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AI時代も人間同士のスポーツは見られ続けるか?
ウサイン・ボルトは自動車には勝てないが、それでも尊敬され必要とされている
上記は、堀江貴文氏の以下記事から引用したものである。
AI時代は、ウサイン・ボルトのような人間こそが必要とされ続けるという趣旨なのだが、私は思った。
本当か?
私は些か懐疑的である。
理由を以下に書く。
プロスポーツに人間が必要とされた理由
堀江氏はウサイン・ボルトの例をスポーツに限定して使っているわけではないが、本記事では議論をスポーツに限定する。
ウサイン・ボルトは確かに足が早い。
しかし、自動車より遅い。というか馬にも負ける。
ということは、高速で移動できるから価値があるわけではないようだ。
では何に価値を見出されているかというと、自己鍛錬の末に偉業を達成する過程の共有体験、ということになるだろう。
同じ物語を共有する中で魅力的な人格に出会うと、一部の人は相手を自己同一化し、応援し始める。つまりは、ファンになる。
これをファン化の基本原理と呼ぼう。
さて、上記は、人間同士に限られるのだろうか?
自動車には人格がない。従って、ファン化の基本原理を満たさない。
自動車がウサイン・ボルトより早く動くからといって、ウサイン・ボルトよりファンを獲得するはない。
プロスポーツはファンがいないと成り立たないが、人格を持つことでファン化の基本原理を満たしうるのは人間だけだったので、プロスポーツは人間同士の競技に制約されてきた。
しかし人間以外に人格が感じられる場合はどうか?
私は、character.aiに触れて、AIが人格めいた何かを生成できつつあることを知っている(詳細は以下の記事を参照)
これは私個人に限った話ではなく、実際、character.aiは驚異的なメトリクスを見せており、設立2年で売上ゼロにも関わらず、時価総額は1,300億円を超えた。
これは、人々がAIキャラに人格を感じ始めている証左と考えて良いだろう。
となると、AIキャラはファン化の基本原理を満たしうる。
従って、スポーツにおいて、AIキャラは人間を代替しうる。
物理的実体とスポーツ
さて、唐突だが、VTuber市場は急速に拡大しており、業界の雄Anycolor社は、設立6年目にして売上が250億円に届きそうである。
この売上は、上場企業の半数を超えており、主要セグメントは4割を占めるグッズ販売である。
なぜ急にこんな話をしているのか。
VTuberは、AIキャラと同じく、物理的実体を持たない人格だからだ。
さらに、少し乱暴に断言すると、VTuberの主要配信コンテンツは、ゲーム実況である。
なぜVTuberは、好んでゲーム実況を配信するのか。
これも少し乱暴に断言すると、ゲーム実況とは何かを達成する過程の共有体験だからだ。
要はファン化の基本原則を満たすので、ファンを作り、エンゲージメントを高めやすい。
つまり、ファンとのラポールでいうと、ゲーム実況はスポーツ配信に近い、ということである。
これは、
物理的実体を持たない魅力的なキャラが、ゲームというeスポーツを配信すると、非常に儲かることが実証済み
であることを意味する。
従って、プロスポーツでAIキャラが人間を代替できるかを考える際、マインドスポーツに限っては、物理的実体の有無は問題とならない。
あとはAIキャラが、人間以上に魅力的になれるかの問題である。
私はなりうると思っている。
強さとアイドル性
プロスポーツの収益源泉は何か。
スター選手である。
スター選手の条件は何か。
強さとアイドル性である。
これは、モハメド・アリやイチロー、最近で言えば朝倉未来を思い浮かべれば良いだろう。
強いだけでも、アイドル性があるだけでも、集客性はイマイチになる。
両方ないとダメである。
さて、VTuberは上記の通りeスポーツ配信をして儲けているが、eスポーツ市場を浸食してはいない。
なぜか?
抜群のアイドル性を持っている一方で、アスリートと言えるほど強くはないからである。
一方で、eスポーツが、いまいち一般に周知されていないのは何故か。
私見だが、競技への興味の有無を超えるほどの、強烈な人格、つまりはアイドル性を持つ選手が欠如しているからである。
(なぜボクシングに興味がない人間が、モハメド・アリを知っているのか?を考えれば良い)
さて、そこでAIキャラである。
AIキャラはスター選手になれるか?
まず強さだが、少なくとも大半のマインドスポーツ(チェス、将棋、囲碁…etc)においては、トッププロがAIに負けてから何年も経過しており、人間が全く歯が立たないくらいに強くなっている。
次にアイドル性であるが、character.aiを見る限り、驚異的なエンゲージメントを生み出す程度には魅力的な人格を生み出せており、また人間と違い、人格は自由自在に設定可能である。
これは何を意味するかというと、例えば、
エミネムのようなヒップホップ調のトラッシュトークを連発しながら、異常な強さで敵を打ち負かし続ける、清楚系美少女チェスプレイヤー
という、現実には存在しえないような強烈なスター選手を生み出すことも可能、ということである。
まとめると、
AIは人間以上の強さとアイドル性を持ちうるので、人間以上に魅力的なプロスポーツ選手となりうる。
AIと人間
プロスポーツにおいて人間がAIに代替されるとしたら、それはいつ頃だろうか?
結論を先に述べると、全くわからない。
これまで、マクロレベルでの代替可能性を論じてきたが、ミクロレベルでは課題が山積している。
具体的にどういうスポーツで、どういうAIキャラを作り、どのようにファンとの接点を作っていくと、ビジネスとして成立するのか?
これは、様々な仮説を立てることが可能であるにせよ、やってみなければ分からない。そして一般に、新しい形態のスポーツを興行として成立させていくのは、一筋縄にはいかない。
一方で、経験上、マクロレベルで概念的に正しいことは、時期はともかく、いずれ実現される。
エミネムのようなヒップホップ調のトラッシュトークを連発しながら、異常な強さで敵を打ち負かし続ける、清楚系美少女チェスプレイヤー
のような存在を作り出せる世界で、
ウサイン・ボルトは必要とされるだろうか。
無用にはなっていないだろう。
しかし、今ほど必要とされないだろう。
また、人間同士のスポーツは需要されるだろうか。
消えはしないだろう。
しかし、需要の少なくとも一部は、人間が抱える制約を超えたショーを提供する競合に奪われるだろう。
そういう意味で、私は本記事のタイトルには、些か懐疑的である。
「AIが進展しても人々は人間同士のスポーツを見続ける、は本当か?」
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