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愛されたいなら好きっていいなよ



わたしも恋愛上級者みたいなエッセイを書きたかったけれど、書けそうもないのでやめる。
そもそも恋愛上級者ってなんだ。

なんにせよ男女の別れる別れないの話し合いに招待されることが多い。この2年で6回はそういうことがあったので、たぶんわたしは話し合いが得意なのだと勘違いされている。

これといった特性を持ち合わせているでもないわたしが友人の夫や妻の間に座り、ただふむふむ話を聞くといった構図になるのだがこれがテレビなら視聴率0%である。
『ええわたしですか...?何もできないけどだいじょうぶですか...?』と思いながらも、ピンチだからと頼まれればとりあえず行く。行くから呼ばれるのだろう。なにが正解なの。


6組の話をふむふむ聞きながらわたしなりに感じたことがある。みんなが多かれ少なかれ相手に対し理解を求めているのだ。それぞれがそれぞれの思考や想いや状況や状態を "わかってくれ" と願っていた。
ちなみにその気持ちはめっちゃくちゃわかる。

女性に気持ちを汲んでくれと言われてもこちらエスパーじゃないのでわからんという言い分を、男性は理解してほしい。
女性は言えと言われたから言葉にして伝えたのに、一向に行動してくれないのは理解していることにならないとつい不機嫌になってしまう。
男性はイライラされると疲れるなぁと思っているけれど、言えば火に油を注ぐのでどうせ伝わらないと匙を投げる。
人間すごい。

はっきり言ってどちらの言い分も、もう吐いちゃうくらいわかる。吐いちゃうくらいというのが最上級を表すのに最適な比喩かは不明だが、とにかくわかりすぎるくらいにわかる。

結果的にわたしは、相手に自分を理解してもらうことなんかに比べたら "愛され続ける" ことのほうがよほどチョロいと思いはじめた。
そして自分を理解してもらえなくても、愛され続けてさえいればだいぶ幸せを感じられる。


独断と偏見だが、誰も皆好きなものと触れている自分が自分史上いちばん魅力的だと思う。だから、生活の中に好きなものをなるべくたくさんつくって一番魅力的な自分を共有し続けるって大事なことだと思うのだ。
これは誰かに対する好意の話だけでなく、プリンでも映画でも仕事でもねこでも。なんでもかんでも、うれしい!たのしい!大好き!の精神で生きている人は大抵ずっと愛されている。

反対に相手と好きなものをひとっつたりとも共有したくないとか、好きなものをたくさん共有しているのに愛されないのだとしたら、別の道だってきっとある。人間っていっぱいいるし。


恋は空気みたいなものなのに他人から見える。愛は形があるのに他人から見えない。
だから恋の相談にはいくらでも乗れるけど、愛のことは当人たちにしかわからない。そんな風に感じる。
わたしにはよくわからないし、わからなくて困ることもなかった。でもなんでもかんでも好き好き言っちゃえるひとが愛おしいことは、わたしにだってわかる。


だから軽はずみに好きっていいなよ。
好きなことものに触れている自分を、存分に魅せつづけてゆけばよいのだ。


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