柳澤協二 『亡国の集団的自衛権』④
この文章は、柳澤協二さんの『亡国の集団的自衛権』【集英社新書】を読者の皆さんと一緒に読んでいく試みの4回目です。
第三章 バラ色の集団的自衛権
1 「普通の国」とは何か?。
集団的自衛権を考案した南米諸国が唱えた当初の理念は、「小さな国が寄り集まって大きな国に対抗するため」でした。しかし、実際どのように機能してきたかと言えば、1950~60年代にソ連がハンガリーやチェコスロバキアの民主化弾圧のために軍事介入する、あるいはアメリカがベトナムやニカラグアへの軍事介入の根拠とするなど、大国の軍事介入を正当化するためでした。つまり、集団的自衛権を必要とするのは、自国が攻撃を受けていないにもかかわらず展開出来るだけの軍事力を持つ〝大国〟であって、決して〝普通の国〟ではありません。そもそも〝普通の国〟かどうかで集団的自衛権を考えること事態がおかしいです。
「ドイツは日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、集団的自衛権を使っているではないか。それなのに、なぜ日本はつかえないのか」という反論もあります。しかし、ドイツはNATOの一員として集団的自衛権を使い、アフガニスタンに派兵していますが、それはかつて敵国であったヨーロッパ諸国が同じコミュニティの仲間としてドイツを受け入れているから出来るのです。一方、日本は、特に中国と韓国との間で、戦時中の問題について歴史的和解が出来ていません。その意味で、日本はやはり〝普通の国〟ではないのです。
2 何を抑止するのか?。
抑止とは何かと言えば、「攻めてきたら、やられた以上にひどい目に遭わせるぞ」という脅しであって、「懲罰的抑止力」、又は「報復的抑止力」と呼ばれています。冷戦期に於いては、報復が報復を呼び、最終的には核の応酬によって世界が破滅するという恐怖の認識が共有されていたため、米ソの同盟国も含めた相互の小規模な武力衝突も「抑止」されていました。
抑止力の概念にはもう一つ、「拒否的抑止力」というものがあります。近年、中国がベトナムやフィリピンといった国々と南シナ海で領有権を争い、強硬姿勢を通じて既成事実を作ろうとしています。中国がそれを尖閣諸島で行わないのは、日本の海上保安庁や自衛隊にそれなりの抵抗力があり、ベトナムやフィリピンのように簡単には行かない、という認識が中国の側にあるからです。つまり日本には、「拒否的抑止力」があるのです。
現在の世界において、「報復的抑止力」の役割は低下しつつあります。中国がいきなり沖縄や九州に攻めて来るということになれば、アメリカが核を含む圧倒的な軍事力による「報復的抑止」を担う建前になっていますが、中国本土を壊滅させるような「報復」はアメリカ経済にとっても致命的な打撃となるので、アメリカによる「報復的抑止」は非現実的です。一方、軍事力による中国の一方的な現状変更をさせないようにする「拒否的抑止」の役割を担うのは、主として自衛隊です。今必要とされている抑止力は、「報復的抑止力」ではなく、「やろうとしても、そう簡単に思うようにはさせないぞ」という「拒否的抑止力」の方です。自衛隊に関して言えば、特に海上防衛や防空に関しては世界でも有数の能力があるので、〝拒否力〟としての抑止力は現時点で日本は持っていると言えます。
最高レベルの「報復的抑止力」を持つアメリカにしても、もし中国がベトナムやフィリピン、台湾、あるいは日本に攻めてきたとして、最初にとる行動は「拒否的抑止力」でしょう。具体的には、空母を出して「これ以上のことはさせない」と威嚇し、中国側の自制を促すでしょう。仮に中国が自制せず、アメリカの空母を攻撃してきた場合、アメリカにとって空母という力の象徴を攻撃されることは、アメリカ本土を攻撃されるのと同じ意味を持ち、報復的な攻撃を取らざるを得ません。しかし、双方の軍事紛争が一体どこまで拡大するのか見極めがつきません。
