見出し画像

何のために野球をやってきたか

人は何のために野球をやっているのか...
様々色々あると思う。

プロ野球選手、今ならメジャーリーガー、さらに甲子園、たくさんの子供たちは目標や夢に向けて野球を頑張っていると思う。  
そこまでの高い夢や目標まではないが、野球が好き、運動が大事だから、親が野球を好きだから...そう思って野球をしている子供もいると思うが、そこに正しい正しくないは一切ない。
人それぞれ、どんな思いで野球をやろうとそれは自由。
何のために...が分かって野球をやっているだけで良いと思う。

なぜこんな話をするかと言うと、私は子供の頃、何のためにやっているかが、自分で分かっていなかった。

プロ野球選手だった父の息子だから野球をやらなくてはいけなかった。
今はそこまで強制される時代ではないが、昭和のあの頃は、子供自身が自分のやりたい事を選んだり、選択するという権利がなかった。
当時も子供の意志を尊重する家庭はあったかもしれないが、少なくとも私の家にはなかった。

平日毎日の父とのスパルタ練習、父もコーチをしていたクラブチームでの週末練習。
私には逃げ場がなかった。
学校が終わった後や土日にお友達と遊んだ経験もほとんどない。

私の失敗に対しての叱り方は尋常ではなかったが、たまに活躍する事があっても「満足してるんじゃない!」「甘ったれるな!バカ」「たまたまうまくいった事で喜んでるんじゃない!」と帰りの車の約1時間ずっとお説教だった。

ホームラン打っても「あんなのバッティングじゃない!」「高校なんかでお前なんか通用しない!」
そんな事を言われて、帰りの車、お風呂、布団の中でよく泣いていた。

最後には「お前がやりたくて野球をやってるんだろ!」「やると決めたらちゃんとやれ!」いつもそれで一日が終わっていた。


やりたくてやってるわけじゃない...
プロ野球選手になりたい、甲子園に行きたい、それを口にしなければいけないと思っていたが、心からそう思ってたわけではない...

野球を辞めたい、こんな辛い日はもうイヤ...それが本音だった。

自分は何のためにやっているかよく分からないまま時は過ぎて、大学を卒業し野球から離れ、さらに年齢を重ね、社会で野球以外の色々な事を学び、再び野球の指導者として、今 子供たちとの時間を過ごしている。

そして、何のためにやってきたかが明確になったのは、父が亡くなってからで私が40代になってからだった。

父が亡くなってから、父と親交のあった人たちから、中学の頃、私がホームランを打ったり、活躍した時は、親交のあった人たちに電話をかけ「あいつホームラン打ったぞ!」「毎日よくやってるよ!」と色々な人にしょっちゅう話していたらしい...

そんな話を色々な人から聞いて、ようやく野球をやってきて良かったと思え、父を許せた。
亡くなってからだが、今は父が大好きで、私に一生懸命指導してくれた情熱には感謝しかない。
あの父の情熱はしっかり継承し、経験と私の感性から子供たちと向き合い、昔の指導を反面教師にして、子供たちの野球を大切にしてあげたい。

そして最初の話だが、何のためにやってきたかがやっと明確になった。

それは、プロ野球選手でもない甲子園でもない、父から「よし!」と一言褒めてほしくて私は野球をやっていただけなんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?