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柳澤協二 『亡国の集団的自衛権』⑤

 この文章は、柳澤協二さんの『亡国の集団的自衛権』【集英社新書】を読者の皆さんと一緒に読んでいく試みの5回目です。

第四章 国際情勢はどう変わったか。

1 戦争をめぐる要因・戦争のやり方。

 戦争は富国強兵政策の行き着く先です。資源の独占や市場の囲い込みといった方法で経済的に排他的な勢力圏を作り上げる。そして経済力を強くすることが軍事力の強化にもつながっていき、軍事力の強化が更に経済圏の拡大につながって行きます。このような循環が続いた結果、戦争が起こります。
 戦争が起こりやすくなるのは、それまで支配して大国に対して挑戦する力を持った国が出てきたときである、というのが歴史の教訓です。今、中国は紛れもなく富国強兵の論理で動いています。アメリカに於いては、その論理が逆に働いており、対テロ戦争の巨大な債務があるがゆえに富国強兵が上手くいっていません。
 冷戦に於いては、政治的理念も価値観も全く異なるアメリカを中心とする自由主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営が、経済的にもほとんど相互依存性がない中で、互いに強力な軍事力を保有し、対峙するという構図がありました。そして、両者の対立がエスカレートしていけば、核の撃ち合いに至るという破壊力の大きさゆえに、結果として冷たい平和が維持されてきたのです。
 現在の我々は、冷戦が終わることによって政治理念や価値観の対立が弱まり、その一方で経済あるいはComputer&Communication技術におけるグローバリゼーションが急速に進む時代に生きています。このグローバリゼーションの影響が持つ意味は非常に大きく、世界の構造変化を促す主な要因になっています。一見すると、国際社会の構造変化は、単に覇権国であるアメリカの一極支配が崩れ、中国やインドなどの伸張により多極化するところにあるように見えます。しかし、それはグローバル化した経済の中で結ばれている者同士の力関係の差であり、対立してもすぐに軍事的な応酬となって戦争に発展するものではありません。
 グローバル化が進んだ現代では、富国強兵の論理の下、相手を排除して資源やマーケットを独占するということでは、経済活動が成り立ちません。経済活動は国家の存立基盤であり、それ故、国の存立そのものが成り立たないのです。20世紀と21世紀のこれからの世界との違いは、まさにこの点にあります。今は、「利益誘導」や「説得」、さらに国際的ルールや制度の整備によって、戦争をしないことが可能な時代であり、その中で我々は生きているのです。

 そうした視点で現在の国際社会を見てみれば、アメリカと中国の間にパワーシフトがあり、インドやロシアを含めたブリックスのような新興国と既存パワーとの力関係の変化には、過去の歴史的経験は当てはまりません。お互いに最大の貿易・投資のパートナーであり、核の応酬で相手を破壊させてしまうような戦争をすれば、自分も計り知れないダメージを受けることになるという共通認識があるのです。
 グローバリゼーションにはこのようなプラス面がある一方、武器や軍事技術の流通の範囲が広がることで国家でない存在も武器を入手し、容易に戦争ができるようになるという負の側面も生み出しました。

 グローバリゼーションが生んだ格差社会の世界的な広がりも、考えなければならない負の側面です。格差社会の底辺から抜け抜け出せない人々の閉塞感は、日本や中国のように国として長い歴史を持っているところではナショナリズムへと収束し、それが領土問題やナショナリスティックな感情の対立をもたらす原因となっています。しかし、もはや国境によって仕切られた国民国家はアイデンティティとしての意味を失いつつあるのではないでしょうか?。特に、中等やアフリカの国境線は、かつて西洋列強が勝手に引いたものなので、これらの地域にはもともとナショナルなものがありません。それ故これらの地域の人々の閉塞感は、民族的あるいは宗教的なアイデンティティへ向かっています。アイデンティティを原因とする争いは各地で内戦を生み、武器の拡散という条件も相まって、破壊や殺戮の度合いは一層強くなっている。これが今日の世界のおかれた状況です。軍事力の行使という手段は、今そこにある人権の危機や大量虐殺を阻止する時には対処療法的役割を果たせるでしょうが、根本的解決にはなりません。必要とされているのは、例えばグローバリゼーションが進む中であっても、争いの原因となる貧富の格差を是正していく努力であるはずです。

