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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 Vol.10】

大人の流儀

 伊集院 静さんの『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院さんはこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

 帯に自筆で「ちゃんとした大人になりたければこの本を読みなさい」と記しています。

 ご存知のように、伊集院さんは小説家ですが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。


出典元

『大人の流儀 1』
2011年3月18日第1刷発行
2011年7月14日第11刷発行
講談社


「自分さえよければいい人たち」から

伊集院 静の言葉 1 (28)

 
 いつの時代も、金にまつわるよからぬことや常識を逸脱したことが起きると、その背後に銀行がいる。
 昔は競馬でも”銀行レース”というのがあった。配当は少ないがまず確実に儲かるレースのことだった。今は”銀行レース”とでも言おうものなら、危なっかしい象徴になる。
 作家の帚木蓬生ははきぎほうせいさんは永年、ギャンブル依存と戦っていらっしゃる。氏は精神科の開業医でもあり、ギャンブルで生活が滅茶苦茶になり、人生も狂った大勢の人を診ている。その著書もある。「ギャンブル依存とたたかう」(新潮選書)、「やめられない ギャンブル地獄からの生還」(集英社)どちらも実のある良書である。十年近く前、帚木氏の編集担当者と私の担当が同じことがあったので、氏のギャンブル依存症の患者への質問レポートを入手してもらい、自分で質問事項に回答してみた。私は軽症だった。これが妙だった。
 今、ギャンブル依存症の患者の最大の種目はパチンコだそうだ。七割近いらしい。

大人の流儀 1 伊集院 静



「企業の真の財産は社員である」から

伊集院 静の言葉 2 (29)

 
 少し前の話になるが、会社で使う言葉をすべて英語にする企業のことが話題になった。
 それはそれで構わないと思うし、仕事で必要な英語などたかが知れているから、すぐに慣れるだろう。取引先の大半が英語圏の国々、または英語しか話さない人たちとの仕事なら、それは必然な部分もある。
 だが取引先の大半が日本語を使っているなら、そのやり方はおかしいし、肝心なことを経営者は忘れている。
 会社で人が働くことが、利益、効率、機能といった類のものだけならかまわないが、企業の目的はそれだけではない。
 企業の目的は発展的存続だと私は考える。
 我社はグローバルが叫ばれている今日、英語で会社を躍進させるのだ、と言うかもしれないが、英語ではまず進まないだろう。
--------どうしてかって?
 グローバルだろうが、躍進だろうが、そこに人間を作り上げるものがなければ、ただの利益集団でしかない。為替の投機集団と同じである。

大人の流儀 1 伊集院 静



伊集院 静の言葉 3 (30)

 
 企業の価値は資産、資本金、株価などではない。企業の真の価値は社員である。人間である。誰だって仕事の覚え立ては失敗のくり返しだ。中堅になってもなお失敗はある。苦節、苦悩も日々生じる。しかし失敗、苦節が人間の力をつけていく。ここが経営者の歯がゆいところだが、そうして力をつけた企業は底力を持っている。
「どんな会社に就職したらいいんですかね」
 若者に尋ねられる時がある。
「魅力的な経営者、それ以上に魅力のある社員がいる会社を選びなさい」
「今は就職難だから、そんな所まで見る余裕はありませんよ」 
 そうではない。人間は二十歳を過ぎれば、人の顔、表情、姿を見て、その人が底力を持っているかどうかはわかる能力はあるのだ。
 ファッションじゃありませんよ。マスコミ受けの善し悪しでもない。会社でも工場でも見学に行ってみればわかる。

大人の流儀 1 伊集院 静




✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。

🔷 今回は企業について伊集院氏が考えていることを中心に取り上げました。

会社の選び方を、伊集院氏は下記のごとく明快に答えています。

「魅力的な経営者、それ以上に魅力のある社員がいる会社を選びなさい」

こうしたことを指摘する人はあまりいないと思います。
しかし、「企業は人なり」という原点に帰ってみると、本質を語っていると思いませんか?

では、その社員ですが、ジンザイと呼ばれることがあります。
このジンザイにはいろいろな漢字が当てられます。すべてこじつけですが、意味するところはなかなか深いゾ。

人材(一般的)、人財(時々使われる社員=財産)、では人罪はどうでしょう。

人罪は前後を逆にすると罪人ですから悪いジンザイであることは分かります。犯罪を犯す可能性がある社員あるいはすでに犯罪を犯している社員ということになりますね。

では、人在はどうでしょう。ただ存在するだけで会社に何も貢献できないジンザイ?

人済もあります。もう済んだ人。終わった人。

さらに人才は才能がある人かもしれません。

人剤(クスリになる。あるいは中和してくれる人でしょうか)もいるかもしれません。

どれもこじつけですが。

私がサラリーマンだった時、どうだったかですって?

私は「人在」「人済」だったかもしれません。
左遷されたり、解雇されましたからね。失敗ばかりしてきましたから。
自嘲気味ですが、その失敗はチャレンジしたからでもありますし、就職先選択の失敗もありました。

あなたはどのジンザイですか? ジンザイだったですか?


伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。


<著者略歴 『大人の流儀』から

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。

91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。

作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。






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