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没後15年: 飯島愛『Ball Boy & Bad Girl』のために

『Ball Boy & Bad Girl』とは…

突き抜けたおちゃらけっぷり。かと思えば、そこはかとなき透明感と寄る辺なさが……そんな断章で綴られる寓話、それが飯島愛(1972-2008)の遺作、『Ball Boy & Bad Girl』(以下『B&B』)。

この作品が生み出されるきっかけとなったのは、おそらくは飯島からのリクエストで企画された押井守監督との対談(『お友だちになりたい!』所収)。アニメーターになりたい、監督をやりたい、といった夢を抱いていた飯島が、押井守に直談判。飯島が物語を書きためてゆき、押井が何かしらの作品にまで仕上げるべく指南する、といった共同作業が始まる。
最初はアニメ化なども目指していたが、いきなりそれはハードルが高すぎるということで、まずは、大人向きの絵本のような趣きの作品を作るという方向でまとまっていた。そのような共同作業は飯島が芸能界を引退した後も継続されていたが、急逝により一旦、頓挫。しかし、「あれだけ一生懸命やっていたんだから、遺書として、遺志として残してあげようよ」(p116)との押井らの思い、尽力によって、死後2年を経て完成にまで漕ぎつけたのが本書である。

飯島愛『Ball Boy & Bad Girl』(幻冬舎、2010年)


Ball Boy/Bad Girl

本書の軸となるのは、Ball Boy とBad Girlという、ふたりの男女(?)の物語。

少年 (たぶん高校生) はサッカー場のボールボーイで喰っている。
何故か “球”とか“玉” の関係の仕事に就くことが多い。
パチンコ屋の店員もやった。
おそらく精神の安定のためであろう。
少年の第一の秘密。
何故か股間に玉がない。
気がついたらなかったのだ。
決心して抜いたわけでも、盗まれたわけでもない。
アクマと契約した覚えもないのに、なくなった。
母親に捨てられた あのときに喪失してしまったのかもしれない。
だからタマを探している。
自分探しではない、 タマ探しだ。
タマが戻れば自分がわかると期待しているわけでもないが、
タマがないとなんだか落ち着かない。
タマがないと男じゃない、 とも思わないが(セックスだって出来るし、安全だし)。
よくわからないが、 タマも身の内だし......。 

(p37)

Ball boyは、いつの間にか、股間の玉がなくなってしまった少年。おまけに、なぜか夜の12時をまわると朝まで女性に変身してしまう。そんな能力があるのをいいことに、玉を取り戻すべく、夜な夜な男を漁る日々。しかし、母からも見捨てられた過去のある彼は、いかに物質的に満ち足りても、心の奥底では、ほんとうの自分を愛してくれる誰かを求め続ける。

所変わって、局所銀河群のひとつ、遊星キノコは、ジメジメとした暗い一般家庭が放つどんよりした空気で湿気を保ち、資源を維持している星。
そして、Bad Girlは、遊星キノコの女帝の一人娘。でも、何億年と支配を続ける女王陛下の母に嫌気がさしていた……

神が人を創り、生まれ落ちて死に至るまで人に宿された生命。
生命とは、 生まれて死ぬまでの光一。
昔、 人は常に議論した。
天才は、死ぬのか。
死んだから、 天才なのか。
「後者に決まってんじゃん!!
女王陛下に意味がないのは、不老不死を望んだからでしょ!!
終わりがないなんて、 何がいいのかねぇ!?
昔から、 絶世の美女と謳われたお偉いさんは皆老いに恐怖を感じて、鏡を手放さなかったんでしょ!?」
「そして、 わたくしは魔女に魂を売り飛ばした」
「陛下ッ!!」とキノコ侍女
「あ、ヤバっ!!」
「姫、そなたにはなぜ未知なる事柄を語る英知が備わっておるのか」
「陛下、お言葉を返すようですが、 未知なる事柄ではございません。
何億年も昔、われらに受け継がれた古代の生命体の実話で……」
「そのような言葉遣い、聞きとうない」
「しかしながら、陛下の御前にて」
「普段のままでよい」
「そう!? じゃ、そうするね、助かるしぃ……で、 なんか用事があったの」
「なぜ、母であり、 女王である私にお前は逆らうのか」
「逆らうって、別にぃ……」
「正直に申せ!私に従うことをしないのはなにゆえじゃ」
「……ブスだから」
「あなた ブスだから」
「だからだよ!!」
「ブスうっっっっっっっっっ!」
「墜ちよっ!!」
「ぎゃああああああ~」
でも、ピースで墜ちてゆく姫。

