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ロボットと人間。

 昨日夢を見た。
 それはなんてことない変哲な男性である僕と、世間一般にロボットAIが普及した世の中であった。

 配膳ロボットが一般的に普及しているこの世の中に、僕は人の温かさを感じず苦しさを感じていた。今まで足繁く通っていたファミレスは、顔馴染みの妙齢女性から、気がつけば猫の顔が液晶画面に投影されるロボットに変わっていることが、僕は正直辟易としていた。

 もちろんロボットの普及率が上がるのはいいことではあるし、これからの時代働き手が減ることを危惧されている世の中には合っている社会変革だとは思う。
 頭では理解しているのだが、いつも配膳に来てくれていた女性と会話の機会が減っているのは事実であるし、内心なんてことのないくだらない会話を楽しみに朝食を食べにきていた僕は、あまりの味気なさに店を出てそのまま帰ろうかとすら思った。

 「ああ、ついにここもか。」
 時代に削ぐわない考えが浮かびながらも、その中でも現実を受け入れようとする僕がいて、時折通り過ぎていくロボットが視界に入るたびに僕は小さくため息をついた。
 何処となく居心地が悪くそわそわと過ごす中、僕はドリンクバーから拝借してきたコーヒーをこぼして、自分の着ている白いシャツを茶色く染めてしまった。咄嗟のことに混乱しながらも、僕は戸惑いながら「店員呼び出しボタン」を押して助けを仰いだ。

 数秒待ち、助けを求め押したボタンに呼応するごとく現れたのはロボットの店員であった。
 正直、嫌だった。ロボットを相手にコーヒーをこぼしてしまったことを謝罪すること、こぼした後の対応をAIの判断で処理されること。全ての失態をロボットに僕は謝罪する気にはなれず、戸惑いながらも「コーヒーをこぼしたから拭くものをください。」と告げようと口を開こうとすると、間髪入れずロボットの店員は「火傷はありませんか?すぐに拭くものをご用意します。」と機械音声ではあるが、どこか心配そうに告げてくるのだ。
 そう音声データを再生させるようプログラムされているだけなのはわかっているが、配膳ロボットのように一定の動きをするだけではない現実に、僕は少し驚きながらも「ごめんなさい、ありがとうございます。」と小さな声で呟く。
 
 慌ただしく動きながら、厨房から何枚もタオルを持ったロボットが僕の座っているテーブルに戻ってくる。「こちらでお召し物を拭いてください。」と綺麗なタオルを手渡すと、ロボットは反対の手で持っていた汚れたタオルで床を拭き始める。
 「いくらプログラムだからって、そこまで考えて動くことができるんだ。」と思いながらコーヒーで濡れたズボンを拭いていると、ロボットの店員さんが顔を上げて心配そうにこちらを見ている。
 
 目があって気がついたのだが、僕が勘違いしていただけで、よく見たらその店員さんはロボットではなく人間だった。これは恐ろしい間違えをしてしまったと思い、僕はそこで目覚めた。

 目が覚め、自分はロボットだったら店員さんを無碍にしていいのだと、無意識に差別をしていたことを後悔した。ロボットであろうと人間であろうと、労働を自分たちのためにしてくれる力の一つに違いはないのだ。
 これからAIが普及し、人間と同じクオリティのものを各種サービスにおいて提供してくれる世の中になるに違いない。その中で、たとえロボットであろうと感謝は感謝で伝えるべきだし敬うべきだな。と反省をした朝だった。

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