見出し画像

分人思考を飛び越えていくと自分がどこに存在するのかフワフワわーいわーい🙌

分人の考え方を少しアレンジして、関係性に個が生まれると考えると、どうやら人間は二人以上だから人間になると言えるんじゃないかと思えてきました。久々に図にしてみたけど、なかなか説明が難しい。僕自身もまだ整理中。

01.分人を飛び越えて、関係性に人間を見出す

分人という考え方があります。一人の絶対的な自分が存在するわけではなく接する環境や相手によって異なる自分が何人もいる。そんな幾つもの自分というところから「分人」と名付けられた概念。

この思考の面白いところは、自分が相手によって姿を変えるのと同時に相手も自分によって姿を変えるということ。相互作用であるからには自分だけに起こっている現象が相手にも起こらない道理はない。しかし、あくまでも自分という「個」の中に自分が留まっている思考だと捉えてみました。

この分人思考をもう少しアレンジしてみて、人間の個性が関係性の間に生まれると考えてみると面白いのです。自分は相手によって生まれているが、相手もまた自分によって生まれている。あくまでも個の中に留まっていた自分と相手が、関係性の中に立ち上がってくる。その関係性の数だけ自分と相手が存在する。

この関係性には常に二人以上の人間が存在する。関係性があるからこそ個性が生まれる。それは自分と相手とが同時に生まれる。そう捉えると、人間は二人以上だから人間になると言えるのかもしれません。関係性の中に生まれることを前提にすると、一人の人間ではその存在を言葉にできない。なぜなら関係性を語ることができないから。

人間の本来的な語源は仏教用語らしいですね。その語源とは逸れてしまうのだけど、文字通り人間を「人の間」と捉えるならば、関係性のなかに二人の人間の個が生まれるこの捉え方はまさに「人間」と言えそうです。

と、これはあくまで相対的に人と人との関係性の中に個のアイデンティティを見出してみた思考実験。別にこれが正しいとも言うつもりはないですが、ちょっと面白い考え方じゃないかとは個人的に感じます。そう捉えてみると、今まで見えてこなかったこと・気づいていなかったことが目の前に現れるかもしれません。

 02.絶対性からの相対性、相対性からの絶対性

で、この「関係性に見出す人間」の思考をさらに変な方向へぶっ飛ばしてみました。まだまだ言語化も図にするのもイマイチ落ちきってませんが、なんかちょっと面白い気づきに至りそうな予感がしています。その途中経過だとでも思ってください。

自分の「絶対性」って、どうやって見出すものなんでしょうね。絶対性はどのように絶対的だと言えるのか。これってきっと、前提とするか、あるいは確かめるか、どちらかしかないような気がしています。

「絶対性」や、あるいは「相対性」という言葉も後で出てきますが、そもそもこの言葉をどう捉えるか・どんな意味だと解釈するかも人や文脈によって異なるので、余計に「何言うてんねん」な世界観かもしれません。

前提にするとは言葉の通り、それを疑うことをせず「そういうものだ」から思考をスタートさせるアプローチです。別にこれでもいいし違和感もそんなにない。自分という存在も他人という存在も唯一無二の絶対的なものである。これは前提にしても構わない。

でも、あえてこれを前提にせずに確かめるアプローチを取るとどうなるか。確かめようと思うのであれば何かと比較するしかない。比較するから絶対的だと言える。つまり相対性を見るから絶対性が見えてくる。さてさて、なんだこれは。なんだかヤヤこしいことになってきましたよ。

ここで自分と他者との関係を考えてみましょう。左側は個人の絶対性を前提にしたものです。絶対的である自分と他人が存在し、その両者の間に関係が見出される思考アプローチ。

対して右側は関係つまり相対性から思考を始めるようなアプローチ。関係には二人の人間が存在している。この関係性の中にいる二人の存在はこの関係の円の中にいる限り絶対的。だけどそれは個人の絶対性を説明するものではなく、二者の絶対性を説明するものです。この関係はこの二者でしか成立せず、他の人間が入ってくると異なるカタチになるから。

だからまだこの段階では個人の絶対性は説明されていません。しかし関係とは二者の間だけで組み交わされるものではなく、様々な関係を描いていく。ちょうどこの右側の図では8色の色で描いたように、様々な関係を中心にいる個人は持っている。

そんな関係の集合体を持っているのは自分という存在に他ならない。この積み重なり方をした相対性を持っているのは自分だけしかあり得ない。唯一無二の積み重なった相対性によって唯一無二の個人の絶対性が生まれる。

自分が絶対的なわけでも相手が絶対的なわけでもなく相手と自分との関係が絶対的。関係が積み重なるとその積層は絶対的。つまり自分は相対的だから絶対的。他人は相対的だから絶対的。そんな何を言うてんねん論。

いやもうこれは「論」ではないね。これこそホントに怪文書。脳ミソ迷子です🤯🤯

いただいたサポートは探究したいテーマの書籍代等として使わせていただきます☺️