親子げんかの末、地球へと真っ逆さまに堕ちてきたBad Girl。そこは新宿歌舞伎町のど真ん中。地球上で自分が男か女かなんてことも知らぬまま、店のスカウトに誘われるがまま付いて行ってみたり……

実人生との接点

……とまあ、荒唐無稽なストーリーではある。そして、この男女(?)がどう交錯するのかさえ判然とせぬまま、物語は終わる。
でも、そこには飯島自身の現実の生が透け見えてもいる。
彼女は「おとなしい良い子」として幼い頃より両親からの厳しい教育を受けてきたが、思春期になるにつれて反発を強め、非行を繰り返す。そして、16歳で亀戸の実家を飛び出し、六本木で水商売の世界に飛び込んだ。Bad Girlには、そんな「大久保松恵」が源氏名「愛」へと変容してゆく姿が重なる。
かたや、Ball Boyには、「女」を前面に出したメディア戦略に担がれつつ――必ずしも本意ではなかったようだが――、歯に絹着せぬキャラクターで時代の寵児となってゆく「飯島愛」の姿を重ね合わせてみたくなる。
そして、本書の後半では、一気に現実に引き戻されるがごとく、大人になったBall Boyらしき人物の「日常」が描かれる。

将来が不安だ。
明日の事を考えると、ため息が溢れた。
憂鬱になる。
僕はベンツに乗って、ロレックスをして、ゴールドカードを持ち、
お洒落な服を着て、 お洒落なお店で美味しいお酒とシャレた会話をする。 いい女と。
いい女を抱いて、彼女の大きな愛に抱かれながら、 夢を抱く少年のままの心で。
そんな、スポーツ選手とかミュージシャンとか、 カッコいい職業とか......つまり、モテたい、お金も名声も欲しいし、 気の置けない仲間も欲しいのだ。
でも、
僕には何にもない。
こんな事、誰にも言わなかった。
そう。 敢えて考えたりはしないでいた。
僕の欲しいものは、
本当の僕を愛してくれる誰か……。
(…)
カーテンの隙間から外を覗いた。
差し込んだ朝日が目を射す。 太陽は苦手。
今の私には眩しい。
「なんちてー」
独り言には慣れている。でも、何故か誰かに聞かれたような気がして恥ずかしくなった。 独り言と気がつかなければよかった。
なんでも気がつかない方がいい。 気がつくと恥ずかしい。
ベッドの横に置いてあるピルケースから睡眠薬を前歯でかじり、
唾で飲み込む。 そして布団に潜った。
自分は不眠症なのかどうかなど知らない。 知る余地もない。
もう何年もお酒か薬で寝てしまう。 早く眠りにつきたい。
人肌が恋しくなる夜が怖い。

そして 結びには、叶わぬ愛の相手へのメッセージのようなモノローグが……

知らない間に大好きな人は、大切な人になりました。
嫉妬をしたり、我がままを言ったり、 二日連絡がないだけで胸が張り裂けそうでした。
ただ、声が聞きたくて、どうしても逢いたくて……。
私が、独り泣いているとき、 あなたの隣で誰かが笑っていた。 こともあったハズ。
でも、あなたの隣の誰かがあなたを幸せな気分にさせてくれているなら、それでいいと思えた。
(…)
胸の中に抱かれて眠ることを求めなくとも、 あなたのシャツの裾をしっかり掴んで放さなかった。
あなたにとって、決して幸せな瞬間は一度だってなかったと思う。
でも、目を伏せると、 彼氏のように優しい顔で、私の名前を呼ぶあなたが浮かんで、振り返る私がいる。 そして、また、呼ばれて….....。
今までずっと、緊張して肩肘はって、 何でもないフリして生きてきた。
それを知ってくれていた人。
(…)
あなたの存在それだけでいい。
あなたという人が幸せであればいい。
私は、あなたのために何も出来ないし、 何もしない。
あなたは、 私のために多くをくれた。
これが、現実なんだ。
そう思えた時、 大切って言葉の意味を知った。
誰かのためとか、誰かのせいとか、そんな事で人生は決まらない。
私は、私ですべてを決められる。
あなたは、あなたで決めてゆく。
それで、私は救われる。
明日、私に何かあっても
許して欲しい。
信じることをやめたら、
生きていく意味を見失う。
信じることが出来ない未来は、
きっと曇ってしまうんだ。
これからも、 また、 遠くの空を眺めては、あなたを想う夜が続くのだろう。
一度でも あなたが私を思い出してくれるなら、きっとまた逢える。
人生には句読点がある。
人それぞれの句読点。
あなたと私の呼吸が合えば、その時に、きっと逢える。

