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エゴと意図と願いと

今日は、最近コーチングを学ぶ中で気づいたことをシェアしようと思います。これは今後の僕の人生でも大切にしていきたいことの1つです。

すごく感覚的な話にもなってくるので言語化するのが難しいですが、書き出してみたいと思います。

エゴと意図と願いと

 
コーチングをする上で、最近すごく難しいなと思っているのが、「コーチとしての”願い”は持ちつつ、コーチの”エゴ”は出さない」ということです。(ここからはコーチングする人を“コーチ”、コーチングを受ける人を“クライアント”と表現します)
コーチングはティーチングではないので、コーチから直接何かクライアントにアドバイスをしたりしません。学校の授業のように先生が立てた道筋に沿って授業を進めるというよりは、クライアント主体でセッションが進んでいきます。なので、良いセッションにしたいというコーチの“エゴ”が強すぎると、逆に空回りしてしまって、うまくいかないセッションになってしまいます。でも、コーチとして、常に“願い”を持ち続け、質問や対話の仕方に“意図”を持ってクライアントとセッションします。

僕の考える「エゴ・意図・願い」について⇩

エゴとは

・自分主体で考えている
・自分の価値観・考え方の押し付け
 (少しネガティブな感じかな)
・自分にとってのBestであって、相手にとってのBestではない

意図とは

・相手主体で考えている
・相手にスポットライト(質問)を当ててあげる

願いとは

・自分自身が信じているもの
・相手のために常に想っていること
・最後選択するのは相手


最近の僕の頭の中のイメージで言うと、
「クライアントの頭の中にコーチが入り込んで、一緒に問題解決をしていく、頭の中を整理していく」
なので、コーチはクライアントの絶対的な肯定者であると同時に、伴走者だと思うんです。

この感覚(エゴと意図と願い)はコーチングだけではなく、様々な場面で応用できると気づきました。
ここからは“エゴ”について掘り下げていきたいと思います。

「エゴを手放し、相手を信じて、相手に委ねる」

例えば、子育てする場面で考えてみましょう。
自分の子供(高校生)が進路選択に悩んでいるとしましょう。子供の想いとしてはすぐに就職せずに、一度海外に行ってみたい。しかし、親としては大学に入って、安定した職についてほしい。

①    もし、この状況で、親が「とりあえず大学に行きなさい」と子供に言うのは、親の“エゴ”になってしまいます。きっと親も子供が違った道に行くことで、その後社会に出て上手くやっていけるのかと不安に思い、子供が苦労する姿を想像して怖くなる。親自身が通ってきた道が正解だと思い、その価値観を押し付ける形になってしまう。時に自分のエゴは相手に取って否定的な意見になってしまうかもしれません。

②    ここでもし、親のこうした方がいいという意見(エゴ)をグッと堪えて、子供のいきたい道を応援するとどうなるでしょう。もしかしたら、親の言ったとおり、あまり良くなかった結果になるかもしれませんが、それと同時に親も想像しなかった子供の可能性が見えてくるのではないでしょうか。なので、ある種「自分の育ててきた子供を信じて手放す」
きっと親が願っているのは自分の子供が幸せであること、素敵な人生を生きていけると言うこと。ここの自分のエゴを手放す勇気・相手を信じることをコーチングに限らず僕は常に持ち続けたいなと思います。

エゴを手放し、相手を信じると、新しい可能性が出てくる。
自分も考えなかった、未知の考え・可能性に出会える。


なので、僕のコーチングのスタンスは、
「ピュアな気持ちで心からクライアントの話を聴いて、クライアントを信じ、委ねる」です。

まだまだコーチングを学び始めた未熟者ですが、このシェアから何か気づきがあれば幸いです。また、まだまだたけとのコーチングを受けてくれる方大募集中です!InstagramのDMやLineで気軽に連絡してください。誰でも大歓迎です!

#taketrip

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