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"もやもや"を開きあう可能性の探究〜約1年の"もやもや"研究記〜

こんにちは。株式会社MIMIGURIで、リフレクションやナレッジマネジメントの実践&研究をしている瀧です。今回は、2023年に私が実践しながら研究してきた、"もやもや"を開きあうことの可能性の探究について書こうと思います。(2023年のふり返りを兼ねて)


この記事は、MIMIGURI Advent Calendar 2023の22日目の記事でもあります。今回のテーマは、「探究」「理論と実践」あたりでしょうか。

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これまでの記事は、こちらのマガジンから読めます。昨日は、MIMIGURIのコンサルティング事業で私も一緒にプロジェクトをやっている塙さんの記事でした。組織の中で「怒り」が持つ可能性について考えさせられる内容でした。ぜひご一読ください!

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みんな読み応えのある記事ばかりです

さて、本題に戻ります。MIMIGURIで実践しているKMT(ケモティー)というチームで行うふり返り手法を紹介するnoteを先日書きましたが、今回はこのKMTが生まれるきっかけにもなった"もやもや"に関する研究のお話です。

"もやもや"から生まれる探究:MOYAQモデルの開発

私が今MIMIGURIでやっている仕事は、ざっくりいうと、個人やチームが持つ知(これは暗黙知の場合は多い)を開きあって、みんなの日々の活動を触発しあうような、組織内の知の巡りをよくすることにつながる仕組みづくりや対話の場づくりです。

この活動をしている中で、MIMIGURI内の知の巡り方の特徴として、次のような営みがあることを見つけました。

  1. プロジェクトの実践経験から湧いてきた"もやもや"を他者へ開く。

  2. その"もやもや"を、プロジェクト実践の中で探究していきたい問いに変換する。

  3. 問いに触発された周囲のメンバーが、探究に参加していく。

  4. 共同で知の探究が進んでいく。

このような知の巡り方をモデル化したものが、MOYAQです。"MOYAQ"とは、"Moyamoya Open Your Appreciative Question"の頭文字をとったもので、「モヤキュー」と読みます。これは、"もやもや"を他者へ開き、その"もやもや"がよさを探究していくための問いに変換されることで、組織内を知が巡り、知の探究が進んでいくことを意味する言葉として名づけました。これが、2023年の日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で、"もやもや"から生まれた問いに駆動される共同的な知の探索モデルとして学会発表したものです。

"もやもや"から生まれた問いに駆動される共同的な知の探索:MOYAQの考察(日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスターの一部)
"もやもや"から生まれた問いに駆動される共同的な知の探索:MOYAQの考察
(日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスターの一部)

尚、"Appreciative"という単語を使ったのは、「ビデオによるリフレクション入門」の書籍の1章で佐伯胖先生が書かれている内容を参考にしたものです。

「リフレクション」について、これを辞書的に翻訳すれば確かに「省察」「反省」が該当しているのだが、行為のなかで(なんとなく)考えていることと、感じていることを「吟味の俎上にのせる」ということである。「吟味」といったのは、そこには「これでほんとうによいのか」「もっとよい行為はないのか」について、その実践の文脈と結びつけて判断することで、ショーンはそれを「アプリシエーション(appreciation よさの鑑賞)」と呼んでいる。

『ビデオによるリフレクション入門 実践の多義創発性を拓く』
佐伯胖, 刑部育子, 苅宿俊文著, 東京大学出版会, 2018 

私が研究で自分の実践したことをふり返って考察するときに大事にしていることも、ここで言われている「吟味」の考え方に通じる部分があると感じています。1章は特におすすめです。

MOYAQモデル開発秘話

このMOYAQモデルの開発は、ナレッジマネジメントをMIMIGURIの組織内で実践しながら研究していた私にとって、今年のターニングポイントにもなった印象深い経験でした。

なぜかというと、MOYAQモデルができたことで、

  • "もやもや"を組織内で開き合うことに秘められたさまざまな可能性に気づくことができた。(👈想定外の発見でした)

  • チームのふり返り手法KMTの開発につながった。(👈想定外の思いつきでした)

  • 社内外の人たちによってKMTの活用がじわじわと進み、"もやもや"を開き合うことの意味や応用可能性が新たに見つかった。(👈想定外の広がりでした)