一人でいることの寂しさ、過去の家庭のある男性との恋愛、その断ち切りがたい想いといったものは、メモワール『プラトニック・セックス』やエッセイにも綴られていたが、まるでその続きであるかのような趣き。
ただ、それらを乗り越え、前へ進もうという意志もまた、より深く刻まれているように思えるのではあるが。

ナイトライフ

それらとはまた真逆なテンションで、二人の物語の合間に幕間劇のごとく登場するのは、ナンセンスなトークを繰り広げるゲイやギャルたち。

ちょっと、サッカーの話に戻していいかしら? やっぱり中田よねー?
いや、私は新庄が好き。
それ野球でしょ?
あ、そうそう、あのバットマンって呼ばれていた顔が骨折してまでも試合で活躍していた大阪の子いたじゃない?それ、いつの話?
日韓共同 2004。
あ、フランスのパティシエが監督していた頃ね。それ、トルシェね。パティシエはお菓子職人よ。ベタね。
隣にいた通訳の方が、タイプだったわー。好きだったわー。
なんで、パリのモンブランはあんなに栗がまん丸で大きくて美味しいのかしら。やわらかいのよねー。ジューシーよね。
まだ、パティシエの話してんの?
あ、わかった、宮本ね。あれはイケメンだったわよね。
ドイツ大会の時キャプテンだった子よねー。
ドイツ大会の曲はゴーウエストだったわね。
私が生きている中で3回のヒットよ!!
ベルリンの壁が崩壊されて歌われたのよね、西へ。
で、その後サンフランシスコを代表とする西海岸のヒッピー (フラワーチルドレン)から文化がニューヨーク東海岸に移る様をペットショップボーイズがカバーしてたわね。
(…)
あ、思い出したわよ、サッカーの話だったんじゃない?
ワタシタチって、本当に暴走するわね。
それがいいのよ。中身のない話をずっと出来るのって素敵なことよー。
注意欠陥症なんじゃない?
あら、それ、今、本気でよくあるらしいわよ?
で、サッカーって日本代表の話?私、外専なのよ。
そうよねー。
イタリア?
うん、イタリアは丸ごといけるわ。でもね、南米がいいわー。
(…)
でね、これがずーっと言いたかったことなんだけど。
私、凄いこと発見したの。サッカーを100倍楽しく観戦する方法、初級者編。
まず、目を閉じます。で、よーく耳をすますの。
その状態で、サッカー観戦するの?どうやってよ?
あ、ばかね。これ、すごいんだから。
やだ一目を閉じたら観れないじゃない?
そう。観ないでいいのよ。
聞くだけのほうがオススメよ。
だってね、ものすごーい乱交なのよー、キャー。
『あ、入れて。お、入れる。うっ出すな。いやいや、出して、あ、もうダメだ。
いや、まだ大丈夫。ほんと?あ、あ、ほんとだー、入れて、ね。
お願い入れて、いけいけ、そう、そこ。い、いや、やめて、あーもう。あ、入れられちゃう、やだ。
やだ、だめ、出して、ふっ、あ、凄いドキドキしちゃった。って、あ、もう、またあー、よし、いけ(…)

B子は、振り返ると、淡く優しいピンクベージュの唇を光らせてきっぱりと言った。
彼は私の男よ。
って、聞こえた。
にしても……、B子は男の前では、色っぽくて可愛い小悪魔のような女で、それは演じているわけでもなく、天性のもの。
傲慢な態度や仕草は、女にだけしか知られていない。
『何あれ?』
『B 子っていつも美味しいとこもってくよねー』
『ずるくない?,
『六ヒルにいると友達だらけよね。私もミッドタウンがいいなあー』
『もう、なんでも、どこでもいいや、とにかく彼氏が欲しいの』
『でもさ、B子って本命できないわよね?』
「結婚したいタイプじゃないんじゃない?』
『確かに』
『でも、それって、私達もよね』
『……』
『ヤダー、もう笑わせないでよ』
『あ、なんか、トイレ行きたくなった』
『またー?』
『先に行ってて』と、C子、トイレに駆け込む。
『当たり前よ。B子に持ってかれちゃうもん』と、A子、首筋にパフュームを。
『あ、これクロエの新作?』
『そう』
『わあー、いい香りね』
ジャーーーーーーー(音姫)
『ヤダー、ここトイレットペーパーがない。パスして』
『もう、メンドクサイな。はい、上から落とすよ』
『Thank You』
『ほら』
『いてっ!!!』 

