に受苦者が存在しているからといって、手当たり次第に――ミッション無視で――手を差し伸べていたら、提供できる資源などあっという間に尽き、本来求められていたはずの役割さえも果たせなくなってしまうだろう。

現に震災後、私たちは自分たちの持ち場を必死で守りながら、横目でそうした人びと――「支援」を消費する人びと、と言えるかもしれない――の群れを見続けてきた。補助金目当てで事業を拡大しまくりミッションを見失って迷走する団体もあれば、新たに始めた避難者支援に人材と手間暇とを奪われ本体組織・事業を果てしなく空洞化させていった団体もある。

未曽有の事態だから仕方ない、は無しだ。緊急時にまともな対応ができないのは、日常からまともな仕事をしてこなかったためだ。ミッション・マネジメントが有名無実化しているのは、彼(女)らが日ごろからそれらを軽視していたからでしかない。

そんな思いの一方で、「では、自分たちにできるまともな被災地/被災者への関わりってなんだろう?」という問いに、ずっと長い間、答えが出せずにきた。本来の自分たちのミッションを前提にした上で、積み上げてきた経験や認識を活かし、しかも持続可能なかたちでやれる支援とはいったい何だろうか。

支援人材育成のしくみづくりへの関与は、そうした問いへの応答だ。メンター機能を果たし得るベテラン支援者たちのネットワークを構築するなどというのは、これまでの10年以上に及ぶ活動や協働の蓄積がなければ不可能な取り組みである。

しかもそれは単なる持ち出しではない。支援人材の不足は、先人の経験を無視して貴重な復興財源を浪費してきたわが県の支援業界にも共通する。活動への新規参入者を増やし、彼(女)らをまともな支援者に育て、支援の手が届く人びとの数を着実に積み増していく――支援のすそ野をひろげる――こと。これこそ、わが県の支援業界が抱える課題である。

とすれば、福島県での支援人材育成のしくみづくりの社会実験は、わが県の支援業界にとっても有意義な参照先となるはず。被災地の現在は地方の未来を「先取り」した姿だとの指摘があるが、福島の支援活動の現状もそうした側面をもつ。彼の地でおきていることは、私たちの現在を「早送り」した姿である。

いずれきっと山形でも――あるいはすでに?――支援者を増やし育てるにはどうすればよいかという問いが前景化するときがやってくる。そのときに、そのノウハウはここにありますよ、というか、そんなのはすでに私たちが始めていますよ、と言えるように、今やれることをやっておかねばならない。
あの震災から3年半。すいぶん手間取ってしまったが、以上が、私(たち)の出したとりあえずの答えである。

(『みちのく春秋』2014年秋号 所収)

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