このように、"もやもや"の実践と研究が進み、気づいたら今年の私の研究テーマがいつの間にか"もやもや"研究とも言える状態になっていました。ここからは、"もやもや"研究について、その変遷をふり返りながら紹介していきます。

"もやもや"に着目したきっかけ

まずは、"もやもや"の可能性に気づくきっかけとなった出来事から。

MIMIGURIの中で私は、2021年の終わり頃からMIMIGURIのバリューである「知を開いて、巡らせ、結び合わせる」を体現していくために、もっと組織内で知が巡って、メンバー同士が触発しあう中で新たな知の解釈が生まれてくるようにするにはどうしたらいいのか?を日々考えて、知を巡らせる活動に向き合っていました。

MIMIGURIのバリュー「知を開いて、巡らせ、結び合わせる。」
MIMIGURIのバリュー「知を開いて、巡らせ、結び合わせる。」

この「知を開いて、巡らせ、結び合わせる」を体現していく上で、私は一人で知を生み出すだけではなく、組織内での対話など、誰かと関わる中で知が生まれてくることのよさを探究したいと思っていました。

そんなとき、2022年度の社内のナレッジマネジメント活動をふり返っていたら、「知を開いて、巡らせ、結び合わせる」が体現されたと言えそうな事例が既にあったことに気づき、その事例ではなぜ知がうまく巡ったのか、起きていたことをふり返りながら考察をしていきました。

対話の録画や社内slackのログを見返して起きていたことを考察(日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスターの一部)
対話の録画や社内slackのログを見返して起きていたことを考察
(日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスターの一部)

事例を考察していく中で面白いと思ったのは、プロジェクトのふり返りをして気づきを語ったメンバーが開いた知は、実は学びとして得られた「わかったこと」だけではなかったことでした。

一般的に「ナレッジシェア」というと、他者が使える役立つ知を共有するものと捉えられることが多いものです。MIMIGURIで開かれる知は、必ずしも分かりやすく"役立つ"知でもなかったりしますが、「やってみてこんなことがわかった!」という学びが開かれることは多くあります。

ですが、この事例で対話が巻き起こり新たな知の解釈が生まれていくきっかけになっていたのは、そのプロジェクト経験を経て経験した本人の中に湧いてきた"もやもや"と、その"もやもや"から出された問いでした。

これは、「やってみてわかったこと」ではなく、むしろ逆に「やってみたけどよくわからなかったこと」が起点となって知の探究が進んだ事例と見ることができるのではないかと思いました。

「知を開く」で開かれているものには「わかったこと」と「わからないこと(←ここに"もやもや"が含まれる)」の2種類があるのではないかと考察をしました。

「知を開く」は何を開くのか?の探究過程で書いた図
「知を開く」は何を開くのか?の探究過程で書いた図

(やや余談ですが、自分が関わっていた出来事でも、あとでふり返って考察してみると、今回のように自分でも思いもよらない発見があったりするので、私はこのような事例の考察が好きでやめられません。私の好きな研究スタイルです。)

社内のプロジェクトリフレクションシェア会の場に問いが出され、その問いに触発された参加メンバーが自分の考えを語り、新たな知の解釈が生まれていきました。さらに、最初に知を開いた(問いを場に出した)メンバーと問いに触発されたメンバーは、プロジェクトリフレクションシェア会が終わった後にも社内slackに互いの知の解釈を書き合い、共に知を探究する関係性が生まれていきました。

さらに、この共に知を探究するやりとりがきっかけとなり、その後MIMIGURIが運営する学習メディアであるCULTIBASEでオンラインイベント化されました。それが「企業における理念の存在意義を問い直す」でした。

この事例は、MIMIGURIのバリュー「知を開いて、巡らせ、結び合わせる」がCULTIBASEのコンテンツとして一度「知を結び合わせる」までいった事例と言えるのではないかと思っています。

「わからないこと」や「もやもや」を開くことが共同的な知の探究につなが るということが、興味深く面白い発見でした。ここから私の"もやもや"研究が始まったとも言えます。

