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地政学の理論的欠陥を是正しようとする『古典地政学』の紹介

古典地政学(classical geopolitics)の理論には深刻な欠陥があるという指摘は以前から研究者によって繰り返し指摘されてきました。概念の定義があいまいであり、それぞれの研究者が議論で用いるモデルに一貫性がなく、学問体系としての整合性がありません。批判地政学(critical geopolitics)の研究者らの著作では、古典地政学に強い政治的バイアスがあることが問題視されています。しかし、今でも古典地政学の意義を主張する研究者はおり、彼らの一部は理論的な欠陥を修正することに努めています。

ラテンアメリカの国際政治を専門とするPhil Kellyもその一人であり、著作『古典地政学:新たな分析モデル(Classical Geopolitics: A New Analytical Model)』(2016)はその成果の一つです。

1 はじめに
2 モデルと理論
3 現代史の地政学的アプローチ
4 古典地政学の前提
5 古典地政学の理論
6 モデルの適用
7 地政学の再興に向けた指針を定める
8 補論:古典地政学の概念と理論

著者は地政学が不明確な定義に依拠した脆弱な学問であることを率直に認めています。しかし、だからといって地政学がまったくの無意味であるという見方は間違っているとも主張しており、研究の方向性としては地政学の理論を修正する方法を明らかにすることを目指すべきだというのが著者の立場です。著者の議論は難解ではありませんが、非常に慎重です。

著者は地政学の最も基礎的な前提を11個にまとめることができると主張しています。その多くは常識的な定義で占められており、新規性はありません。(1)周囲の環境が国家の行動に影響を及ぼす(p. 72)、(2)国家の周囲の環境は、国家の利益と目標のための行動をとるにあたり、意識的あるいは無意識的に空間関係を認識させることによって、国家の意思決定者を制約する(p. 73)、(3)地域における国家の相対位置は国家の行動と政策に影響を与える、という3つの前提はいずれも基礎的な地政学の視点を繰り返しているにすぎません(p. 74)。

地政学の前提について著者はさらに(4)国家と地域の相対位置は国家の対外的関係に影響を及ぼす可能性があること、(5)国家の内外は明確に区別することができること(国家中心主義)、(6)地政学は大国から中小国に至るすべての規模の国家のあらゆるレベルの対外関係に適用されることも論じています(p. 75)。(7)地表面に存在する資源は均一に分布しておらず、特定の領域を領有する国家には、そうではない国家に対して優位性がある、という前提は過去に発表された古典地政学の文献ですでに確認されたことがありますが、著者はその意義を再確認しています(p. 76)。

(8)特定のシステムあるいは構造の中で起きる空間的な相互作用にはパターンがあるとする前提に関しては、特定の国が繰り返し同じ対外政策を選択している背景として、強い空間的相互作用が働いていることを想定したものです(pp. 78-9)。技術革新が地域の情勢に変化をもたらす可能性があることも著者は考慮していますが、(9)ほとんどの地政学的な構想は時代を超えて適用されるものである、と述べています(p. 80)。この8つ目の前提を導入した意図ははっきりしません。古典地政学の議論には技術革新の影響を重視するタイプのものもあるためです。

(10)地政学では国家が他国との間で紛争を引き起こすことも前提として置かれています(Ibid.)。あらゆる政治関係に対立の側面があると想定しているのは地政学だけではなく、国際政治学、特にリアリズムの理論でも採用されている考え方です。ただし、著者は地政学は国家の能力ではなく、国家の位置に力点を置くという点でリアリズムとは異なる理論体系であると著者は強調しています(Ibid.)。

最後に、(11)地理上の景観をなす各種地形やその他の自然地理上の特徴は非常に重要な国家と地域の特徴を示す可能性があるという前提が述べられています(p. 81)。政治体制を民主化する難しさ、経済発展を推進する難しさ、社会的一体を維持する難しさは、国土の形態、水系、資源、植生、気候、人口などさまざまな地理上の要因が関与しているので、簡単に理論化できるものではありませんが、特定の国家や地域の情勢を知る上で最も基本的な研究資料になるはずだと想定されています。

以上の前提から出発して、著者らはさらに古典地政学の多種多様なモデルを5種類のカテゴリーに大別できると主張しています。一つ目のカテゴリーは中核・周辺(core-periphery)と命名されています。現代では批判を受けることも多いハートランド理論やリムランド理論などがこのカテゴリーに区分されています。二つ目のカテゴリーは地政学的な要域及び要点(pivotal geopolitical regions and places)であり、シャッターベルト、チョークポイントの議論などがここに組み込まれます。

三つ目のカテゴリーは境界及び辺境(Borders and frontiers)であり、グローバル化、国境の形態と戦争の関係に関する理論がこれに属しています。四つ目のカテゴリーは空間(space)であり、シーパワー、ランドパワーの理論、行動空間の理論、人口動態と人口移動の理論などを包括します。最後の五つ目のカテゴリーは以上に分類できない理論を取り込む補足的なものであり、国土の形態や規模に関する理論、天然資源の地政学的な影響に関する理論、そして気候変動の理論もこれに取り入れられています。

この分類方法を定めるにあたり、著者が19世紀から最近に至る地政学的分析の内容を非常に広範囲に調査しています。著者の解釈によれば、これら5つのカテゴリーの内部で展開されている議論に関しては論理的にある程度の一貫性が保たれていることを示そうとしています。ただ、そこから先に議論が進むと著者の議論がどの程度の妥当性を持っているのか判断は難しくなります。

著者はさまざまな研究者の地政学的分析を可能な限り整合的な形で解釈しようとしていますが、古典地政学の源流であるマッキンダーのハートランド理論に関してはそのまま受け入れるべきではないとされています。これはマッキンダーが数多くの研究者から批判を受けてきたことを踏まえた修正であり、著者はハートランドという概念を使うこと自体の妥当性を認めるにとどめています。古典地政学の復権を目指して研究に取り組んだ著者が、古典地政学の最も基礎的な理論であるハートランド理論と決別していることは興味深い点だと思います。

著者が今日の社会科学の研究に求められる厳密性や一貫性のレベルに合わせて地政学を現代的な学問体系として再編成しようとした努力は一定の成果を上げていると思います。本書の事例分析で示された分析の枠組みは現代の地政学的分析に広く適用できるものに仕上がっています。評者の立場によっては、著者が地政学的モデルをコンパクトにまとめすぎてしまい、その分析から得られる洞察を限定的なものにしたと批判するかもしれませんが、地政学が以前から抱えていた理論的な欠陥を是正するための重要な一歩ではないかと思います。

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