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歴史を学ぶ

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#外交

翻訳資料 シェリング「ベルリン危機における核戦略」(1961)

軍事学では政治的目的を達成する方法の一つとして、核による脅しや使用に関する核戦略の研究が…

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論文紹介 中国の圧力に立ち向かうフィリピンの国家戦略はどのようなものか?

南シナ海において中国が領域支配の現状変更を試みていることに危機感を覚えている国の一つにフ…

なぜ大国の脅しが失敗するのか?: Coercion, Survival, and War(2015)の紹介

国力に優れた大国は、自国の要求を他国に押し付けやすくなるというイメージがありますが、実際…

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複数国が参加する連合作戦は外交交渉と不可分の関係にある:1943年のカサブランカ会談…

1943年1月14日、フランス領モロッコで開催されたカサブランカ会談は、第二次世界大戦で同盟関…

なぜ戦間期の英国はドイツとの対立を避け、宥和に動いたのか? The Ultimate Enemy(19…

1933年にアドルフ・ヒトラーが新政権を発足させてから、ドイツは将来の戦争を見据え、軍備を積…

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論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

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軍事と外交を統合する戦略を探求したジョージの強制外交理論 The Limits of Coercive Diplomacy(1971)

強制外交(coercive diplomacy)は、すでに何らかの望ましくない行動を開始している相手に対して、その行動を中止させたり、あるいは行動を撤回させることを目的とする外交行動であり、軍事的措置をとる覚悟であることを伝えることで実行されます。1971年に初版が刊行され、1994年に第2版が刊行された『強制外交の限界(The Limits of Coercive Diplomacy)』は強制外交を成功させる条件を考察した重要な業績です。 この著作の中でもアレクサンダー・

メモ なぜ中国はベトナム戦争に介入したのか?

1965年、中国は北ベトナムに戦闘支援部隊を派遣することを決定しました。当時、北ベトナムはソ…

冷戦期の米国はどのように対外援助を利用していたか?Foreign Aid as Foreign Policy(…

国際政治では、対外政策の手段として軍事力だけでなく、経済力が使用されてきました。貿易や投…

論文紹介 戦争のエスカレーションから抜け出せない指導者の心理を読み解く

研究者は戦争に関する意思決定過程を考えるとき、その戦争を即座に中断したとしても取り戻せな…

パレスチナとイスラエルとの間で続く暴力の応酬に迫ったThe Israeli–Palestinian Con…

イスラエル人とパレスチナ人の対立には歴史があり、オスマン帝国の時代にまでさかのぼることが…

ソ連の立場で冷戦の歴史を辿ったA Failed Empire(2007)の紹介

ウラジスラフ・ズボクの著作『失敗した帝国(A Failed Empire)』(2007)はソ連の視点で冷戦…

論文紹介 国際法で戦争が違法化されたことで、国際政治にどのような影響があったか?

現代の国際法の枠組みは、第一次世界大戦が終結した時点で有効だった枠組みと比較すると、まっ…

メモ 第一次世界大戦は経済的相互依存の効果で防げなかったのか?

第一次世界大戦(1914~1918)は国際政治学の領域で特に活発な論争が続けられてきたテーマであり、その原因に関する分析は多岐にわたっています。ここで取り上げたいのは国家間の貿易が発展し、経済的相互依存が深まることによって、指導者に平和を維持させる効果があるというリベラリズムの視点です。 リベラリズムの考え方によれば、国家の指導者は経済的な損失を回避するため、戦争の開始により慎重になると考えられています。これは戦争で国際的な貿易が途絶し、さまざまな財やサービスの供給が混乱す