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【読む焚火その8】「ことばの焚き火」感想文

これは本。

当たり前だ(笑)。だから、はじめに、なんによせ、以下の僕の駄文を読む位ならば、是非本体に触れて欲しい、と思います。読んで欲しい、結構切実に。

「ことばの焚き火 ダイアローグ・イン・デイリー・ライフ」
著者 大澤真美、中村一浩、植田順、野底稔
発行 ハンカチーフ・ブックス
発売 サンクチュアリ出版

新しい世界への航海に出る時に、旧世界の海図を持って出ることほどバカげたことはないです。言うまでもなく、この本は、このデジタル全盛のこの時代に、「書籍」という形をとる必然性のあった新しい時代の海図の一つだ、という感動にじんわり痺れつつ、それ故に些かたどたどしく書いた感想です。はい。

これは本じゃない。

いや、本なんだけど(笑)。
なんかですね、ただの本じゃないんですよね。
なので、どうもうまく感想を書けない。全然書けない。うまく書こうとしている自分がバカバカしくなるようなそんな気すらするんですけど、どうしても書いておかずにはいかない、という已むに已まれぬ衝動もあり、それに即して書いておきます。

なんだろう、不思議です、とても。本、書籍と言うよりも「書籍の形をした何かの流れ」みたいな。

いやいや、本だからそりゃ物なんだけど、なんというか、読んでいるそばから動いていくんですよね。いや、自分一体、何を言っている(笑)?

ただ一つ、この20年間HR(ヒューマンリソース)のビジネスを生きてきて、「採用と定着」の方法論を考え、かつまた「転職支援」を実践してきた僕が断言したい事があるならば、それはこの「ことばの焚き火」を読む人が増えれば増えただけ、企業のHR的課題、経営課題は言うに及ばず、世界のそこかしこに散在する課題が解けていくだろうな、ということ。

これは対話についての本です。

そう。これは対話にまつわる本です。
対話について書いてあります。それは間違いない(笑)。あ、付け加えていうならば、焚火/キャンプギアについての本でないのも間違いないです(笑)。

対話、という言葉から何を連想するかは、人によって異なるかもしれません。「コミュニケーション方法の本かな?」と思う人もいれば、特に(私のように特に人材系)ビジネスのど真ん中に居る人にとっては、
「コーチングみたいな?」
「1on1メソッドの話?」
「あの車座になって話すやつか(ちょっと訝しい表情で)」
みたいな反応が見える気がします(笑)。

ちょっと知っている人だと、どうなんでしょうね、ティール組織とか、ガーゲンの社会構成主義とか、自然経営とか、自律分散型組織、とか、キーワードを思い浮かべたりするんでしょうか?

多分、間違ってはいないような気もします。少なくとも、そういった意味で、模範とすべき対話の実践者が記した書物ではあるような気はします。決して「こうすれば人との会話が上手くいくぜ!サクセス!(笑)」的なメソッドは書いてないですが。。

だから、そういった方々の経験からにじみ出る、対話について学べる本です。はい。うん。

これは身体で読む本。

だけど、そうなんだけど、なんていうか、そういう事じゃないんですよ。この書籍のありようは。そして、この書籍を読む体験、それは読書、という形をした、何か別の体験のようであり。

なんだろう、それは?対話?うん、確かにそう。対話的な読書感ではあります。いや、瞑想みたいでもある。文中には「水に浸かる」といった表現も実際に出てくるのですが、そういう感じのもの。

そう、この読書は身体でする読書、という感じ。

読みながら、瞬間瞬間、感じるものがあります。読書してるハシから、コンコンと湧き出てくる身体の感覚があるんですよね。これは何だ?

少し戸惑いつつ自分なりに近いものをやや気恥ずかし目に、言葉にして出してみると、「世界」みたいな感じなのです。うぅ。

ちょうどそれは、森に籠って(籠ることがあるのです、たまに)自然の中にうまく溶け込めた時に感じるもの、焚火をして火を眺めるときに感じるもの。

「せ、世界」と気恥ずかしく言うしかない感じのものなのですよねぇ。うーん。

これは変化する本。

本、書籍としてこの本を表現するならば、
目を瞑るように読む本、
踊るように読む本、
対話するように読む本、
身体で読む本、
そうです。そうなんです。そして、読むそばから変化していく本、みたいに言いたくなる。そんな本です。

