AI時代は「皆で遊ぶのが上手い奴」が強そう
上記は堀江貴文氏の記事から引用したものだ。
私は一つ前の記事で、上記の文に関し
本当か?私は些か懐疑的である
と書いた。
しかしこれは、議論をスポーツに限定した上で、
人間が競走するより、強烈なキャラ設定がなされたAIを搭載したロボットが競走したほうが面白いのでは?
と問うたからだ。
一方で、堀江氏が上の文章で言っているのは、そういう狭い範囲の話ではない。
要は、「役に立たないけど、なぜか求められる、良くわかんない奴」になれ、ということだ。
で、これに関しては、非常に同感である。
そして、この「役に立たないけど、なぜか求められる、良くわかんない奴」とはどういう奴かというと、本記事のタイトルにあるように、「皆と楽しく遊ぶのが上手い奴」だと思っている。
もっと厳密に言うと、「遊びをプロデュースするのが上手い奴」である。
理由を以下に書く。
「役に立つ」は基本的にAI化される
まず、「役に立つ」は基本的に定義可能である。
定義可能ということは、指標を作れる。
指標を作れるのであれば、代替の道筋を描くことができる。
よってAIが人間より安くなれば代替される。
で、AIはものすごい勢いで、人間より安くなってきている。
AI界の重鎮、ヒントン教授は、5~20年以内にAGIが誕生しそうと予想している。
AGIが誕生すると、当然ながら、ほとんどの分野で、AIは人間より安くなる。
よって、「役に立つ」仕事は、5~20年以内に、AIに代替される可能性が結構ある。
良く分からない奴は代替しにくい
AIに限った話ではないが、「良く分からないが」奴は、どうすれば代替できるのか、よく分からないので、代替しにくい。
そして、時代の変化に合わせて常に「良くわからないが求められる」ポジションを作るのが上手い奴は、ずっと、「需要があるのに代替しにくい奴」として残る。
「需要があるのに代替しにくい」とは、需給が逼迫している奴ということである。
市場では、需給が逼迫するほど、報酬が上がる。
従ってそういう奴は儲かり続ける。
さて、ようやく本題である。
AI時代の「役に立たないけど求められる、良くわからない奴」とは、どういう奴か。
私は「遊びをプロデュースするのが上手い奴」だと感じている。
遊びのプロデュース
まずそもそも、「遊び」とは何か。
「生存に必須だからやる」活動は、一般に「遊び」とは呼ばず、「仕事」や「労働」と呼ぶだろう。
で、
それ以外に定義はなさそうである。
実際、とりあえずネットを検索すると、「やらなくても良いのにやる活動」という趣旨の以外の定義は、ほぼ出て来ない。
(例1、例2、例3)
ということは、そもそも「遊び」とは、
「必要ないのにやってる営みぜんぶ」
を指すと考えて良い。
つまりは、「良くわからんけど欲されている営み」である。
で、上記から、
「あ~、なるほど、つまりは遊び人こそが、『良く分からんけど欲される奴』なのね」
と思うかもしれないが、
そうではない。
遊び人は「良く分からんけど、欲している人」であって、「欲される人」ではない。
「欲される人」は、「良く分からんけど、欲される何か」を創造する人である。
つまりは、遊びを作り出し、プロデュースする人である。
AI時代=人類総高等遊民
「役に立つこと」、つまりは「仕事・労働」をAIが担うようになったら、人間は何をするのか。
これは難しい問いではなく、歴史上、仕事・労働をしないで生活していた人たちが、何をしていたのかを調べれば良い。
古代ギリシャの自由市民や、平安時代の公家や、近世ヨーロッパの貴族、明治の高等遊民は何をしていたのか。
物語を書いたり、学問をしたり、詩を読んだり、スポーツしたり、遠征したりと様々だが、要は遊んでいた。
で、仕事・労働は奴隷や下層民が担っていたわけだが、これらがAIに置き換わると、全人類が高等遊民になる。
来年そうなると言っているわけではないが、数十年スパンでそういう方向に向かっていくのは、今のところ間違いなさそうである。
上で挙げたヒントン教授の予想を信じるなら、20年後には、かなりの程度、そうなっている可能性が高い。
そういう時代にどういう人間が欲されているかというと、みんな暇なので、当然、「持て余した暇を潰せる、遊びのプロデュースが上手い奴」である。
先進国は既に結構、遊びのプロデューサーが強い世界になっている
そして上記の傾向は、先進国においては既にある程度、現実のものとなっている。
例えば、SpaceX。
時価総額は18兆円で、ロッキード・マーチンの13兆円を超えている(記事執筆時点)。
が、SpaceXは、ロッキード・マーチンより役に立っているか?
全然役に立っていないだろう。
「いや、将来、極めて役に立つ可能性があり、その価値を織り込んでいるのだ」と見る向きもあるだろうが、私は懐疑的である。
皆、本当に、「人類には宇宙進出が必要である」というナラティブを信じているのか?
それよりも、「人類の宇宙進出」という遊び、「遠征ごっこ」に価値がついている、という説明のほうが、私はスッキリする。
Teslaも同様で、私はイーロン・マスクを、「人類の遠征」という遊びのプロデューサーと見ている。
サム・アルトマンも同様で、AGIを開発するOpenAIの他、核融合炉や長寿技術の会社に投資している。これも「人類の遠征」遊びである。
なぜテクノロジー・シーンの重鎮が皆、そういう遊びばかりしているかというと、そもそも皆、金銭面で貴族と化しているから、というのもあるが、そもそも魅力的な遊びを用意しないと、優秀な人材が集まらないから、というのも大きいと思われる。
実際、労働市場の流動性は高まり続けており、優秀な人材はいくらでも報酬を上げることができるのだが、多くの人は、ある程度蓄財すると、金に飽き、遊びに走る。
よって、優秀な人材は、魅力的な遊びを用意してくれる会社に集まるのである。
裏を返すと、魅力的な遊びを用意できない会社に、優秀な人材は集まらない。
なので、今後多くの企業CEOに求められるのは、遊びのプロデュース力であって、他のスキルは二の次になる(スキルのある人間を、遊びの魅力で釣れば良い)。
遊びのプロデューサーは、その遊びで一番遊んでいる奴じゃないとダメ
AI時代に求められるのは遊びのプロデュース力と言ったが、自分は後ろに控えていて、皆を前のほうで遊ばせている「保護者ポジション」では、人は集まらない。
そういう人間がプロデュースした遊びは、恐らく楽しくない。自分が熱中していない遊びに、人を熱中させるのは極めて難しい。
冷めてる奴が提案してくる遊びを、やりたい奴などいない。
従って、遊びをプロデュースするには、自分自身が一番、遊び倒している必要がある。
イーロン・マスクやサム・アルトマンは、明らかに、最前面に立って、仲間と一緒に、遊び倒している。
というわけで、本記事のタイトルである。
「AI時代は『皆で遊ぶのが上手い奴』が強そう」
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