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「ブラック企業」はどうやってうまれてきたか

■電通過労自殺事件
 前章では、非正規労働の広がりとそれがひきおこした諸問題、そしてそれに対する政府の規制の動きについてお話しました。2012年、15年と派遣法の改正がなされたことで、2010年代に入ると、企業はこれまでのように大っぴらに非正規雇用を拡大し、搾取していく方法はとれなくなりました。
 では、どうしたか。彼らは次なるターゲットとして正社員にねらいを定めていくようになります。これが「ブラック企業」として言上げされていく問題で、その社会問題化を象徴するできごとが「電通過労自殺事件」(2015年)でした。電通とは、以前にメディアの章でお話した大手広告代理店です。
 その年、東大を卒業して電通に入社した高橋まつりさん(享年24歳)が、本採用後10月よりすさまじい長時間労働、パワハラ、セクハラなどでうつ病を発症、クリスマスの夜に社員寮から飛び降りて自死したという事件です。その後、労災認定がなされ、電通には労働基準法違反で罰金50万円が科せられました。
 「電通案件」にも関わらずこの事件は大きく報道され、広く世に知られることになりました。そこにはまつりさんのご遺族の訴えや運動なども大きく寄与していますが、何よりこの当時、こうした「ブラック企業」問題が各地で拡大しており、事件に反応する人びとの分厚い層が社会のなかに生まれていたためでしょう。
 電通はこの翌年、「ブラック企業大賞」(2012‐19年)で大賞を贈られました。これは、①違法労働を意図的・恣意的に従業員に強いている、②パワハラなどの暴力を常套手段としている企業・法人のうち、法令違反や行政処分に該当するものをノミネートし、大賞を決めるという市民運動による啓発イベントです。
 歴代の大賞は、東京電力(2012年)、ワタミフードサービス(13年)、ヤマダ電機(14年)、セブンイレブンジャパン(15年)、電通(16年)、引越社(17年)、三菱電機(18年)、三菱電機(19年)。ネットで検索して――例えば「全国法人サイト」――あなたの街のブラック企業を調べてみましょう。
 
■「ブラック企業」の手口
 実際に「ブラック企業」はどんなふうに正社員を搾取していくのでしょうか。正社員とは、①フルタイム、②無期、③直接雇用、の労働者のことでした。使用者は彼(女)に、労働基準法が定める月160時間(週40時間)の労働の対価として賃金を払いますが、その賃金は最低賃金法に則って決めねばなりません。
 最低賃金とは、その事業所が位置する都道府県ごとに定められているもので、最低時給というかたちで表されます。22年12月現在、最大が東京都の時給1,072円、最小が沖縄県などの853円(山形県は854円)。これに160をかけた金額を月給として払えば、企業はひとりの人を正社員として雇用できます。
 実際に計算すると、東京では1,072×160で月給171,520円、山形では854×160で月給136,640円。これで生活していくのはなかなかに厳しいでしょう。日本全国どこでも商品価格に差はないため、全国一律の最低賃金が望まれるところです(労働運動は最賃全国一律1,500円を訴えています)。
 ともあれ、「ブラック企業」はこの最低月給さえできれば払わずにすませたいと考えます。が、最賃法ゆえに払わざるをえません。その縛りのうえで実質的に賃金を切り下げるにはどうしたらよいか。答えは、月給は最低額で固定のまま、労働時間をのばしていく。そうすれば、実質的な賃金引き下げが可能となります。
 かくして、「ブラック企業」では長時間労働が常態化していきます。労働基準法では時間外労働には25%の割増賃金支払いが義務付けられていますが、割増どころか残業代を踏み倒し、ただ働きさせるわけです。これは「サービス残業」と呼ばれ、日本企業の慣行となってきたものですが、それがさらに強化されました。
 もちろんこれは違法行為で、労働者が労働基準監督署に訴えれば、企業は未払い賃金を払わざるをえません。このため、裁量労働扱いにする、残業代を定額規定してそれ以上に働かせる等、より巧妙な手口が生み出されました。不満や異論を封じるため、パワハラなどの暴力的な労務管理も多用されるようになります。
 