オバマ大統領は、2014年4月に来日した際、「レッドラインは決めていない」と発言しています。アメリカはアジア地域で中国の何を抑止するのか、それが明確に定義出来ていません。よって、アメリカが抑止する気がなければ集団的自衛権があっても全く機能しないことになります。
日本の立場からすれば、中国がベトナムやフィリピンで行っているような実力行使が「明日は我が身」となっては困ります。しかし、アメリカが現実にどういう対応をしてるかというと、フィリピンが国際海洋法裁判所に提訴している訴訟などの法的解決を支援する、あるいは海洋監視能力を持つ巡視船を供与するといった、アメリカが直接出なくても済むような自助努力を奨励する方向性の援助です。アメリカにしてみれば、日本のタカ派的アプローチが高じて日中の争いに巻き込まれたくないという思惑があるのです。
3 抑止力を高めて日本を平和にする?。
抑止政策には、リスク要因がつきまといます。「安全保障のジレンマ」と「抑止破綻」という二つのリスクをどうコントロールするか、それが抑止政策における最重要課題です。
「安全保障のジレンマ」は、互いの抑止力を高めていくことによって生まれるものです。抑止力を高めるには、相手を攻撃するだけの〝能力〟、そして攻撃しようという〝意思〟の二つが必要です。侵略する側について言えば、そのための攻撃〝能力〟を持ち、なおかつ攻撃をするという〝意思〟がある、これが「脅威」の中身です。
「脅威」に対抗するための抑止も同様に、相手が攻めて来た時に、それを跳ね返すだけの〝能力〟があり、実際に攻めてきたら攻め返すぞという〝意思〟がはっきりしていて、それが伝わるから相手は攻撃を思いとどまる、それが抑止力という考え方です。
「報復的抑止力」にせよ「拒否的抑止力」にせよ、この〝能力〟と〝意思〟によって構成されています。抑止力を高めようとすれば、相手も「抑止されたくない」と能力を高めようとし、そのための意思もより強固になります。その結果、どちらが息切れするまで無限に軍拡競争が続いていく。これが「安全保障のジレンマ」です。
仮に米中が軍拡競争を続けた結果、両者の力関係が逆転し、アメリカがたとえインドやオーストラリアを自陣営に取り込んだとしても中国にかなわない、ということになったとき、ソ連と同じ結末が自分たちの身にも起こり得るのです。現実的に考えれば、増大を続ける中国の軍事力に対抗するために、日本の防衛力を際限なく増大させるのは不可能です。
無限に相手よりも強くなっていくという方向で資源投入するのか、それとも抑止は抑止として備えつつ、国際的なルールを整備していくといった別の手立てで脅威の要因を減らしていくようなアプローチをとるのか、そのバランスを考える必要があります。
問題は、現在の政府の説明からこうした危機意識が全く見えてこないことにあります。
抑止政策のリスクには、「抑止破綻」も挙げられます。お互いに抑止力を高めようとして、軍事的対応の〝意思〟と〝能力〟を向上させていけば、誤算や突発的衝突の危険性も増大し、いずれは抑止が破綻するという事態になります。そして破綻したときの損害は、抑止力が高まる分だけ大きくなります。抑止が破綻した場合、戦争というものは戦争としての論理が作用する世界なので、どこで止めるかが非常に難しくなります。このまま戦線の拡大が続いていったらどうなるか、ということまで考える必要があるのです。
今は冷戦時代と異なり、経済的合理性、つまり「戦争をしたら損だ」という認識が戦争を防ぐ抑止力になっています。実際に戦争になれば自国の経済破綻につながり兼ねません。一方で、戦争にならない範囲でちょっとした衝突があってもいいのではないか、という意識もあるようです。