(p61)

飯島の実生活においても、こういったparty people的な世界は(最近も昔も友人になぜかゲイが多い、と他のエッセイでも述べていた)、芸能界引退後の人生にも影響を与えるぐらいに、インスピレーションの源泉になっていたのではないか。
本書のあとがきでは、この企画を始めてからの飯島とのやりとりを、押井が詳しく語っている。

彼女は自分の周りにいる若い子たちを見るにつけ、このままじゃいけないんだって思ってきたんだと言う。 レズ、ゲイが増えている、それはそれでいいんだけど、 彼女たち彼らたちが悩んでいる。世の中にうまくはまらなくて、いろんな問題抱えているから、なんとかしてあげたい。一方でエイズに関してもいろいろな運動をやっていて、もっと自分で何かできることを具体的に考えたいと。

(『B&B』p107)

あるとき、 あなたが言いたいことは 「ジェンダー」の話じゃないかって飯島さんに言ったら、 「ジェンダーってなんだ」って言うから、それを説明して、 自分でも調べてごらんって。そうしたら、自分でもいろいろ勉強したみたいだった。 自分が漠然と思っていたことにある言葉が与えられたのかもしれない。「ジェンダー」という言葉にはかなり反応しましたね。

(同p114)

実際に、2007年の芸能界引退の後も、彼女なりの活動は続けていた。コンドームやバイブレーターといった性にまつわるグッズ通販の事業を立ち上げ、亡くなる直前には事業開始の公表もひかえていたという。
AIDSなどへの関心は、その何年も前から持っていたらしい。クラブ好き、そして、ニューヨーク好きの彼女は、90年代初頭には、現地の知人から「どんどん知り合いがエイズで死んじゃう」といった話を聞いていて、その後、「知り合いの二丁目のオカマに言われたから」と、12月1日の世界エイズデーには毎年、エイズ募金に5万円寄付していたという(『生病~』p218)。エッセイの中でもSTDの検査や予防を呼びかけ、女性が身を守るためのコンドームには「「首の皮一枚ほどの理性」。こんなキャッチコピーを私はつけたい」(同p32)などと語っていた。
そんな、夜の街の光と影、そこで生き抜く女性や同性愛者への共感的な眼差しは、『B&B』の世界にも反映されているように思える。

生き延びる<作品>

残念ながら、彼女の生前に作品は完成には至らなかった。
彼女のエッセイを見ると、すでに30歳前後から体調不良の訴えは多くなっていて、引退直前の頃には仕事に穴をあけるほどだったようだ。押井ですら、引退後の飯島の姿については、こんなことを述べていたほどである――

専属の整体師に1時間以上マッサージしてもらってて、 それでもとにかく立てない感じだった。(…)とにかく疲れきっている。 ほんとにボロボロでした。テレビで見ていたときと全然違う

(『B&B』p108)

飯島自身、メンタル不調をうかがわせるようなブログ投稿などもしていたものだから、彼女の急逝をめぐってはさまざまな憶測が流れ、いまだことあるごとに、その「波乱万丈の人生」がニュース記事で取り上げられたりもする。
しかし、その一方で、彼女が最期まで取り組んでいた、この『B&B』が言及されることは、ほとんど、ない。
<飯島愛/大久保松恵>の生を越えて日の目を見ることになった『B&B』という作品こそ、彼女の多面的な生の結晶化、証として、もっと広く読まれてよいと思うのだが。

たしかに、『B&B』に一貫したストーリーを見出すのは難しい。実際に書き始めてみると、かなり書き悩んでいたようで、押井によれば「彼女の中ではお話はあるけど、ここを書き、ここを書き、って点でしか書いていない」といった状況であったようだ。
しかし、だからこその魅力というものもある。
これはひとつの「散文」というべきものなのだろう。
途切れ途切れの断章ひとつひとつが、様々な連想を喚起する情景を描き出してゆくような……

子供の頃……。
幸せな家族の声が近くで聞こえたので、 私は顔を上げた。
「大きくなったら何になりたい?」
「お空を飛びたい」
妹が背伸びをして天空を指差す。
「そうか、空を飛ぶのか。 いいなあー、 パパも飛びたいなー」
「パパぁ、つれて行ってあげるよ」
「え、本当か?」
「もちろんだよ」
妹は父に甘えながら指切りをしてハシャいでいる。
「ね、ね、ママも行くぅ?」
「ええ、ママも行きたいわ」
「いいよ」
妹はもう片方の手で母の手を掴む。
そして、三人は輪になった。
父と母、妹の三人が輪になって嬉しそうに笑っていた
「よ~し、大きくなるのが楽しみだ」
父が妹を抱き上げる様子を、私は黙って見つめていた。
夏休みが始まって間もない 『八月の家族と私』。
仮題をつけた景色は、夏休みが終わっても残っている宿題のように、憂鬱な一画だった。

あ、流れ星だ。
「どこかで爆発した星だよ、 しかも何億年も昔かもね。 全部そう、
あれも、あれも、 あの綺麗な星も」

じゃ、 僕たちの星はキラキラしてないの!?