■過労死とは?
 これだけ騒がれるようになってなお、なぜ「ブラック企業」はなくならないのか。要は「儲かる」からです。給与額を固定し、「サービス残業」という無給の時間外労働を増やしていけば、増やした分だけその企業の利益を増やせます。「ブラック企業」側には、長時間労働を増やすインセンティヴがあるのでした。
 では、そうした長時間労働が続くと、そこで働く人はどうなってしまうのでしょうか。実際にブラック労働の経験者が書いたイラストエッセイに、汐街コナ『死ぬくらいなら会社辞めれば ができない理由』(あさ出版、2017年)があります。長時間労働の只中にある人の心理や論理が内側から描かれた作品です。
 長時間労働やハラスメントによって正常な判断力をそがれ、周囲がだんだん見えなくなっていき、つらいと感じてはいながらもそこで働き続ける以外に自分の行く道はないのだと思い込む。でも、人である以上そんなつらさに耐え続けることができるわけでもなく、楽になりたくてついふっと自死が頭をよぎる。
 こうした経験は、長時間労働にさらされた労働者に概ね共通するものです。それを表しているのが過労死ラインという概念です。1980年代以降、日本では過労死/自殺を扱った裁判が増加しますが、その労災認定の際、労働と過労死/自殺との因果関係を判定するのに用いられる基準がこの過労死ラインです。
 具体的には、2~6か月にわたり月80時間超の残業(週休二日の場合は一日12時間労働、週休一日の場合は一日10時間労働に相当)もしくは1か月で100時間超の残業があった場合、医学的知見から見て健康障害リスクが高まるとされています。みなさん、あるいはみなさんの周りの方はどうでしょうか。
 過労死ラインに達していなくても、①不規則な勤務時間(休日なき連続勤務、勤務観インターバルの短さ等)、②心理・身体的負荷を伴う、③事業場外での移動を伴う、④作業環境が悪いといった付加要因も労災認定の基準となります。こうした基準を知ることが、ブラック労働から身を守る術として必要でしょう。
 
■労働組合、労働NPOという存在
 さて、こういう話を聞くと、就活中あるいはこれから就活という学生のみなさんなどは不安を感じたり、うんざりしたりしてしまうかもしれません。実際、大学などの講義で話した後には「どうすればブラック企業を事前に見抜き、そこに就職しないようにすることができますか」といった質問がよく寄せられます。
 インターネットで検索すれば「ブラック企業」にまつわるさまざまな情報――過去の裁判や行政処分、体験談など――を簡単に集めることができますが、もちろんそれでわかる情報は限られています。「サービス残業」の常態化などを考えると、ブラックでないところを探すほうが難しいくらいかもしれません。
 要するに、現在の日本にあっては「労働=ブラック労働」であることを前提に考えるくらいでよいのではないかということです。労働法や労働権などの知見――これまでお話してきたことがそれにあたります――が自分にあれば、それを手がかりに、自身が抱えさせられているリスクにも気づくことができます。
困難な状況に直面したとき、その人には、①VOICE(声を上げる)、②EXIT(そこから逃げる)の二つの選択肢があるといわれます。ブラック労働の場合は、上司や管理職に改善を求める(①)、その職場を去る(②)の二つになりますが、どちらの場合も困難を抱えたその人ひとりで行うにはハードルが高すぎます。
 ではどうしたらよいか。そういうとき、労働者の味方となっていっしょに闘ってくれる人びとが存在します。労働組合です。日本ではこれまで職場ごと正社員を中心に組織されてきましたが、近年は非正規の労働組合である「非正規ユニオン」、地域単位で加入できる「地域ユニオン」などの活動も活発化しています。
 労働組合はちょっと敷居が高いという場合は、労働NPO(労働問題にとりくむ市民活動)につながるのがよいでしょう。労働NPOの草分け「POSSE」は、家族や友人などからの相談をも受けつけています。こうした地域の資源を活用しつつ、労働・職場の環境をまともにしていくことが私たちの課題でしょう。

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