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似た言葉だけど捉え方が違う、「自責」と「自己決定性」

「自責」と「自己決定性」は似た言葉なのですが僕の中ではちょっと違う言葉として捉えています。時間軸と動詞が異なっているのかな?と感じています。

自責は「起こった結果に対するスタンス」なので、常に「ある地点」から過去を見る姿勢。未来の出来事であったとしても、ある未来の地点まで意識を飛ばした後に、そこからほんの少し過去(現在からは未来)を見る感覚ですね。

一方で自己決定性は「決定した時点から未来を見ておこなう行為」なので、常に「ある地点」から未来を見る姿勢でもあると捉えています。

個人的には「自己決定性」が好きで感性にマッチするのでよく使います。「自責」という言葉はなるべく使わない。そもそも、自責を他人に求めた時点で既に他責的になり始めている気もしています。「自責であれ」って、僕にとってはスゲー変な言葉。

自責も自己決定性も、あくまで「自分自身に向ける言葉」ですよね。自分がどうあるか、それだけ。他人には向けない。そのうえで、僕は未来に向けて意識を向けたいので「自己決定性」を使うのです。

と、これは僕なりの言葉の捉え方。でも、言葉に丁寧に向き合うと自分なりの捉え方が見えてきます。

ある言葉を自分がどう捉えるか、その言葉にどう向き合うか。ココに「あり方」が現れるなぁと感じています。「自責」「他責」「自己決定性」って、その辺りが現れやすい言葉かも?

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