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歴史を学ぶ

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歴史に関する記事をこちらにまとめています。
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#外交

なぜ大国の脅しが失敗するのか?: Coercion, Survival, and War(2015)の紹介

国力に優れた大国は、自国の要求を他国に押し付けやすくなるというイメージがありますが、実際…

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複数国が参加する連合作戦は外交交渉と不可分の関係にある:1943年のカサブランカ会談…

1943年1月14日、フランス領モロッコで開催されたカサブランカ会談は、第二次世界大戦で同盟関…

なぜ戦間期の英国はドイツとの対立を避け、宥和に動いたのか? The Ultimate Enemy(19…

1933年にアドルフ・ヒトラーが新政権を発足させてから、ドイツは将来の戦争を見据え、軍備を積…

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論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

軍事と外交を統合する戦略を探求したジョージの強制外交理論 The Limits of Coercive …

強制外交(coercive diplomacy)は、すでに何らかの望ましくない行動を開始している相手に対し…

メモ なぜ中国はベトナム戦争に介入したのか?

1965年、中国は北ベトナムに戦闘支援部隊を派遣することを決定しました。当時、北ベトナムはソ…

冷戦期の米国はどのように対外援助を利用していたか?Foreign Aid as Foreign Policy(2007)の紹介

国際政治では、対外政策の手段として軍事力だけでなく、経済力が使用されてきました。貿易や投資を通じて経済的相互依存を深めるという方法もありますが、対外開発援助のような方法もあります。冷戦期のアメリカはこの方面で多くの事例を残しており、その効果について研究者が調査を進めています。 歴史的に注目すべき事例の一つとして、ジョン・F・ケネディ大統領(在任1961~1963)のラテンアメリカに対する援助があります。ケネディ大統領は個別に行われていた開発援助を一元的に管理する体制を構築し

論文紹介 戦争のエスカレーションから抜け出せない指導者の心理を読み解く

研究者は戦争に関する意思決定過程を考えるとき、その戦争を即座に中断したとしても取り戻せな…

パレスチナとイスラエルとの間で続く暴力の応酬に迫ったThe Israeli–Palestinian Con…

イスラエル人とパレスチナ人の対立には歴史があり、オスマン帝国の時代にまでさかのぼることが…

ソ連の立場で冷戦の歴史を辿ったA Failed Empire(2007)の紹介

ウラジスラフ・ズボクの著作『失敗した帝国(A Failed Empire)』(2007)はソ連の視点で冷戦…

論文紹介 国際法で戦争が違法化されたことで、国際政治にどのような影響があったか?

現代の国際法の枠組みは、第一次世界大戦が終結した時点で有効だった枠組みと比較すると、まっ…

メモ 第一次世界大戦は経済的相互依存の効果で防げなかったのか?

第一次世界大戦(1914~1918)は国際政治学の領域で特に活発な論争が続けられてきたテーマであ…

メモ 既成事実(fait accompli)とは何か、戦略的に何の意味があるのか?

国際社会では、現状の維持を図るよりも、現状の変更を図る方がはるかに難しい判断を必要としま…

第一次世界大戦の勃発に至る英独関係の歴史を記したThe Rise of the Anglo-German Antagonism(1980)の紹介

歴史学者ポール・ケネディは1980年の著作『英独対立の高まり(The Rise of the Anglo-German Antagonism)』の中でドイツとイギリスが敵対するに至ったことが必然であったという解釈を打ち出しています。彼の叙述の起点となるのは1860年であり、第一次世界大戦が勃発する1914年までの間に生じた英独関係の政治的、経済的、社会的な変化が多面的に検討されています。伝統的な外交史の方法だけに頼っておらず、ケネディの歴史解釈の奥深さが分かる研究です。 彼