2 「米国による平和」の行方

 今、唯一の覇権国としてのアメリカ一極支配の時代が終わろうとしています。なぜアメリカはこれまで覇権国であり得たのか考えてみましょう。アメリカが世界の覇権国となり、パックス・アメリカーナが成立したのは、まず軍事力、次に基軸通貨であるドルの力(=経済力)、そしてアメリカの覇権を正当化するためのアメリカ流のルールが国際的に受け入れられていること(=ソフトパワー)の三点からでしょう。
 軍事力について言えば、第二次世界大戦中、アメリカの強大な軍事力は世界中に展開され、そのまま冷戦の東西対決の中で活かされる事になりました。本土が攻撃されなかったアメリカの生産力は急成長し、その経済力を背景に軍備増強に力を注ぐことが出来たのです。
 経済面では、基軸通貨であるドルの絶対的信頼を背景に、戦後、マーシャル・プランをはじめとする経済援助を各国に行い経済を復興させて、アメリカがその製品を買うという、アメリカを中心に回る世界経済の潮流を作りました。
 また、IMF(国際通貨基金)や世界銀行(IBRD、IDA)など様々な国際機関を作ることによって、アメリカが世界経済のルール作りを手動し、それを国際社会が受け入れました。世界各地で軍事力を行使する「世界の警察官」を国際世論が止められなかったのは、たとえアメリカに有利なルール設定だったとしても、アメリカが定めたルールに一定程度の普遍性や正当性があったからです。

 「世界の警察官」としてアメリカが行動出来た三つの要因は現在、どう変化したのでしょうか?。軍事力については今でも世界最高の水準であり、他の追随を許さないことに変わりはありません。しかし、アメリカの軍事費減少という現在の政策が変わらず、一方で中国の軍事費がこのまま増え続けることになれば、米中の軍事力は、いずれどこかで逆転する可能性があります。ただ、アメリカと中国の最も特徴的な違いは、アメリカが軍事力を世界中に展開させているのに対し、中国の軍事力はまだ限定的な範囲でしかないことです。中東やアフリカの秩序を維持しているのは、アメリカやその同盟国であるヨーロッパの国々であり、中国ではありません。確かに、南シナ海までの地域における中国海軍には相当の存在感がありますが、そこから先の中国のシーレーンを誰が守っているかと言えば、依然としてアメリカです。
 アメリカの覇権が揺らいでいるのは、主に経済的な力関係においてです。基軸的通貨ではあるものの、ドルの力は弱体化しており、ドル安傾向をアメリカは放置せざるを得ません。興味深いのは、アメリカがアジア地域に於いて、軍事的に深い関与をしようとしない一方、アジアの経済成長を取り込むことには大きな関心を持っている点です。TPPは、ルールに従うなら対立関係にある中国にもオープンである点で、20世紀前半のような経済的勢力圏の囲い込みとは意味合いが異なります。現在のアメリカは、アメリカ一極集中という構図は放棄しつつ、アメリカにとって好ましいルールが適用されるようなかたちで世界を再編しようとしているのではないでしょうか?。また、中国にとっても、基軸通貨であるドルの安定性やアメリカによるグローバルな海洋秩序は非常に重要なものであり、その意味では両者の利害は一致しています。

3 米中の力関係

 2010年、中国はGDPで日本を超え、世界第二位となりました。この頃から中国は、自らを「大国」として位置づけ、強硬な外交姿勢が目立つようになりました。「中華民族の偉大な復興」というスローガンの下、今や自国の防衛や台湾への軍事介入に必要な限度以上の軍事力を備えようとしています。中国がアメリカの圧力に屈しないような軍事力を持とうとしているのは明らかです。おそらくこれから10年は、中国の大国化という路線に大きな変化は起きないでしょう。

 米中の力関係の逆転を危惧する人もいます。しかし、これには二つ問題があります。
 一つは、中国の大国化という路線がこのまま続くのか、ということです。
そもそも、急速な少子高齢化や労働人口の減少により、貧富の格差も広がる中で、中国の大国化が続くというのは経済的、社会学的に見て妥当な結論なのかという分析が必要です。
 もう一つの問題は、もし中国がアメリカを凌駕する事態が現実のものになると仮定した場合、一種の軍拡競争になります。軍事力拡大という手段で中国に対抗していったとき、果たしてアメリカも日本も持ちこたえられるでしょうか?、という事です。
 現在の中国について言えることは、アジアに於いてはアメリカに対抗できるだけの軍事力を持ちつつあるものの、いまだグローバルな正当性を持ち得ず、アメリカの覇権にチャレンジするだけの能力はありません。中国は、アメリカが作った秩序の恩恵を受けながら、自分の近くの勢力圏の中では、中国主導の新たなルール作りを模索しています。しかし、現在の中国のソフトパワーはアメリカに対抗できるものではなく、かつてのアメリカのような、普遍的ルールを作ることが出来る立場にもありません。

