見出し画像

書評『ローマ帝国の没落:ローマと異民族の新しい歴史』(2005)


ローマ帝国が滅亡に至った原因については、さまざまな説が唱えられており、いくつかの要因を組み合わせて考えることが適切だとされていますが、特に重要な作用をもたらした要因を特定しようとする研究者もいます。

キングス・カレッジ・ロンドン教授のピーター・ヘザー(Peter Heather)はその一人であり、2006年にオックスフォー大学出版局から出した著作『ローマ帝国の没落:ローマと異民族の新しい歴史(The Fall of the Roman Empire: A New History of Rome and the Barbarians)』はローマ帝国の衰退を決定づけた要因を軍事戦略的観点から特定しようと試みています。

軍事戦略的観点から見たローマ帝国の没落

ローマ帝国が没落した原因は、突き詰めれば軍事的・戦略的な性質のものであった、というのがヘザーの基本的な立場になります。政治的、経済的、社会的な要因が没落のプロセスと関係がなかったと断定しているわけではありませんが、ヘザーの関心は、全体として何らかの影響を及ぼした要因を幅広く説明に取り込むことではなく、説明を洗練させることに向けられています。

特に注目しているのは、異民族の侵略を受けたローマ帝国が、領土を防衛することに失敗した点です。ローマ帝国はその広大な領土を囲い込むため、長大な国境を形成していましたが、その付近には軍事的脅威が存在していました。メソポタミア方面ではペルシア人が、ドナウ川方面ではゴート人が、ライン川方面ではゲルマン人がそれぞれローマの国境地帯を脅かしていました。そのため、ローマ軍はそれぞれの方面に部隊を派遣しなければならず、その戦闘力を集中しようとしても、部隊の移動にはどうしても時間がかかりました。

画像1

375年から376年にかけて、ゴート族(厳密には西ゴート族)がアジア系のフン人の脅威から逃れるため、ローマ領に難民として押し寄せる危機が発生すると、先ほど述べたローマ帝国の防衛体制の弱点が露呈しました。ローマは国境防衛に十分な兵力を集中できず、ゴート族を同盟者として領内に受け入れ、彼らにローマの国境を守らせる政策を選びました。

しかし、この政策は実施段階でさまざまな問題を引き起こすことになり、結果的に西ゴート人がより豊かな土地を求めて移動と略奪を繰り返すようになります。当時の西ゴート族はかなりの兵力を抱えていたとヘザーは推計しており、難民の総数はおよそ20万人、総兵力はおよそ2万名と見積もられています。西ゴート族は異なる二つの対立する部族で構成されていたので、それぞれに1個ずつ軍が編成されており、1万名程度の兵力で行動していた可能性が指摘されています。

ハドリアノポリスの戦いでローマ軍は敗北した

西ゴートとローマ帝国が戦争状態に入ったのは377年の冬でしたが、ローマ軍はこの地域に十分な兵力を集中させることができていません。当初の攻撃はたちまち西ゴート軍によって撃退されてしまいました。377年の夏にローマ軍はアルメニアで集めた兵をバルカン半島に急派していますが、この部隊は西ゴート軍を捕捉することができておらず、戦局に与えた影響は限定的だったとヘザーは評価しています。

画像2

378年に入るとメソポタミアやコーカサスから転用された兵力が続々とコンスタンティノープルに来援しましたが、ハドリアノポリスの戦い(378)でローマ軍は決定的な敗北を喫しました。この戦闘に関しては歴史家からローマ軍が2万名の兵を一挙に失ったという説も唱えられています。ただ、ヘザーが唱えている説によれば、ローマ軍の兵力は3万名から4万名程度、つまり西ゴート軍に対する数的優勢は1.5~2、損害は1万名以上だったと推測されており、やや下方修正された推定値が著作では示されています。

いずれにせよ、この敗北によってローマ軍は西ゴート軍から失地を取り戻す戦闘力を喪失しました。ヘザーの調べによれば、当時のローマ帝国の総兵力が推計30万名~60万名、総人口で見ても最低7000万人の人的資源を持っていたので、一度の決戦で軍事的能力を完全に喪失したわけではありませんが、やがてローマ国内で政争が激化し、何人もの皇帝が即位するなどの問題が生じただけでなく、他の国境地帯でも異民族の脅威が迫ったことによって、ローマは態勢を立て直す機会を失いました。

ローマ帝国の没落を戦略的に説明する

この記事ではローマ帝国の軍事的衰退の幕開けとなったゴート戦争に関するヘザーの考察を中心に紹介しましたが、彼の論述の対象はさらに広い地域、長い年月に及んでいます。4世紀後半のローマ帝国の内外情勢を分析するところから始まっており、5世紀までに起きた出来事までが扱われています。当時の状況を推定して作成した情勢図も参考になるものばかりであり、ローマ帝国が多正面作戦を強いられる難しい状況に立たされていたことが分かります。


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。