この「ちょっとした衝突」が思わぬ誤算により戦争にまで発展する可能性はゼロではありません。中国との関係で言えば、もし抑止の破綻により米中が戦争する事態になれば、中国は日本の沖縄や佐世保、岩国あたりまでの米軍基地を攻撃対象にするでしょう。アメリカと中国は、レッドラインをお互い引けない状況で、このことがアジア地域の不安定要因になっています。今の米中にとっての最優先課題は、こうした偶発的的衝突を避けるためのの危機管理のルール作りであり、軍レベルの協議を通じて、それに向けた努力が行われようとしています。日本としても、こうした状況を慎重に見極める必要があります。
4 日米同盟が強化される?。
2000年代、ブッシュ政権が対テロ戦争に突入し、アフガニスタンやイラクに米軍を送るようになると、同盟国である日本に対し、憲法の枠を超えて集団的自衛権に踏み込むことを公然と求める発言が、アメリカ政府内で目立つようになりました。しかし、イラク戦争の泥沼化を経て誕生したオバマ政権にとっての優先項目は、グローバルな対テロ戦争から手を引き、台頭する中国に対してアジア太平洋地域における軍事的均衡を維持することへ変化しました。ところが、今日本がやろうとしていることは、「世界の海に乗り出す」ことを志向する集団的自衛権で、いわば周回遅れのものです。
2013年2月に行われた安倍総理とオバマ大統領の首脳会談でも、日本側は集団的自衛権をキーワードにした日米同盟の復活をアピールしようとしたのに対し、アメリカ側はTPP交渉への日本の参加や普天間基地の移設等の具体的な問題の解決を求めるという、双方の目的意識の違いが見受けられました。
アメリカと中国は、お互いに軍事的対決はしないという暗黙の了解を形成しています。しかし、アジアにおいてアメリカと中国が対立関係にあることは事実であり、それなのにアメリカの中国に対する戦略目標が不明です。それ故に、日本はアメリカの戦略目標をどう助けていくのか見えてきません。
アメリカの迷いの原因は、客観的条件から導き出されるアメリカの国益という観点によるものです。仮に、オバマ大統領より勇ましい言葉を使うリーダーがアメリカの大統領になったとして、その言動に世論が高揚し、その声に押されて実際に軍事力を使わざるを得なくなったとき、果たして日本はどういう立場に置かれるでしょうか?。今後、集団的自衛権が行使できるようになったとき、アメリカの武力行使が「正しい」かどうか判断出来るでしょうか?。その判断もできずに、アメリカに言われるままに参戦するということで本当にいいのでしょうか?。
北朝鮮への対応は、どのような展開になるか予想がつきやすいです。この際問題となるのは、歴史問題をめぐる韓国との対立です。朝鮮半島有事という事態になった場合、韓国はアメリカの協力があれば十分に対応できると考えているので、日本が色々やろうとすれば、現在良好な関係にあるとは言えない日韓の間に余計な摩擦を引き起こす可能性もあります。
こうして具体的に考えると、日本がアジアで集団的自衛権を行使することは、日米同盟の強化に役立つどころかむしろリスク要因です。アメリカにとっては、アジア地域よりも、むしろグローバルな分野で日本が集団的自衛権を行使する方が、戦略目標と一致するのではないでしょうか?。
現実問題として、9・11直後の対テロ戦争への圧倒的な世論の支持はもはや過去の話となり、イラクやアフガニスタンで7000人近い戦死者を出してしまったアメリカ社会の厭戦ムードは非常に強いです。さらに、長年に渡る戦争にかかったコストはアメリカ経済に悪影響を与えもしています。こういう状況で、「グローバルに何でも協力します」というのは、体裁は良いものの、ある意味、「そうは言っても、本当に『やれ』と言われることはないだろう」と高をくくっているようなところがあります。将来再びアメリカが戦争をしようとなったとき、「それは出来ません」と断ったら、期待をもたせた分、かえって日米同盟の危機になることが懸念されます。
(柳澤協二 『亡国の集団的自衛権』⑤ に続く)
参考文献
山田邦夫 『自衛権の論点』 国立国会図書館
朝日新聞デジタル 『100年をたどる旅~未来のための近現代史~』
朝日新聞連載