うん。まあ、この一冊の本と対話してるみたいな感じではあります。

「変化する流れに耳を澄ます」という表現が、文中にあるのですが、そう、なんか著者(達)自身が静かにたたずんで、耳を澄ましているような感じが見えて、かつまた、自分自身が「じーっと」耳を澄ませ始める、そんな感覚があります。

そうなんですよね。多分、読み手一人一人が作っていく本なんです。さながら、焚火のパチパチ爆ぜる音を聞きながら、じー、っと世界に、自分自身の声に耳を澄ましている時のように。そういう体験が、この本の読書体験なんです。

これはつながりについての本。

あらためて、ですが、対話の本です。そして、それって、読み進めるうちにこんな風に感じられてくる。つまりそれは、人と人との、人と世界とのつながりのこと。「つながりが大事だよ」「一人ではないよ」なんて、この本は言わない。だけど、読んでいる時間の中から、その「つながり」が浮き上がってくるんですよ。

もうちょっと掘り進めたい。なぜそうなのか?なんなんだろうって考えました。それで、なんとなく分かった。それが信頼と、愛情、であることに。著者たちの、あなたへの愛情。世界への愛情であることに。信頼、と言うと、しゃっちょこばっていて。そうではなくて、単に、「信じているよ」というメッセージ。「声を聞かせてくれ」というメッセージ。そして「あなたでOK」という、僕が聞きたかったメッセージだったということ、しかも死ぬほど聞きたくて仕方がなかったメッセージである、という事。

「ちょっと待てよ」の時代。

「ちょっと待てよ、の時代」と、ここ数年、勝手に感じてきました。皆がこんな風に言っている、と感じてきました。いや、皆が、というのはやや卑怯で、僕がこう感じてきただけなんだけど。

「これは自分が言いたかったことじゃない。」
「それは自分が伝えたかったことじゃない。」
「これはありたかった自分じゃない。」
と。

「ちょっと待ってくれ。」と。
「本当にこれで良いんだっけ?」と。

VUCA、みたいな、手垢のついた雑な言葉では語れない気持ち。今、僕たちはこう言わないといけないし、言って良いと思ったのです。

「そうじゃない。そういうんじゃないんだ。」

この本を読み終わった今、あらためて感じます。朝起きてから夜寝るまでの間に、語られていることや、書かれていること、たっくさん出会う中で、本来の自分にとって大事じゃないものがほとんどだ、ということに。欲しくないものしかない事に。

これまで通りじゃない世界や課題に対して、これまで通りの「戦略」やら「戦術」やらと言った戦争のメタファーで対処しようとしている、という事に。

そして、対話の智慧というのは、それをつまびらかにする智慧なんじゃないかって事に。それは、誰もが求めてやまない、本来の自分へと帰る途を照らす智慧なんじゃないかって事に。

やはり、これは本だ。

これは、本です。だって本の形をしてるし(笑)。本だから紙だ。そりゃそうだ。紙だから、原料は木だ。それは木で森だ。そして森は変化する。世界は変化する。

何によって?対話だ。つまり、この本と対話をするあなたによって。そしてこの本とあなたの対話は、さざ波となって世界を震わしていく。送りたいものは、なんならすでに届いている。あなたが世界に体を開いて、対話を始めさえすれば。

これは森林のような本だ。どこからめくっても読むことが出来る(本当だからやってみて!)。どこから入っていっても良い。試しにペラっとめくって、そのページだけ、読んでみるといい。言葉が浮き上がってふわふわ舞うように踊ってるのが見えるし、何よりそれに反応している自分に出会う。

一行一行が身体に働きかけてくる感じが分かる。しかもそっと。多分、今あなたが必要とするような触れ方で。

いつでも手元に置いて。

いつでも手元に置いて、スリスリと手で弄びながら(すごく気持ちの良い滑らかさなんですよ!)、ちょっとした時に、どこでも良いからページをめくる、この本は、そんな感じで付き合っていくのがよいと思います。

そしたら、日常がちょっと変わるかもしれない。この本を読んだ人の日常がちょっと変わったら、世界の在り方も変わるかもしれないなあ、と思いながら、自分もスリスリ表紙をさすっていたい、と思います。

変わり続ける本であるがゆえに、一生添い遂げることができる本になると思います。

ああ、キツイ、言葉にならないものを無理くり言葉にするのは(笑)。要領を得てなくて、ほんとすんません。ぐふぅ。

でわ。



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