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難しい交渉をまとめる秘訣とは何か? フランスの外交官カリエールが教える外交の技術

フランソワ・ド・カリエール(1645~1717)は外交の古典的著作『外交談判論(De la manière de négocier)』(1716)を書き残したことで知られています。彼は17世紀から18世紀にかけて何度も戦争を繰り返したフランス王ルイ十四世(在位1643~1715)に仕えた外交官でした。

実務経験を踏まえて書かれた著作であるため、非常に実践的な内容になっており、外交では何を行うべきか、職務を遂行するために必要な知識や資質は何か、外国の宮廷でどのように君主や大臣に取り入ればよいのか、交渉をどのように進めればよいかなどが論じられています。

日本語にも翻訳されているため、その訳書に依拠しながら交渉の進め方に関する議論を紹介してみます。

「恩恵を与える」ことが交渉の基礎になる

まず、カリエールの時代には、まだ国策の一手段としての外交の意義が十分に理解されていませんでした。

そのため、カリエールの著作でも外交の重要性を訴えるところから始まっており、君主は武力に訴えて自己の権利を主張する前に、理性によって相手を説得するように手段を尽くさなければならないと論じられています(p. 9)。

具体的にここで想定されている手段は、相手に「恩恵を与える」ことであり、いわば自らの利益を主張するだけでなく、相手に利益を与える可能性を提示するような交渉が重要だと述べています(Ibid.)。例えば、カリエールは利害の一致こそが外交の基本であるとして、次のように述べています。

「人と人との間の友情とは、各人が自分の利益を追求する取引にほかならない、と昔のある哲人が言ったが、だが、主権者相互の間に結ばれる関係も条約については、なおさら同じことが言える。相互的な利益に基礎をおいていない関係や条約は、存在しない」(pp. 58-9)

つまり、外交交渉の基本は、それぞれが利益を得られる関係を構築し、それを維持することであるということになります。このためには、軍事的な優劣において強者である国の方から弱者である国に譲歩するべき状況もあるとカリエールは述べています。

弱者が強者に従うものだという直感に反する教えですが、弱者を敵に回すよりも、味方にして援軍を出させる方が、はるかに自国の利益になることが多いとカリエールは説明します(p. 59)。

提案に相手が乗らなくても、焦ってはいけない

カリエールの著作を読んで気が付くのは、外交が忍耐を要求する仕事であることがあちこちで強調されていることです。本国から派遣された外交官は、外国の宮廷に出入りするようになりますが、最初から彼らと深い付き合いができるわけがありません。信頼関係を構築し、彼らの信頼を勝ち得るためには時間が必要です

日頃から君主や大臣の仕事や才能を褒めたたえ、適切な時期を見て贈り物をすることなどが外交の基本業務です。その国の宮廷にとって有利なニュースが飛び込んでくれば、その喜びをともに関係者と分かち合うべきであり、そのためにも、その国の利害関係をすっかり理解していなければなりません。もちろん、外交官としての人柄や礼儀正しさが損なわれないように注意を払うことも必要だとカリエールは論じています。

カリエールはこうした下準備の上で注意深く相手の発言を傾聴することの重要性を論じています。こちらの知っていることや、望むことをむやみに口にしてはいけません。相手の話す内容だけでなく、表情の動き、声の調子などから、相手の気性、知力、仕事ぶりを判断し、こちらの提案に乗るように相手を少しずつ誘導するのです。

これは非常に手間のかかる方法ですが、時間をかけて相手の考えを自分の考えに少しずつ近づけることが外交の本領だとカリエールは説いています。

「納得させたいと思うことを交渉相手の頭の中へ、いわば、一滴ずつしたたらせることを心得ているということは、交渉技術の最大の秘訣の一つである。
いくら自分にとって有利な企てでも、最初からその全貌と、それから起こりうるすべての結果を見せられると、加わろうという決心が決してつかない人間が世の中には多い。しかし、そういう人たちでさえ、少しずつ順を追って入らせると、こちらの誘導するがままになる」(p. 104)

相手の考えを誘導することは、相手にとって有利な提案をするという意味ではないことに注意してください。提案の内容が客観的に有利であるかどうかが重要なのではなく、相手がこちらの提案を有利であると主観的に思わせることが重要なのです。

相手にこちらの提案を受け入れさせる技術

カリエールの教えによれば、「自分が間違っているとこか、自分が思い違いをしているとかを白状したいという人間は、ほとんどいない」ものの、「ある点でひとが賛成してくれると、別の点で自分の意見を捨てることのできる人ならば、大勢あるものである」のです(p. 106)。(この心理の詳細については、現代の心理学者が認知的不協和理論で解説しているのですが、詳細については過去の解説記事「自分が間違っていたと認めることは、あまりにも難しい」をご確認ください)

つまり、彼らの自尊心を傷つけないように注意しながら、こちらの提案を受け入れさせるためには、こちらの意見や提案を伝える順序に気を付けなければなりません。一足飛びに結論だけを示してしまうと、相手はそれに反論してみたくなってしまい、交渉は永遠にまとまらなくなります。

これは時間が切迫する中で行われる外交交渉がなかなかうまくいかなくなることも示唆しています。カリエールは君主や大臣を相手に道理を説くような口ぶりは絶対に避けるべきであり、相手が乗り気でないならば、さっさと話題を変えてしまうことが得策だと論じています(p. 107)。

人間は本来的に移り気であり、状況が変化すれば、また交渉のチャンスは巡ってくると考えなければなりません。カリエールが説く交渉の技術を駆使するためには、粘り強さ、忍耐強さが求められるのです。

まとめ

カリエールの功績は、しばしば外交の技術的な側面を解明したことだと言われています。確かに、それも重要な業績ではありますが、それだけでなく、外交交渉の研究を通じて、対外政策を選択する政策決定者に見られる心理的傾向を分析したことも重要な成果だったのではないかと私は考えています。

最近の国際政治学の研究では、心理的アプローチを取り入れ、対外政策に関与するエリートの情勢認識や意思決定を調査する動きが広まっているところです。このような新しい研究が進めば、カリエールの議論が国際政治を理解する上で重要な意味を持っていたことがますます明らかになってくるでしょう。


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