もやもやを起点とした「共同的な知の探索」の構造:事例の考察(日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスターの一部)
もやもやを起点とした「共同的な知の探索」の構造:事例の考察
(日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスターの一部)

「"もやもや"を問いに変換する」という発見

2023年の日本デザイン学会春季研究発表大会で、このMIMIGURIで起きた知の循環の事例考察を発表するために、ここで起きていた知の循環をモデル化しようとしました。

モデル化するにあたってターニングポイントになったのは、私が参加していた日本デザイン学会の情報デザイン研究部会で学会発表の1ヶ月前あたりに開催された発表予定の研究を持ち寄る研究会での出来事でした。作成途中の生煮えモデルを見てもらったところ、こんなコメントをいただきました。

「MIMIGURIさんでやっていることは、"もやもや"を問いに変換していることなのでは?」

言われてみれば当たり前かもしれないけれど、それかも!と自分の中で納得感が高く、なかなか組織の中だけだとどうしても客観視できず言語化しきれなかった部分を言語化していただけた感覚で、とてもありがたいフィードバックでした。

研究会で見せた生煮えモデルの一部
社内外で何度も壁打ちしてできあがったMOYAQモデル
社内外で何度も壁打ちしてできあがったMOYAQモデル

モデルに名前をつけるミニチャレンジ

研究会でいただいたフィードバックを経てモデルはできてきたものの、次にこのモデルにどんな名前をつけようか悩みました。モデルに名前をつけることも、私にとってちょっとした今年のミニチャレンジでした。語彙力に自信がなかったので、すぐにいい名前が思いつかず、MIMIGURIメンバーの力を借りてなんとか名前をつけることができました。

MIMIGURIメンバーと壁打ちしながらモデルの名前を探っていったslackのログ

(実は略して"MOYAQ"にしたいというのが先にあって、モデルの意味に当てはまる言葉を後付けで考えました!というのはここだけの話で..)

こうしてできあがった、MIMIGURIの共同的な知の探究モデル"MOYAQ"ですが、"もやもや"を開きあうことが知識創造やナレッジマネジメントにつながることを示唆する研究発表としては、6月に開催されたデザイン学会の学会発表で一旦一区切りとなりました。

日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスター
日本デザイン学会第70回春季研究発表大会で発表したポスター

その後、"もやもや"を開きあうことにさまざまな可能性を感じた私は、チームで実践していた週次のふり返りでも、"もやもや"を開きあうとチーム内でお互いの内面を把握できて、その後のチーム活動で何を探究していくといいかを考えやすくなるのでは?と思い、「KPTの"P"(Problem)を"M"(Moyamoya)に変えよう!」と言って、KMTが誕生することにつながりました。

ここまでが、ふり返り手法KMTの誕生秘話でした。

"もやもや"を開きあうことのよさとは?

2023年は、"もやもや"をさまざまな場で活用しながら、"もやもや"を開きあうことって何がいいんだろう?と探究してきました。私なりに、"もやもや"を開きあうことのよさを整理してみます。

  • 少し気が楽になる:一人で抱えていた問題をまわりの人と分かちあえて、少し気が楽になる

  • 気になっていることを言いやすくなる:"もやもや"を開いてよいという前提をおけば、明確に問題かどうか分からないことでもチームメンバーへ気軽に言いやすくなる。

  • 自分の思考整理に役立つ:自分の中でうまく整理できてないことを一度言葉にしてみて、他者に開いてみることで、自分の思考整理になる

  • チームづくりにつながる:一緒に活動しているときには分からなかったお互いの内面を知ることで、行動の背景が見えてきて、相互理解が深まる。

「"もやもや"を開いていい」というルールをチームの前提におくことができると、自分にもチームにもメリットが多そうだなと改めて感じます。ですが、"もやもや"を開きあうことが持つポテンシャルはもっとあるのでは!?と思っているので、もう少し"もやもや"研究は続けてみたいです。

自分自身で実践しながら研究していくのが私の研究スタイル?

