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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 Vol.52

大人の流儀

 伊集院 静さんの『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院さんはこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

 帯には「あなたのこころの奥にある勇気と覚悟に出会える。『本物の大人』になりたいあなたへ、」(『続・大人の流儀』)と書かれています。

 ご存知のように、伊集院さんは小説家ですが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。



「花見を自粛するのは間違っている」から

伊集院 静の言葉 1 (154)

 私は善行できる人間の資格はないの。こと細かく説明すると呆れられるからしないが、テレビでタレントやスポーツ選手が、頑張ろう一緒に、なんて言っているのを見ると、スゴイ連中だナ、と思ってしまう。
 偽善と言ってるんじゃない。
 偽善でも、被災地に行き、瓦礫を運んでいるうちに汗が出てくる。その汗が偽善を消してしまうのが人間の行動というものだろう。    

大人の流儀 2 伊集院 静                               



「幸福のすぐ隣に哀しみがあると知れ」から

伊集院 静の言葉 2 (155)

 飛行機が上昇し、眼下を眺めると直視できない惨状である。海の底が見える。まだ発見されないおびただしい数の遺体が眠っているのか。
 出発の前日、家人から、Sさんの娘さんが亡くなっていたと告げられた。
「あの元気なSさんの?」
「ええ、二日前に遺体がようやく見つかったって、どうしたらいいかしら?」
「花と弔電をすぐに送りなさい」
「それでいいかしら」
「まずお悔やみを伝えるのが大事だ。かたちはどうでもいいんだ」
「わかりました」
 Sさんは我家の庭の世話をしてくれている女性で、いつも元気で犬たちもSさんに声をかけられると嬉しそうにする。自家製の漬物や餅などを持参してくれる。
 三十歳を過ぎたばかりの娘さんはタンクローリー車の運転手だった。私も、時折、大型車の運転席に颯爽と乗る若い女性のドライバーを見て、見事なもんだ、と思っていた。聞けば大型車輌の女性ドライバーは運転も上手く、責任感が強いので事故も少ないらしい。
-----切ないことである。 

大人の流儀 2 伊集院 静                               


「幸福のすぐ隣に哀しみがあると知れ」から

伊集院 静の言葉 3 (156)

 Sさんに連絡を取ってくれた人が、家人にSさんの言葉を伝えたそうだ。
「私の所は娘と対面できて送ってやることができただけでも幸せ、、でした」
 東北の人はこういう言い方をまずする。
 幸せ、、であろうはずがない。それでもまだ遺体を探し続けている人々にむかってまず気遣うのだ。自分の命より大切な娘を亡くして哀しくない母親はどこにもいない。だがそれを見せない。
 ここに大人の良識、礼儀、言葉がある。

大人の流儀 2 伊集院 静                               


⭐ 出典元

『大人の流儀 2』(書籍の表紙は「続・大人の流儀」)
2011年12月12日第1刷発行
講談社



✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。

🔷 「自分の命より大切な娘を亡くして哀しくない母親はどこにもいない。だがそれを見せない。 ここに大人の良識、礼儀、言葉がある」

同様な想いをしている他の人のことを気遣う―――なかなかできないことです。できる人は大人です。

少し話が異なるのですが、note 以外のSNSで回想録『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』を投稿していた時、私は「配偶者を亡くすという経験がないと、深い哀しみはなかなか理解できないと思います」というようなことを編集後記に記しました。

ある人が、私のこの言葉にコメントを寄越しました。
「経験しなくてもわかりますよ」と。
その方はご主人と幸せそうな生活を送っている様子でした。
その上で、「もうあなたの投稿は見ません」と追記していました。

ちょっとムッとしましたが、直接対面していて言われたのではないので、敢えて反論しませんでした。

私のコメントは一方的な点があったかもしれませんが、わざわざ「もうあなたの投稿は見ません」とコメントする必要はないと思いました。
次回から見に来なければ済むことです。

もちろん、いろいろな人がいるので、いちいち気にしていたら精神的に参ってしまうというご意見もあるでしょう。

ただ、その人は残念な人だなと思いました。もしご本人が同様な体験をしたら、立場が逆転しても一貫して同じ態度を貫けるだろうか、と。

「経験しなくてもわかるでしょ?」
と言えるでしょうか?





🔶 伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。




<著者略歴 『大人の流儀』から>

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。

91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。

作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。




⭐ 原典のご紹介








⭐ 私のマガジン (2022.07.28現在)






















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