見出し画像

侮れない「言葉の力」 —始めに言葉ありき—

始めに言葉ありき by 聖書

文章書くようになってから、ふとした時にいつも思い出す。

正確な解釈についてはよく知らないが、「言葉によって概念が生まれる」と自分の都合のいいように解釈している。ならば、言葉よりイメージの方が先ではあるけれど、自我が認識する際は言葉まで落とし込まれているのかなと。

「肩こり」という概念

夏目漱石が言いだすまでこの世に「肩こり」って概念はなく、今はどうなのか知らないが、海外には肩こりを表す言葉がないと聞いたこともある。国や人種によらず、肩こり的な症状を経験する人はいるだろうに。「肩が張って痛い状態を”肩こり”というのだ」と漱石の文章を読んだ人が認識し、納得したから一気に広がったのだろう。その言葉を生み出した頃の漱石は、すでに影響力を持つ人間だったろうから、普通の人だったらここまで浸透してなかったかもしれない。
どちらにしろ無から有になる瞬間なのかなと思う。今や「腰痛・肩こりに効く」なんて言葉は常識で、肩こりのためのクスリや商品も多数。漱石が1つのカテゴリとそれに付随する産業まで生み出したと思うとすごい。

note利用者=クリエイター 卵が先か?

ところで、note利用者のことをクリエイターというのは以前から知っていた。が、てっきりクリエイターが対象なのかと思っていたらそうではなく、note事務局として利用者のことを「クリエイター」と呼ぶことに決めたのだそう。気まぐれで参加したnote説明会で聞いて「え、そうだったの」と驚いた。説明会で一番の収穫はそれだった(他の情報が役に立たなかったとかではないです、念のため)。

でも結果的にクリエイターたちが集う場になっている。もちろん、無駄な広告がなくてシンプルというデザインがクリエイター向きというのはあるが、ここでも言葉の持つ力が発揮されたんじゃないだろうか。「クリエイター」という言葉が決まった時点で、それに向けてデザインも動き出したのか。その両方か。

他のブログツールも機能やデザインを見ると、クリエイター向きのはそれなりある。でも、note=クリエイターという概念ができたことによって、集まりやすくなった。例えば、小説投稿サイトなどもすでに複数あって、私も利用してはいたが、自分とはちょっとカラーが違うように感じていた。

言葉のイメージは人それぞれ違うと思うが「小説家になりたい人」「文章を書きたい人」ではなく、「クリエイター」なのがポイントだ。もちろん、クリエイターというのは文章を書くだけでない。ただし、「クリエイターになりたい」人って、ただブログを書く人より何かしらの信念がありそうだし、ブログツールも選びそう——これもまたイメージ。実際、noteは比較的自分と近い感じの人がけっこういるっぽいので、ほかより居心地はいいのは確かだ。

文章からにじみ出る人柄

2010年発行の「ミステリーの書き方」という本を読んだ。タイトルであるミステリーの書き方にはあまり興味はなかったけれど、好きな作家のことを知りたかった。この本には30人近い作家が登場する。この中で私が好きなのは東野圭吾と恩田陸だ。

↓こちらの本。今探したら2015年版も出ていた。

1人の作家につき、小説の書き方などについて3ページほど取られているのだが、それよりおもしろかったのは、ところどころ挟まれている「作家への質問」というミニコーナーだった。例えば「取材をするときに気を付けていることは何ですか」などという質問に対して、2,3行の短い答えをするもの。長さも人によっては1行だったり10行近くあったりしてバラバラ、同じページでも「ですます調」か「である調」が入り混じる。作家というくくりだけで並列に並べているため、違いが顕著だ。

私の好きな2名は、両方とも「である調」で端的に短く答えていて、やっぱり好きだなと思った。文体だけでなく、問に対する答えをどこまで説明するかというのもポイント。
他の作家で、特定の作品が好きな人がいたのだが、ここのページを見て「あんまり好きじゃないかも」と思ってしまった人もいた。小説家とはあくまで作品ありきとは思うが、小説の世界を創り出す人物がどんな考え方なのかは大いに影響すると思っている。ちなみに私は興味がないところはトコトン興味がないので、他の人の部分はほぼ読んでいない。

自作小説が現実になった時

今、連載している自作小説は4年前に書いたものだ。最近になってもう一度読んで加筆修正を加えながらアップしているのだが、ちょっとびっくりした。書いた当時は無職でぼけっと過ごしていたのだが、その後に勤めた会社で、登場人物の1人と名前がかなり似ており、しかも自分とけっこう深く関わることになった人だった。あと、仕事で困った展開になった時の状況も一部似ていた。

詳細を話すと「こじつけじゃん」と思われるかもしれない話ではあるけれど、ちょっと怖っ、と思った。ついでにマザーテレサの名言を思い出した。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

あとこれと。

「思考は現実化する」 by ナポレオン・ヒル 

小説とは自分の中にあるものを書く。良いものでも悪いものでも。そういう意味で言えば、上記の人々の言うことが正しいなら、現実化はあり得る話だ。こういうことを言い出すとキリがないし、ハッピーエンドばかりがいいとは思わないけれど、頭の片隅においておこうと思った。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?