藤原道長の子孫の戦国時代
ご覧頂きありがとうございます。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する藤原道長の末裔 ナナにございます。
GWですね。いかがお過ごしでしょうか?
先日、大分県中津市にある中津城へ行ってきました。
中津城といえば、以前の大河ドラマで岡田准一さん主演の「軍師官兵衛」が有名ですね。
さて、現在大河ドラマに登場する藤原道長の子孫である我一族のご先祖様が戦国時代に何をしていたのか…について、今回は書いてみようと思います。
藤原道長の子孫は戦国時代何をしていたの?
その前に、調べると藤原道長の子孫って沢山いるんですね。
もちろん、藤原道長の子孫として栄えている一族もいると思います。
しかし我一族は藤原道長の子、藤原頼通の実子ですが養子に出されています。
そのため、そこから苗字が変わっています。
さて、そんな我一族のご先祖様ですが戦国時代は太閤秀吉公に仕え武士として戦に参戦しておりました。
そして、一族の数名が戦で討ち死にしていることが家系図には書かれています。
天正14年
その内のひとりが討ち死にしたと記されている天正14年を調べてみると、やはりちょうどその時期豊臣秀吉は戦をしておりました。
昨年の大河ドラマ「どうする家康」を観ていて、家康側を応援していたのに…まさか、ご先祖様は秀吉側でしかも討ち死にしていたなんて!となりましたが、今となってはどちらでも良いこと。という感じです。
戦って、結局何なのでしょうね?
中津城で「どうする家康」
話しは、中津城に戻りますが…中津城の城内にこちらの鎧が展示されておりました。
大河ドラマ「どうする家康」をご覧になっていた方なら、見覚えがあるのではないでしょうか?
戦は好きではありませんが、日本のお城とか鎧とか刀とか見るのは面白いです。
中津城にも藤の花
中津城を訪れた日は結構な大雨で、あまり外回りをゆっくり観ることができなかったのですが、このように藤の花が咲いていました。
我一族の、本家紋は下り藤。
しかし今は、仮家紋を使用しています。
仮家紋も、藤原頼通の実子であるご先祖様が養子に出された時に決められたものです。
大河ドラマ
さて、今夜は「光る君へ」が放送されますね。
「軍師官兵衛」「どうする家康」と、最近は大河ドラマだらけの日々でした。
大河ドラマは面白いですが、あれが真実であれが全てだと思い込んでしまうのは危険な気がします。
あれは、事実を元にしたフィクション。
戦も、感情も、この世の全てにおいて…どちらの視点でみるかによって同じ出来事も全く違うものに見えるもの。
それでは、この辺で。
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