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【自己認識にどう迫るか】京都文教大学プロジェクト科目「障害体験・交流クラス」の振り返り

昨年度シリアスゲーム作成プロジェクトを実施した京都文教大学、この春学期はプロジェクト科目として【障害体験・交流クラス】の運営を臨床心理学部の松田先生とご一緒させていただきました。

プロジェクト科目とは学生が課題を自分たちなりに設定し、その解決策を実践、振り返りも含めて進める科目で、普段の学部学科とは異なる枠組みで進みます。

今回のテーマは「障害」です。大学近隣の福祉施設と交流しながら、障害・障害者に対する偏見の除去や理解の促進に向けた取り組みを実施するというものでした。分野という意味では門外漢とも言える自分にお声がけいただいたことがとても有難く貴重な機会となりました。

そのプロジェクトの動き出しからフィニッシュまで含めて、ザっと振り返ってみたいと思います。




01.プロジェクトの根底にある考え方


そもそも障害とは一体何なのか、医療モデル・社会モデルと言われる捉え方が存在することを知っているとはして、果たしてそれを自分自身がどう認識しているか。このプロジェクトをやることになった時点で大切にしたのは「自己認識」です。

自分自身がそのテーマをどう捉えているのか、その捉え方の背景に存在する固定観念や価値観はどのようなものなのか、プロジェクトを通して「自分自身の認識」をいかに捉え、どうすればそれを動かしていくことができるかにフォーカスしました。

よくある課題解決系のプロジェクトに感じていることなのですが、企画者自身が「それを本当に課題だと思っているか」が真に迫ってこないことがよくあります。

その状態で出てくるアイデアには熱がこもらなければ、意味のある関わりも生まれません。他人事スタンスのまま企画をして、他人のために他人を動かそうとするアプローチにどんな意味があるのかな?とも感じていました。

でも、「自己認識」に迫っていくのって難しいんです。

とくに「バイアス」や「偏見」と呼ばれるような「持つべきではないとされている捉え方」に対して素直に向き合っていくことは難しい。何なら自分でもそこの蓋は開けたくないと思っていたりする。だからこそ、丁寧に向き合うことが大切になる。

「自分の認識を自分で知る」が最初の一歩、そして「自分の認識を自分で動かしていく」が次の一歩。これさえできていれば今回のプロジェクトはやった意味があると思っていました。いやむしろ「これさえ」と言ったものの、これが一番難しい。これをスルーしたまま上辺の課題解決に走ろうとすることなんて山ほどある。

いや、上辺の課題解決がダメだとは言いませんよ。目に見えてる現実を一歩動かしていくという意味で、それによって助けられる人もいる、認識が変わることもある。

でも、せっかく「大学」という場で学びを重ねている人たちなんだから、一般論としての課題解決ではなく、課題の所在を自分自身に置いてみるようなアプローチをすることに意味があるのではと思ったのです。

長くなりましたが、そんなこんなでプロジェクトがスタートしました。




02.「知る活動」を厚く、自己認識を掘り下げていく


フツーに課題解決的な企画をやるのであればリサーチ→課題設定→解決策の設定→解決策の実行→振り返りという段階を踏んでいくでしょう。実際、このプロジェクトにおいても順序は一緒でした。ただし、ボリューム配分が通常とは全く異なります。

いわゆるリサーチに該当する活動を「知る活動」と位置付けました。これは身体知を伴った活動です。この活動をプロジェクト全体の半分の時間を費やすことにしました。半分が課題設定の前段の活動です。

実際に施設を訪問させてもらってお話を聞いたり、様々な立場・当事者の方と交流したり、またそこで感じたことを丁寧に振り返る時間を作ったり、他の学生と対話したり、関連するテーマについてのディスカッションを設けたりなどなど。

そんな悠長にやってたら、通常の課題解決プロジェクトでは間に合わない。でも、今回大切にしたのが「自己認識」であるからには、「知る活動」は丁寧にやる必要がありました。

知る活動の中で訪問させてもらった施設の代表の方がすごく印象的なことを言われていました。

「相手を知ろうとするし、自分のことも知ってもらおうとすることが大切だ」と。

僕たちは障害を持っている人たちがどのようなこと感じ・考えているのかを「知ろう」とします。一見すると共生社会というものに近づくために必要なことであるように感じるし、実際そうでもある。

しかし、根本的に「人間同士のコミュニケーション」だと捉えると、それでは足りません。相手にも自分のことを知ってもらって、はじめてコミュニケーションです。むしろ相手を一方的に知ろうとするだけの姿勢は、「関係性の構築」という概念から遠ざかってしまうのかもしれない。

