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料理の失敗が気づかせた、食べる人から作る人になってわかったこと。

私の母は、料理がとても上手である。料理の先生をしているくらい。
それを毎日食べていた私は、とても幸せな子どもだった。

もちろん手抜きの日もあったし、大人向けのあっさりメニューや苦手な食材で、子供ながらにつまらない思いをした日もあった。

それでも数々の食卓の思い出は、一生懸命育ててもらったと感じられる一番の記憶であり、私にとっては、自分は愛された子どもだったと自信を持って思える根拠でもある。

母に「これ、おいしい!」というと、特に喜んでいるようにも見えず「そう?良かった」とさらっと言っていたことを覚えている。
その頃は、「お母さん、ほめても嬉しくないのかな?」と少し残念に思っていた。だけど、毎日毎日食事を作って誰かに食べさせるのは大変なことだとわかった今は、母も娘の一言に喜んでばかりもいられなかったのではないかと思っている。

結婚して、私も作る人になった。
先日、夫が「毎日、お弁当を食べるのが楽しみで仕事を頑張れる」と、ぽそっと言った。
何を大げさなことを言うのだろう、何かほしいものがあるのか?と思ったけど、自分が食べるだけの人だった時の記憶を思い出すと、それもわかる気がした。
自分も誰かのそのポジションになれたことが嬉しくなった。

作ってもらった食事を食べることは、自分のために手間ひまをかけてくれる人を思い出し、自分はその人にとってかけがえのない存在なのだと強く思い出させられる行為なのかもしれない。
どんなに自信を失っていたり、自己嫌悪感を抱いていたり、相手に対して不愉快な感情を持ったりしていたとしても。

自分のために作ってもらったご飯を食べると、体も気持ちも、ちゃんと元気が出る。

だから、私にとっては、母が料理をほめても嬉しそうな顔をしていなかったことより毎日家族のために食事を作り続けてくれたことの方が、真実なのだ。

だから、「実家のご飯はちゃんとしてたなー。私もちゃんとしなきゃ」って思って張り切るのはいいけど、行き過ぎて自分への呪いにはしたくない。

たくさん手抜きしたとしても、一緒に笑顔で食べられればいいと思う。
そんな家庭でありたい。

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