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戦闘開始から1週間で見えてきたロシア軍の4つの弱点

2022年2月24日、ロシア軍はウクライナで攻勢を発起しましたが、本稿を執筆している3月3日現在に至るまで首都キエフの占領には至っておらず、各正面でウクライナ軍の激しい抵抗を受けています。ウクライナ軍に対してロシア軍が今でも定量的、計数的に優勢であることは確かですが、それにもかかわらずロシア軍がこれほど苦戦している理由は何でしょうか。

この記事では、軍事の観点からこの問いに答えてみたいと思います。ロシア軍の能力を人事、情報、作戦、兵站という4つの側面から分析し、それぞれの側面から見えてくる軍事的弱点を説明します。また、今後のプーチン大統領がロシア軍の弱点に対処するため、どのような行動をとる可能性があるかを示し、これから起こり得る事態について予測します。

人事:作戦の開始直後から低下している士気

部隊の戦闘力を維持し、また増進するために軍隊が重視すべき機能の一つが人事です。人事は幅広い業務から成り立っており、一般的に想像されている以上の影響を作戦に及ぼします。例えば、戦死、負傷、行方不明などの理由で部隊に発生した損耗の現状を正確かつ迅速に把握することも人事の業務であり、また作戦の要求を踏まえた資質や能力を持つ人員を補充することも人事の業務に含まれます。人事業務の成果によって部隊が充足しているか、維持、規律、士気、団結が高い水準で維持されているかが決まります。

ロシアとウクライナの戦争で多くの人々が注目しているのが、ロシア軍の士気が低いということです。戦地で放棄されるロシア軍の武器や装備が多いこと、作戦が開始された直後から投降する兵士が数多く出ていることなどから、この判断は裏付けられています。士気の低下は人事の運用が適切に機能していないことを示唆していますが、このような事象は人事の基盤である兵役に制度的な欠陥があることによって、ある程度の説明ができます。現在、ロシア軍は徴兵制を採用しており、一部の免除者を除くと、18歳から27歳の成人の男性は12か月にわたって兵役に従事することを強制されています。

兵役を逃れることは法例により厳しく処罰されますが、それでも営内での暮らしを歓迎する若者はほとんどおらず、兵役の忌避は後を絶ちません。このような環境でロシア軍の将校や下士官が兵卒の士気を高い水準に保つことは容易なことではありません。ロシア軍はこの問題を認識し、徴兵制から志願制(契約制度)への移行を急いでいます。自らの意思によって契約による兵役に切り替えた場合、24か月の軍務に就くことになるのですが、実態としては半強制的に契約書に署名させられることがほとんどです。本来、軍隊の人事制度は国民の理解と協力がなければ成り立ちえません。ロシア軍の人事制度にはそのような基盤が欠けているように思われます。

また、ロシア軍の人事運用にも問題があったことが伺われます。ウクライナ側の情報源によれば、投降した複数のロシア軍の兵士が、自分たちが戦っている理由をよく知らないまま戦場に送り込まれたことを証言しています。通常、各級部隊の指揮官は作戦に際して部隊の規律を維持し、士気を高揚させ、団結を強化するために、部下が自分の使命を自覚できるように努めます。作戦の前に部隊を集めて指揮官が訓示を行うことも基本的な人事施策の一つであり、また部外においても作戦への理解と協力が得られるように、家族支援を実施し、広報と連携した取り組みを行うこともあります。このような努力の積み重ねが士気の高揚に繋がるのです。

プーチン大統領は、このような人事施策を怠っており、多くのロシア軍の兵士が自分が遂行すべき任務に関して断片的な情報しか持っていません。そのため、戦闘において動機づけの形成が心理的に困難な状態にあるのでしょう。このような状況は、軍隊の中で指揮官と部下の信頼関係を損なうだけでなく、国家に対する兵士の不信を強め、命令への不服従や集団的な脱走のリスクを高めることにもなります。後述するように、今のロシア軍は兵站支援にも大きな問題が生じており、前線で兵士の戦意を保つ上で必要な糧食や燃料の支援が不足していることも士気に悪影響を及ぼしています。兵士の健康を保つことが士気の維持にとって欠かせないことは改めて説明するまでもないことでしょう。

情報:情報優勢をアメリカに奪われている

軍事の用語で情報活動とは、任務を遂行する上で役に立つ知識を獲得し、同時に敵に同様の知識を獲得させない活動をいいます。情報の成否は古くから作戦の推移に重大な影響を及ぼすと考えられており、指揮官の要求に沿って情報組織が必要な情報を手に入れ、それを指揮官が状況判断に活用することが重要です。ただし、情報活動では敵の情報を手に入れるだけでなく、味方の情報を敵に渡さないようにする努力も忘れてはならず、特に攻撃の準備を進めていることを敵に悟られてはなりません。

今回のロシア軍の動きを見ていると、ウクライナに関する正確な情報を入手することができていないばかりか、自軍の情報を保全することにも失敗しているように見えます。作戦の項目で後述するように、ロシア軍が短期間でウクライナ軍を撃破できなかったことは、事前の情報活動に不完全な部分があったことを示唆しています。ウクライナ軍がどの程度の能力を持っているかを十分に解明できないまま武力攻撃を加えれば、想定を上回る抵抗を受けて作戦が頓挫することは当然のことだといえます。

また、ウクライナ国境周辺におけるロシア軍の行動は長期にわたってアメリカの情報機関に捕捉されたことも見過ごすことができない失敗でした。おそらく、アメリカは情報活動を通じて得た情報を去年の12月からウクライナ軍に提供しており、今でも情報の支援は続いていると思われます。また、アメリカが世界に向けてロシアの作戦準備に関する情報を積極的に発表してきたことも、ロシアの外交的な立場を不利にするものでした。

作戦の観点に限定して考えてみても、攻勢作戦を成功させる上で必須の要件とされている奇襲がほとんど不可能な状態でロシア軍が攻撃に動いたことは不可解なことであると言わなければなりません。奇襲が部分的にでも成功していれば、攻撃部隊は2倍から3倍の戦闘力を発揮することを期待できたでしょうが、実際にその効果はほとんど得られなかったと思われます。今のロシアが情報の重要性をこれほど軽視している理由は分かりませんが、ロシア軍の最高司令官であるプーチン大統領の情報運用に何らかの問題が生じているのかもしれません。

本来、情報運用では客観性と論理性が何よりも重視されなければなりません。状況に対する先入観を捨てること、確かな根拠から出発すること、論理的に推論すること、これらができなければ複雑な状況を認識し、状況判断を更新し、有効な決定を下すことができなくなってしまいます。もしプーチン大統領が先入観にとらわれ、間違った根拠に依拠し、非論理的な推論を行っているのだとすれば、情報を適切に運用することは難しいでしょう。そのような間違いを是正するとしても、そもそも国家や軍隊の情報活動は指揮官の要求に基づいて遂行される性質のものであるため、プーチン大統領が求めた情報を報告せざるを得なくなります。このようなフィードバックが指揮官の誤認をかえって強化していることも想定すべきでしょう。

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