そんな「知る活動」をふまえ、そこからは課題設定や解決策の検討に入ります。

しかし、何をしたらよいのかが中々見出せない。もともと「知る活動」に時間をかけた分、課題設定や解決策の検討に充てる時間は少ない、さぁどうしよう。そもそもここまでの知る活動で、自分たちの認識は本当に変化したのだろうか。まだ変化しきってないのだとしたら、何が必要なのだろうか。

人間の認識は、そう簡単には変わりません。それは僕自身もそうだし、皆さん自身も感じるところはあるでしょう。だからこそ、その点に挑戦することに意味があると感じていました。

もちろん色んな制約もあるので、できること・できないことのバランスとも向き合いながら、そもそも論をどう捉えるか・課題の所在をどこに位置付けるかをみんなで考えていきました。




03.実施した企画は


最終的に見出した実行策アイデアは、訪問させてもらった一つの施設に通う障害を持った子どもたちと「一緒に自然体でフラットに楽しく遊ぶ」という企画です。

これ、よくあるアプローチのように感じますが、全然違います。
決して「遊んであげる」ではない。「一緒に遊ぶ」が実行策です。
まぁ、もっと突き詰めてみたら逆に「遊んでいただく」ぐらいなのかもしれません。笑

このアイデアは学生自身の口から出てきました。本当にフラットで対等な関係性で一緒に時間を過ごさないと、実は相互理解はできないのではないか、そこに必要なのは自分も含めて楽しむことだと。

フラットな関係性を築くために「してあげる」という認識は不要です。どれだけ一緒に楽しむことができるかにフォーカスした企画へと徐々に変化していきました。

企画案は写真のとおりで「特大模造紙にみんなでお絵描きをする」というモノになりました。どういうことをすれば自分自身も楽しみつつ子どもたちと一緒に遊ぶことができるを考えて行き着いた企画です。

当日はどちらかと言えば学生のみんなの方がまだ外れていなかったブレーキを子どもたちが外してくれた感じです。手加減なく学生のお兄ちゃんお姉ちゃんの体に絵の具を塗りたくっていく遊び方から、学生のみんなも一気に開放されていった感覚がありました。僕も教員という立場のはずがシンプルにすごーくこの場での遊びを思いっきり楽しんでいました。笑

そういう楽しみ方をしたからこそ、後で気づくことがたくさんあるんですよね。
例えば参加した学生はこんな感想を述べていました。​

●私は、「一緒に遊ぶ」ということは子供だけが楽しむことでも、私たちだけが満足することでもなく、一緒に笑い合うことだと解釈しました。

●学びとしての障害は、基本的に特徴的な部分が取り上げられているため一律で、だからこそ関わりがないとその学んだことが全てだと感じてしまいます。しかし、実際に関わってみるとほんとに人それぞれ遊び方も人との関わり方も全く違って、結局は障害なんてただの名称に過ぎず、「その人」とどのように向き合うか考え続けることが全てなんだと感じました。

●(今回の「一緒に遊ぶ」というアイデアがプロジェクトの目的と照らし合わせて適切だったかを聞いて)間違いなくそう思う、少なくとも自分の考え方は大きく変わったから。

プロジェクトの最終日での振り返りでは、最後に参加した学生の皆さんに感想を一言ずつ聞いてまわっていきました。ここでの感想が誰一人として「借りてきた言葉」が存在せず、自分がこのプロジェクトを通して何を感じ・その認識とどう向き合ってきたのかを「自分自身の言葉」で語ることができていたことに、とても意味があったと思います。

いかに「共生」というテーマを捉えるか、その認識を自分の中に染み込ませていくか、そんなことを実践するいいキッカケになったと感じています。僕にとっても参加しながらとても学びの大きなプロジェクトでした。




04.改めて「共生」とは何なのかを考える


当たり前に「共生」や「多様性」という言葉が使われる社会になっています。

でも果たして、この言葉をどこまで丁寧に考えたことがあるでしょうか。その言葉を自分自身がどう捉えているか、感情も含めて丁寧に向き合っているでしょうか。自分自身という社会の中に存在する最小単位であり、もっとも近い距離に存在するモノ、その変化をどのように促していくか、ここが大切だと感じます。

多様性社会とは相互承認であり、相互の関係性の微細な調整であり、詰まるところはいかに両者にとって意味のあるコミュニケーションを重ねるかだと捉えています。

つまり「多様性」とは状態を指す言葉ではなく、それを実現しようとする営みを指す言葉ではないでしょうか。そうすることが「誰にとっても」過ごしやすい社会につながる、その「誰にとっても」を突き詰めるとそこには「自分自身」も含まれる。

あらゆる他者が生きやすい社会とは、すなわち自分自身が生きやすい社会でもある。そんな世の中に近づけていくため、何ができるかを丁寧に感じることができたプロジェクトでした。

貴重な機会をいただけて感謝しています。

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