4 日本の立ち位置—アメリカと中国の狭間で

 米中のこうした歴史的にもユニークな対立関係の下、日本の立ち位置はどこにあり、そこでどのように振る舞えばよいのでしょうか?。日本には軍事的にも経済的にも世界有数のインフラがあり、それをどう使うかというのは、政治の判断です。日本一国で軍事的にすべてをカバーして防衛するということは出来ないにしても、アメリカあるいは中国のどちらかに従属せねばならないという発想事態が、今の国際情勢に合わなくなってきています。
 最も取るべき可能性が高い政策は、今はまだ不透明な米中関係の行方がもう少し明らかになって行くまで、はっきりとした方針を決めないことです。自覚的かつ慎重に情勢を見極めることも、一つの戦略なのです。
 冷戦時代の経験を振り返れば、米ソもやはり、どこにレッドラインがあるのかを探り合うような時期がありました。そうした状況を踏まえて、日本は個別的自衛権を駆使して宗谷・津軽・対馬の三海峡を防衛し、周辺海域や1000海里のシーレーンを守ってきたのです。それは、当時のアメリカの戦略的構想と合致するものでした。
 米ソは、こうしたせめぎ合いを何十年も続けた後、ようやく互いに暗黙のルールが出来上がり、突発的衝突の危険が回避されるようになっていったのです。今のアメリカと中国は、この暗黙のルールが出来る以前の状態にあります。それ故、具体的なアメリカのニーズがどこにあるのか見極められるようになってから態度を決めるのでも、決して遅くはありません。

 日本は、アメリカにとっても、中国にとっても、もはやなくてはならない存在です。特にアメリカにとって、太平洋を挟んでアジアの一番縁に日本があるということは、アメリカが何らかのかたちでアジアに関与・介入していく場合の拠点になり、地政学的に非常に重要なのです。
 もし日本がアメリカの同盟国でなかったとしたら、アメリカがアジアで何か行動を起こそうとしたとき、空母を修理するためには、広大な太平洋を抜けて西海岸まで戻らなければなりませんから、往復何十日かの軍事的ロスが生じてしまいます。しかし、日本に米軍基地があるお陰で、修理は横須賀で行うことが出来、そこから一足飛びにアジアの国に向かうことが出来るわけです。また、アメリカが大規模な軍隊を養うために必要とする補給兵站能力を単独で担う能力があるという点も、同盟国としての日本の大きな魅力でしょう。
 アメリカがアジアに関与することを諦める選択はアメリカ経済、ひいてはアメリカという国の破綻を意味しますから、基本的には、何があってもアメリカは日本を見捨てるわけにはいかないのです。

 一方中国の場合、いかに大国であっても、日本の技術や部品が入ってこなければ、中国の経済活動は成り立ちません。日中の政治的対立は厳しさを増していますが、経済的に日本と完全に決裂することは中国にとってもダメージが大きく、その選択はまずあり得ません。
 日本はアメリカにとっても中国にとっても最前線にあります。アメリカを地政学的優位に立たせる日本の位置は、中国の側から見れば弱点です。もし、日本が敵対的であれば、中国は日本列島の間を通らないと太平洋に抜けることが出来なくなってしまいます。
 このような米中双方における日本の重要性を考えれば、そうした日本の優位性をもっと日本自身のカードとして使っていけるのではないでしょうか?。逆に、その立場の使い方を間違えれば、真っ先に攻撃されるという不利な立場だということも頭に入れなければなりません。
 日本は、これだけ基地を提供しているので、政治的にも軍事的にも経済的にも非常に大きな利益をアメリカに与えているのですから、もっと大きな顔をしてもいいのです。
 中国に対しても、中国の船が沖縄の周辺を通る際、情報収集はしても妨害はしないという態度ではなく、「本気になったら、お前らの船なんか通れないんだよ」という、中国も認識しているその高い能力を、もっと日本の強みとして考えて行動していくべきではないでしょうか?。
 確かに、日米同盟により日本はアメリカと軍事的に一体化しているので、米中との等距離外交は難しい。しかし、日本は、アメリカにも中国に対しても、「じゃあ、日本を失って本当にいいんだな?。」と言える立場にあるという認識を持つのは可能なのです。

(柳澤協二 『亡国の集団的自衛権』⑥ に続く)

参考文献 
山田邦夫 『自衛権の論点』 国立国会図書館
朝日新聞デジタル 『100年をたどる旅~未来のための近現代史~』
                        朝日新聞連載


 

 

 


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