ここまで2023年の"もやもや"研究をふり返ってみると、MOYAQは私自身がMOYAQを実践しながら("もやもや"を問いに変換して探究しながら)生まれてきた知の探究モデルと捉えることができるかもと思えてきました。(当時は全く無意識でした。。)

以前から私は「デザインの実践と研究を一体のものとして体現する」という研究スタイルを目指していますが、なかなか日々の活動の中で意識的にはできていないので、こうしてふり返ってみたことで実は既にやってたのかも?と気づくことばかりです。(よくも悪くも毎回こうなります。。)

もうあえて意識せず、目の前のテーマに自分ががっつり入り込んで夢中になってやれば、実践と研究を一体のものとして体現することができるのではないかと最近は開き直りつつあります。

この研究スタイルは、私がもともとデザイナーとしてデザインをしていたときにも、デザイン対象への理解を深めるために、まず自分がユーザーになって使ってみる、自分がデザイン対象の世界の当事者になり、その世界に入り込むことを大事にしていたことが深く影響していると思っています。
私は何かをデザインする上で、デザイン対象の世界に自分自身が入り込み、よくよく観察し、そこで起きていることが一体何なのか?どんな意味があるのか?を考えていく癖があります。

このあたりはおそらく私が学部時代から学んできたデザインが、現象学やエスノメソドロジーの領域とも関わりがあったこともあり、今の自分の研究スタイルに影響している気がしています。

でも真面目な話で、自分ごととして入り込んで夢中になれる実践対象かどうかが実践と研究を一体のものとして体現する上で、私にとっては大事なことかもしれないと改めて気づくことができました。

KMTとMOYAQの融合へ

ここまでの話を読んで勘が鋭い方は、KMTでは"もやもや"を開きあうことはやってるけど、"もやもや"を問いに変えることはやっていないのでは?と思ったかもしれません。ここは私も自覚していて、KMTのふり返りに"もやもや"を問いに変える要素を追加したバージョンのふり返り手法を最近作りました!その名もKMQT(ケモキュート)です。

KMQT(ケモキュート)ふり返りフォーマット
KMQT(ケモキュート)ふり返りフォーマットを作ってみました

ちょうど2023年のふり返りを社内で実施するときに使ってみたのですが、たくさん出した"もやもや"を眺めながら、向き合いたい問いに変換してみると、チームや自分にとって大事な部分がどこなのかを整理するのに役立ちそうな印象でした。

(12/27追記👉)KMQTのmiroテンプレートをMiroverseに公開しました!やり方の手順も記載したので、気になる方はご覧ください&ご自由にお使いください。

KMQTによるふり返り、興味がある方はぜひお試しください。そして感想を教えてもらえると嬉しいです!

"もやもや"とのつきあい方

昨今、ネガティブケイパビリティへの注目が高まっていますが、"もやもや"を開き合うことは、ネガティブケイパビリティで言われていることと同じなのだろうか?と素朴な疑問が湧きました。ネガティブケイパビリティについても、人それぞれ解釈は幅はあると思いますが、あえて結論を出さないでおくという話はよく聞きます。

ここに対して、私は結論は出さなくてもいいけれども、何もせずにいるのだと少し勿体無い気がしてしまうのです。"もやもや"を無理に解消しようとする必要はなく、そのまま受け止めた状態でいいので、とはいえ何かしら今の自分にできるちょっとしたアクションはしてみたいと思っています。何かやってみると、また新たに見えてくることもある(と信じている)からです。"もやもや"が解消されるわけではないけれど、そもそもそこで"もやもや"する必要ないんじゃないか?と気づくこともあるので、何もせずにいるのではなく、何かやってみることはこれからも大事にしていきたいです。これも私なりの"もやもや"とのつきあい方かなと思っています。

自分なりの"もやもや"とのつきあい方を見つけることができればいいのかもしれないですね。

私はMIMIGURIで「Reflection Researcher / Experience Designer」という肩書きを使っているものの、なんとなくしっくりこなくて"もやもや"していたのですが、今年の自分に肩書きをつけるなら「Moyamoya Researcher」だったのかもしれません。

ということで、私の"もやもや"研究は来年ももう少し続くかもしれませんが、今回の記事はここまでにしたいと思います。


明日のMIMIGURI Advent Calendar 2023は、MIMIGURIにジョインして数ヶ月ですが、MIMIGURIに新たな風を吹き込んでくれているなと日々刺激を感じている、米田さんです。お楽しみに!

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