こんな時代に生まれてきた子供たちに、
どんな未来を夢見て育てと願えばよいのだろうか。
神様なんていないんだと教えなくてはイケない時もある。
今は、中途半端な世論でも、 すでに肌を超えた新たな差別に繋がるだろう。
人は、人を超えることで己を人として認めることを繰り返しつづけるだろう。
いつしかこの姿も忘れられよう。
ならば、せめて無垢なままで、多くを知らないその瞳のままで、言葉が汚れぬように、 夢を語らせたい。
なりたいように、赴くままに、 生きればいい。
君が生まれた時代には、不可能など存在しない。
夢を大きな声でなど語れない時代だ。

誰も地球を蒼いなどとは言わなくなったね。
私たちの地球は何色だろう……。

「ママはね、 小さな時の夢はね、お父さんのお嫁さんになることだったのよ」
フラれちゃったけど。

「あの星、 死んじゃったの!?」
「死んでないわよ、 だってあんなにキラキラ輝いてるもの」
「地球もキラキラしてるの?」
「あの星が輝いて見えるなら、この星も輝いているよ」
「ぼく、見たいな。
大きくなったら、見れるかな。
ママ大好き。
ママみたいにいい匂いのする大人になるんだ。
ママみたいに優しくなるんだ」
「抱きしめてあげる、体温をわけてあげる、血を舐めてあげる……。
一緒に笑おうね。
いつも傍にはいられないけど、でも離れていくあなたを傍で見守るの」

ってなこと言って、死んじゃったりして。

そうそう、実家農家なんだけどお袋があのホッかぶりに軍手で茄子育ててるのよ。
あれは、イヤだわー。
あら、初耳ね。ね、茄子送ってよ。
あ、うちも送って、秋ナス最高よね。
早いわねー。
もう秋なのね。
ほら、鈴虫が聞こえるわ。
……聞こえないわね。
ミンミンミンミンうるさいわ。
セミね。
セミか…....。
命って短いものね。
だから、うるさいのかしら。
一生懸命泣くのかしら。
今ここにいるって、なきながら懸命に訴えているのかしら。
どうかしら?
うるさいのは、私たちも同じね。
ねえ、この先、汚いおカマになって、生きた化石みたいな言われ方して、それでも男でもなく女にもなれずに、独りで生き残っていたら…...酷だわね。
その時は、諦めて、平凡にお爺さんでいる方が幸せかしらね。
そうなのかしら……。
ね、茄子送ってよー。
実家か......
幸せになりたいと願うと、近い存在の人が辛い思いをする。

アートワーク

ちなみに、本書の挿絵はアニメーターの小倉陳利が担当している。

でも、もし、絵も飯島自身が手がけたとしたら、どんな作品になっていただろうか。
最初の著書、『どうせバカだと思ってんでしょ!!』では自身のイラストも披露している。それだけでなく、表紙のCGイラストも飯島自身の手になるものだった(CGアーティストを目指し、Macも入手していたらしく、90年代前半という当時としてはけっこう先を行っていたのではないか)。

『B&B』より


『どうせバカだと思ってんでしょ!!』より


『どうせバカだと思ってんでしょ!!』表紙


清楚な雰囲気の挿絵もよいが、カートゥーンぽかったり、猥雑なトーンだったりする飯島のデザインも『B&B』の世界にはマッチしたかもしれない。
また、テクストにしても、けっこうな量の原稿を用意していたとあるから、本書には収められなかった断片もいろいろとあるのではないか。そういったものも、いつか公開されることがあるだろうか……
……とはいえ、それよりもまずは、本書の復刊希望からか。

飯島愛 Bibliography

1994年 どうせバカだと思ってんでしょ!! (エッセイ集)
2000年 プラトニック・セックス 
2003年 生病検査薬≒性病検査薬  (エッセイ集、週刊朝日に連載) (『生病~』)
2006年 お友だちになりたい! (対談集、日経エンターテイメント!に連載)
2010年 Ball Boy & Bad Girl (『B&B』)


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